六道輪廻ヶ岳〈小楠公〉

2022.03.11(金) 日帰り

6️⃣百番台に[六]のつく山へのぼる企画。 目指すは、前から気になっていた 「六道輪廻ヶ岳」。 🔖----------六道輪廻 この世に生きるすべてのものは、六道の世界に生と死を何度も繰り返して、さまよい続けるということ。「六道」は生前の行為の善悪によって死後に行き先が決まる六つの世界。 ・天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごす。 ・人間道は人間が住む世界。四苦八苦に悩まされる。 ・修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界。 ・畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬ。 ・餓鬼道は餓鬼の世界。腹が膨れた姿の鬼になる。 ・地獄道は罪を償わせるための世界。地下の世界で、上下に八層重なっている。 …前から気になっていたが、すごい名前。 いったい、どんな山なんだ? 現地に行けば、由来がわかるかな? ワクワク 📝今日のコース; 四條畷神社から続日本百名城160飯盛城跡があり、小楠公の銅像もたつ飯盛山を経由。 裏山にあたる六道輪廻ヶ岳を通って、野崎観音へおりる。 ・今回のピーク: 飯盛山・六道輪廻ヶ岳・竜間山 …700山まで、あと一座。 ※くわしいメモを写真に追記

周囲の転勤のどさくさにまぎれて午後半休。
この日は健康診断があり、朝食抜きなのでちからがでない。
スタート地点の四條畷神社まえPに駐車。
500円/1日。

周囲の転勤のどさくさにまぎれて午後半休。 この日は健康診断があり、朝食抜きなのでちからがでない。 スタート地点の四條畷神社まえPに駐車。 500円/1日。

周囲の転勤のどさくさにまぎれて午後半休。 この日は健康診断があり、朝食抜きなのでちからがでない。 スタート地点の四條畷神社まえPに駐車。 500円/1日。

四條畷神社からスタート。

四條畷神社からスタート。

四條畷神社からスタート。

🔖----------四條畷神社
南北朝時代、四條畷の合戦で足利軍との戦いに敗れた楠木正行とその一族の将士24人を祀る神社。明治23年(1890)に創建された。

🔖----------四條畷神社 南北朝時代、四條畷の合戦で足利軍との戦いに敗れた楠木正行とその一族の将士24人を祀る神社。明治23年(1890)に創建された。

🔖----------四條畷神社 南北朝時代、四條畷の合戦で足利軍との戦いに敗れた楠木正行とその一族の将士24人を祀る神社。明治23年(1890)に創建された。

🔖----------楠木正行①
大楠公と称される父、楠木正成の嫡男で、「小楠公」としていまも多くの人に慕われる「忠孝両全」の名将。

正成は最後の戦いとなった湊川(現神戸市中央区)に出陣する際、桜井(現大阪府三島郡島本町)で、息子の正行に、形見の短刀と戦に向かう本軍よりも多い兵を残し、
「父の死後は足利の天下となるだろうが、どこまでも正統の天皇をお守りせよ。それが父への孝行となる」と遺言する。

楠父子の「桜井の別れ」の石像

🔖----------楠木正行① 大楠公と称される父、楠木正成の嫡男で、「小楠公」としていまも多くの人に慕われる「忠孝両全」の名将。 正成は最後の戦いとなった湊川(現神戸市中央区)に出陣する際、桜井(現大阪府三島郡島本町)で、息子の正行に、形見の短刀と戦に向かう本軍よりも多い兵を残し、 「父の死後は足利の天下となるだろうが、どこまでも正統の天皇をお守りせよ。それが父への孝行となる」と遺言する。 楠父子の「桜井の別れ」の石像

🔖----------楠木正行① 大楠公と称される父、楠木正成の嫡男で、「小楠公」としていまも多くの人に慕われる「忠孝両全」の名将。 正成は最後の戦いとなった湊川(現神戸市中央区)に出陣する際、桜井(現大阪府三島郡島本町)で、息子の正行に、形見の短刀と戦に向かう本軍よりも多い兵を残し、 「父の死後は足利の天下となるだろうが、どこまでも正統の天皇をお守りせよ。それが父への孝行となる」と遺言する。 楠父子の「桜井の別れ」の石像

