活動データ
タイム
08:26
距離
68.4km
のぼり
526m
くだり
527m
活動詳細
すべて見る東日本大震災から11年。 宮城県沿岸部にある3つの「日和山」を自転車で巡りました。 石巻市の日和山。 鎌倉時代に石巻城が築かれた歴史的要所で、震災当時は津波から逃れる多くの市民が身を寄せました。 仙台市の日和山。 津波により標高が半分にまで削られましたが、災い転じて、後に「日本一低い山」と認定されました。 名取市の日和山。 津波で流された2つの神社が再建され、震災メモリアル公園の慰霊のシンボルとして慈しまれています。 ---------- 【3月21日】 石巻駅を下車、まずは石巻市の日和山へ。 海原を背に、名物の大鳥居が威風堂々! やけに真新しいと思ったら、2021年3月の地震で解体され、同年12月に建て直されたばかりとのこと。 麓にある津波復興祈念公園を訪ねると、津波伝承館は先日の地震被害により休館中。 建物はブルーシートで覆われて、この日の空と同じ色をしていた。 次いで東松島市へ向かう。 あまりの風にへこたれ、急遽お昼ごはんに。 ここKIBOTCHA(キボッチャ)は、被災後廃校となった野蒜小学校を再生した施設。 防災アスレチックも体験できるが、あいにくカキフライ体験で手一杯であった。 松島町に着くと、観光客で大賑わい。 人気を避けて、雄島(おしま)に道草した。 かつて松島は死者供養の場で、修行場だった雄島には50もの岩窟群が残されている。 霊場の面影が未だ色濃い、稀有な島である。 塩釜市を経て、仙台市の日和山へ。 標高わずか3mながら、「滑落注意」など洒落のきいた看板は愛らしさ満点。 あれほどの苦難を経てもなお、遊び心を忘れないことの尊さを思う。 さらに南下し、震災遺構の残る荒浜を散策。 そして、茜さす名取市の日和山に至る。 元々は海を見渡すために盛られた人工の山。 酸いも甘いも知る今も、変わらず閖上の復興を見守っている。 終着地は、名取ゆりあげ温泉。 2020年に出来たばかりの館内で、食欲と入浴もとい入欲を戦わせると、入欲に軍配! 塩分強めの塩化物泉を堪能した後、塩分控えめのうどんをすすり込んで締めとした。 ---------- 大震災から1年後、『BE-PAL』誌の付録として1984年の本が復刻されました。 『横井庄一のサバイバル極意書』です。 横井さんは第二次世界大戦の残留日本兵。 終戦後28年もの間、文字通りの裸一貫、グアム島で自給自足を続けていた方です。 初版にはこんな副題がありました。 『もっと困れ!』 極端なあまり、復刻版では削除されたほどですが、これにはどきりとさせられました。 「このごろの人は、困り方が足りないんだと思う」。「便利な道具に囲まれていたら、逆に生き残れなかったんじゃないかと思うよ。だって楽だもの」とも。 彼が日本に帰って50年、亡くなって25年。 未だ世界は戦火に燃え、絶えない災害に耐え、それでも生活は続いていきます。 この本には遠く及ばないながら、もっと「困れる」ようにしていかねばと思います。 山に行くのも、便利さをひととき手放す一環として。
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