🔖----------楠木正行②
父の死後、尊氏の温情で戻されてきたその首級を見て、形見の短刀で自害しようとした正行だが、「桜井の駅で父は死ねと教えたか?」と母に諭されて奮起。十三回忌を終えると挙兵し、足利尊氏が仕向けた軍を撃破する。

楠母、子に教え諭すの石像

🔖----------楠木正行② 父の死後、尊氏の温情で戻されてきたその首級を見て、形見の短刀で自害しようとした正行だが、「桜井の駅で父は死ねと教えたか?」と母に諭されて奮起。十三回忌を終えると挙兵し、足利尊氏が仕向けた軍を撃破する。 楠母、子に教え諭すの石像

🔖----------楠木正行② 父の死後、尊氏の温情で戻されてきたその首級を見て、形見の短刀で自害しようとした正行だが、「桜井の駅で父は死ねと教えたか?」と母に諭されて奮起。十三回忌を終えると挙兵し、足利尊氏が仕向けた軍を撃破する。 楠母、子に教え諭すの石像

🔖----------楠木正行③
父ゆずりの知略で奮戦する正行。
しかし勢力差は圧倒的で、北朝足利尊氏との和睦や大軍を迎え撃つ献策をするが、却下。
父同様に勝ち目のない激突を命じられた正行は、父と同じように形見の短刀と、戦へ向かう本軍よりも多くの留守兵を弟に残し、四條畷の合戦に赴くこととなる…

🔖----------楠木正行③ 父ゆずりの知略で奮戦する正行。 しかし勢力差は圧倒的で、北朝足利尊氏との和睦や大軍を迎え撃つ献策をするが、却下。 父同様に勝ち目のない激突を命じられた正行は、父と同じように形見の短刀と、戦へ向かう本軍よりも多くの留守兵を弟に残し、四條畷の合戦に赴くこととなる…

🔖----------楠木正行③ 父ゆずりの知略で奮戦する正行。 しかし勢力差は圧倒的で、北朝足利尊氏との和睦や大軍を迎え撃つ献策をするが、却下。 父同様に勝ち目のない激突を命じられた正行は、父と同じように形見の短刀と、戦へ向かう本軍よりも多くの留守兵を弟に残し、四條畷の合戦に赴くこととなる…

さて、飯盛山登山開始。

さて、飯盛山登山開始。

さて、飯盛山登山開始。

この日の気温は15℃。
登っていると汗が滲み、今年はじめて暑いと感じる💦

この日の気温は15℃。 登っていると汗が滲み、今年はじめて暑いと感じる💦

この日の気温は15℃。 登っていると汗が滲み、今年はじめて暑いと感じる💦

景観を楽しみながらよく整備されたハイキングコースを15分ほどのぼると、平坦な尾根にでる。
ここからが、飯盛山城跡。

景観を楽しみながらよく整備されたハイキングコースを15分ほどのぼると、平坦な尾根にでる。 ここからが、飯盛山城跡。

景観を楽しみながらよく整備されたハイキングコースを15分ほどのぼると、平坦な尾根にでる。 ここからが、飯盛山城跡。

🔖----------三好長慶
飯盛山城を築いた、NHK大河ドラマの主役に推されるほどの武将。

阿波の守護代から出て、主家である細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好政権を樹立。その後は足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に争い、時に和議を結び畿内の支配者として君臨した。
当時の「天下」はいわゆる畿内を指すので、まさに最初の天下人。
この飯盛山城は、その三好長慶が絶頂期に築いた、まさに天下人の城だった。

※この旗は、山頂にあり。

🔖----------三好長慶 飯盛山城を築いた、NHK大河ドラマの主役に推されるほどの武将。 阿波の守護代から出て、主家である細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好政権を樹立。その後は足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に争い、時に和議を結び畿内の支配者として君臨した。 当時の「天下」はいわゆる畿内を指すので、まさに最初の天下人。 この飯盛山城は、その三好長慶が絶頂期に築いた、まさに天下人の城だった。 ※この旗は、山頂にあり。

🔖----------三好長慶 飯盛山城を築いた、NHK大河ドラマの主役に推されるほどの武将。 阿波の守護代から出て、主家である細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好政権を樹立。その後は足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に争い、時に和議を結び畿内の支配者として君臨した。 当時の「天下」はいわゆる畿内を指すので、まさに最初の天下人。 この飯盛山城は、その三好長慶が絶頂期に築いた、まさに天下人の城だった。 ※この旗は、山頂にあり。

🔖----------飯盛山城
飯盛山の山頂、四條畷市と大東市にまたがり、南北約700m・東西約400m、西日本有数の規模を誇る。
平成29年4月6日に「続日本100名城」のひとつに選定され、令和3年10月11日に国の史跡に指定された。
※転載

🔖----------飯盛山城 飯盛山の山頂、四條畷市と大東市にまたがり、南北約700m・東西約400m、西日本有数の規模を誇る。 平成29年4月6日に「続日本100名城」のひとつに選定され、令和3年10月11日に国の史跡に指定された。 ※転載

🔖----------飯盛山城 飯盛山の山頂、四條畷市と大東市にまたがり、南北約700m・東西約400m、西日本有数の規模を誇る。 平成29年4月6日に「続日本100名城」のひとつに選定され、令和3年10月11日に国の史跡に指定された。 ※転載

この飯盛山城は、天下人の城にふさわしく眺望絶好。大きいだけでなく、曲輪や堀切・土橋といった工夫を凝らした防御施設が並び、それが良好な状態で残っている。
ここからは、この大城郭のうえを、遺構を見ながらあるいていく。
※現在地は、現在地ではありません。

この飯盛山城は、天下人の城にふさわしく眺望絶好。大きいだけでなく、曲輪や堀切・土橋といった工夫を凝らした防御施設が並び、それが良好な状態で残っている。 ここからは、この大城郭のうえを、遺構を見ながらあるいていく。 ※現在地は、現在地ではありません。

この飯盛山城は、天下人の城にふさわしく眺望絶好。大きいだけでなく、曲輪や堀切・土橋といった工夫を凝らした防御施設が並び、それが良好な状態で残っている。 ここからは、この大城郭のうえを、遺構を見ながらあるいていく。 ※現在地は、現在地ではありません。

飯盛山城の守り①切岸跡
いまは階段があり斜度も緩くなっているが、往時はもっと切り立っていた。垂直に近いほどの斜面が、敵の侵入を跳ね返す。

飯盛山城の守り①切岸跡 いまは階段があり斜度も緩くなっているが、往時はもっと切り立っていた。垂直に近いほどの斜面が、敵の侵入を跳ね返す。

飯盛山城の守り①切岸跡 いまは階段があり斜度も緩くなっているが、往時はもっと切り立っていた。垂直に近いほどの斜面が、敵の侵入を跳ね返す。

登りきると、大きく開けた展望所に至る。
飯盛山城の守り②二ノ丸史跡碑郭
ここからは、

登りきると、大きく開けた展望所に至る。 飯盛山城の守り②二ノ丸史跡碑郭 ここからは、

登りきると、大きく開けた展望所に至る。 飯盛山城の守り②二ノ丸史跡碑郭 ここからは、

河内国から、

河内国から、

河内国から、

摂津国、

摂津国、

摂津国、

京の都まで、まさに近畿天下を睥睨をする。

京の都まで、まさに近畿天下を睥睨をする。

京の都まで、まさに近畿天下を睥睨をする。

飯盛山城の守り③大堀切
尾根を、すぱーーーーーーーん!
と断ち切っている。高さは5m以上。
かつてはもっと深く、鋭かったはず。
掛けられていたであろう橋を落とされると、渡るのは不可能。

飯盛山城の守り③大堀切 尾根を、すぱーーーーーーーん! と断ち切っている。高さは5m以上。 かつてはもっと深く、鋭かったはず。 掛けられていたであろう橋を落とされると、渡るのは不可能。

飯盛山城の守り③大堀切 尾根を、すぱーーーーーーーん! と断ち切っている。高さは5m以上。 かつてはもっと深く、鋭かったはず。 掛けられていたであろう橋を落とされると、渡るのは不可能。

飯盛山城の守り④石垣
この城は、安土城に先んじて石垣が使用されていた。
ふもとから見上げる石垣に囲まれた城は、さぞ威容を誇ったことだろう。

飯盛山城の守り④石垣 この城は、安土城に先んじて石垣が使用されていた。 ふもとから見上げる石垣に囲まれた城は、さぞ威容を誇ったことだろう。

飯盛山城の守り④石垣 この城は、安土城に先んじて石垣が使用されていた。 ふもとから見上げる石垣に囲まれた城は、さぞ威容を誇ったことだろう。

飯盛山城の守り⑤二ノ丸御体塚郭
死後の一時、三好長慶の遺体はこの郭に置かれた。

飯盛山城の守り⑤二ノ丸御体塚郭 死後の一時、三好長慶の遺体はこの郭に置かれた。

飯盛山城の守り⑤二ノ丸御体塚郭 死後の一時、三好長慶の遺体はこの郭に置かれた。

飯盛山城の守り⑦本丸展望台郭

飯盛山城の守り⑦本丸展望台郭

飯盛山城の守り⑦本丸展望台郭

絶好の展望だが、春霞でボンヤリ。

絶好の展望だが、春霞でボンヤリ。

絶好の展望だが、春霞でボンヤリ。

スッキリしていたら、こんな景色が見られる。
ここは、寒い冬に来るところかな。

スッキリしていたら、こんな景色が見られる。 ここは、寒い冬に来るところかな。

スッキリしていたら、こんな景色が見られる。 ここは、寒い冬に来るところかな。

飯盛山城の守り⑧本丸高櫓郭

飯盛山城の守り⑧本丸高櫓郭

飯盛山城の守り⑧本丸高櫓郭

山頂には、小楠公の像がたつ。

🔖----------楠木正行④
敗けのわかった合戦で、高師直・師泰の大軍を相手に正行は弟正時と奮戦。敵大将高師直を討ち取ったかと思ったが、それが影武者。
勝敗は決し、正行は弟と刺し違え自刃する。
この後、正行は神となり四條畷神社に祀られ、いまも人々の記憶に残りつづけている。

…飯盛山頂に立つ小楠公像。
この像を撮影するのも、今回の行程の大切なミッションのひとつ
湊川の父の像と違い、こちらの背景はうす曇りの白。
高いところにあり、かつ南を背にしているのできれいに撮れない。
ミッションの達成度合いは[乙]

山頂には、小楠公の像がたつ。 🔖----------楠木正行④ 敗けのわかった合戦で、高師直・師泰の大軍を相手に正行は弟正時と奮戦。敵大将高師直を討ち取ったかと思ったが、それが影武者。 勝敗は決し、正行は弟と刺し違え自刃する。 この後、正行は神となり四條畷神社に祀られ、いまも人々の記憶に残りつづけている。 …飯盛山頂に立つ小楠公像。 この像を撮影するのも、今回の行程の大切なミッションのひとつ 湊川の父の像と違い、こちらの背景はうす曇りの白。 高いところにあり、かつ南を背にしているのできれいに撮れない。 ミッションの達成度合いは[乙]

山頂には、小楠公の像がたつ。 🔖----------楠木正行④ 敗けのわかった合戦で、高師直・師泰の大軍を相手に正行は弟正時と奮戦。敵大将高師直を討ち取ったかと思ったが、それが影武者。 勝敗は決し、正行は弟と刺し違え自刃する。 この後、正行は神となり四條畷神社に祀られ、いまも人々の記憶に残りつづけている。 …飯盛山頂に立つ小楠公像。 この像を撮影するのも、今回の行程の大切なミッションのひとつ 湊川の父の像と違い、こちらの背景はうす曇りの白。 高いところにあり、かつ南を背にしているのできれいに撮れない。 ミッションの達成度合いは[乙]

🔖----------「情は人の為ならず」
小楠公を無念の敗北に追いやった高師直の影武者上山六郎左衛門に関する話。

北朝の武士・上山六郎左衛門は急な敵襲の際、師直の甲冑を無断拝借し、高家の配下ともめ事を起こす。
そこに現れた師直は配下を諌め、
「この上山殿は、私に替わって戦って下さろうとしている方。そのような御仁のためなら、鎧一領など惜しくはない」
と上山の非常識な振る舞いを快く許したばかりか、大切な鎧までも彼に与えてやる。
その思いやりに感じ入った六郎左衛門は楠木正行の突撃で師直が窮地に陥った時、身代わりとなって戦い、自身は討ち死にしつつも師直を生かし、再起させた。
そのことを、太平記の著者は以下のように評している。
「情は人の為ならずとは斯様の事をぞ申すべき」

…敵にも味方にも人あり。

🔖----------「情は人の為ならず」 小楠公を無念の敗北に追いやった高師直の影武者上山六郎左衛門に関する話。 北朝の武士・上山六郎左衛門は急な敵襲の際、師直の甲冑を無断拝借し、高家の配下ともめ事を起こす。 そこに現れた師直は配下を諌め、 「この上山殿は、私に替わって戦って下さろうとしている方。そのような御仁のためなら、鎧一領など惜しくはない」 と上山の非常識な振る舞いを快く許したばかりか、大切な鎧までも彼に与えてやる。 その思いやりに感じ入った六郎左衛門は楠木正行の突撃で師直が窮地に陥った時、身代わりとなって戦い、自身は討ち死にしつつも師直を生かし、再起させた。 そのことを、太平記の著者は以下のように評している。 「情は人の為ならずとは斯様の事をぞ申すべき」 …敵にも味方にも人あり。

🔖----------「情は人の為ならず」 小楠公を無念の敗北に追いやった高師直の影武者上山六郎左衛門に関する話。 北朝の武士・上山六郎左衛門は急な敵襲の際、師直の甲冑を無断拝借し、高家の配下ともめ事を起こす。 そこに現れた師直は配下を諌め、 「この上山殿は、私に替わって戦って下さろうとしている方。そのような御仁のためなら、鎧一領など惜しくはない」 と上山の非常識な振る舞いを快く許したばかりか、大切な鎧までも彼に与えてやる。 その思いやりに感じ入った六郎左衛門は楠木正行の突撃で師直が窮地に陥った時、身代わりとなって戦い、自身は討ち死にしつつも師直を生かし、再起させた。 そのことを、太平記の著者は以下のように評している。 「情は人の為ならずとは斯様の事をぞ申すべき」 …敵にも味方にも人あり。

…飯盛山城鑑賞再開。

飯盛山城の守り⑧土橋
曲輪と曲輪を分断する堀切の一部を幅1メートル程度の堤状の道として残したもの。平時は曲輪間の連絡路に使うが、戦闘時にはこれを壊して曲輪の防衛力を高めることもできる。
土橋を残したままにした場合でも、攻城側が侵入するには一列になって進まざるを得ないため、守備側は攻め上がる敵兵を狙い撃ちできる地点となる。
飯盛城では、千畳敷郭と高櫓郭の間の堀切に、明瞭な形の土橋が残っている。

…飯盛山城鑑賞再開。 飯盛山城の守り⑧土橋 曲輪と曲輪を分断する堀切の一部を幅1メートル程度の堤状の道として残したもの。平時は曲輪間の連絡路に使うが、戦闘時にはこれを壊して曲輪の防衛力を高めることもできる。 土橋を残したままにした場合でも、攻城側が侵入するには一列になって進まざるを得ないため、守備側は攻め上がる敵兵を狙い撃ちできる地点となる。 飯盛城では、千畳敷郭と高櫓郭の間の堀切に、明瞭な形の土橋が残っている。

…飯盛山城鑑賞再開。 飯盛山城の守り⑧土橋 曲輪と曲輪を分断する堀切の一部を幅1メートル程度の堤状の道として残したもの。平時は曲輪間の連絡路に使うが、戦闘時にはこれを壊して曲輪の防衛力を高めることもできる。 土橋を残したままにした場合でも、攻城側が侵入するには一列になって進まざるを得ないため、守備側は攻め上がる敵兵を狙い撃ちできる地点となる。 飯盛城では、千畳敷郭と高櫓郭の間の堀切に、明瞭な形の土橋が残っている。

現在の土橋の両側面の堀切は土が堆積し斜度も緩くなり、木や草が生い茂っているため、渡るのにそれほどの恐怖感はないが、当時は土橋の両側はほとんど絶壁に見えたはずで、高櫓郭の守りを鉄壁にしていたと思われる。

現在の土橋の両側面の堀切は土が堆積し斜度も緩くなり、木や草が生い茂っているため、渡るのにそれほどの恐怖感はないが、当時は土橋の両側はほとんど絶壁に見えたはずで、高櫓郭の守りを鉄壁にしていたと思われる。

現在の土橋の両側面の堀切は土が堆積し斜度も緩くなり、木や草が生い茂っているため、渡るのにそれほどの恐怖感はないが、当時は土橋の両側はほとんど絶壁に見えたはずで、高櫓郭の守りを鉄壁にしていたと思われる。

飯盛山から六道輪廻ヶ岳を見る。
裏山なので、山の全景を見られる場所は、このコースでは、ない。

飯盛山から六道輪廻ヶ岳を見る。 裏山なので、山の全景を見られる場所は、このコースでは、ない。

飯盛山から六道輪廻ヶ岳を見る。 裏山なので、山の全景を見られる場所は、このコースでは、ない。

飯盛山城の守り⑨馬場跡

飯盛山城の守り⑨馬場跡

飯盛山城の守り⑨馬場跡

いまは、楠公寺がたつ。
その名のとおり、楠木正行をはじめ「四條畷の戦い」の戦死者を弔うために開山されたもの。

いまは、楠公寺がたつ。 その名のとおり、楠木正行をはじめ「四條畷の戦い」の戦死者を弔うために開山されたもの。

いまは、楠公寺がたつ。 その名のとおり、楠木正行をはじめ「四條畷の戦い」の戦死者を弔うために開山されたもの。

飯盛山をくだり、滝谷楠水の場へ。

飯盛山をくだり、滝谷楠水の場へ。

飯盛山をくだり、滝谷楠水の場へ。

滝谷には、かわいいオブジェがいっぱい。地蔵の石に、

滝谷には、かわいいオブジェがいっぱい。地蔵の石に、

滝谷には、かわいいオブジェがいっぱい。地蔵の石に、

切り株の🐰&🐨

切り株の🐰&🐨

切り株の🐰&🐨

🦉&🐈‍⬛&🦒

🦉&🐈‍⬛&🦒

🦉&🐈‍⬛&🦒

滝谷楠水の場。
もちろん、飲む
…まろやかで、やわらかい味。

滝谷楠水の場。 もちろん、飲む …まろやかで、やわらかい味。

滝谷楠水の場。 もちろん、飲む …まろやかで、やわらかい味。

ここから谷をのぼり、

ここから谷をのぼり、

ここから谷をのぼり、

六道輪廻ヶ岳の登り口。
さて、名前の由来につながる何かを見つけられるか…♪?

六道輪廻ヶ岳の登り口。 さて、名前の由来につながる何かを見つけられるか…♪?

六道輪廻ヶ岳の登り口。 さて、名前の由来につながる何かを見つけられるか…♪?

10分足らずで山頂に到着。

10分足らずで山頂に到着。

10分足らずで山頂に到着。

ドキドキワクワクしながら登った山頂には、
「六道輪廻」の札がふたつ。
…しかし、その名前に関連しそうなものは、何もない。

………かなり期待はずれ。(*_*)…

ドキドキワクワクしながら登った山頂には、 「六道輪廻」の札がふたつ。 …しかし、その名前に関連しそうなものは、何もない。 ………かなり期待はずれ。(*_*)…

ドキドキワクワクしながら登った山頂には、 「六道輪廻」の札がふたつ。 …しかし、その名前に関連しそうなものは、何もない。 ………かなり期待はずれ。(*_*)…

「鷲尾山展望台」というプレートもある。
こっちが本当の名前かな?

「鷲尾山展望台」というプレートもある。 こっちが本当の名前かな?

「鷲尾山展望台」というプレートもある。 こっちが本当の名前かな?

六道輪廻ヶ岳からの展望。
向こうに生駒山、手前にはモトクロスのサーキットがあり、爆音とオイルのにおいがここまで漂ってくる。

六道輪廻ヶ岳からの展望。 向こうに生駒山、手前にはモトクロスのサーキットがあり、爆音とオイルのにおいがここまで漂ってくる。

六道輪廻ヶ岳からの展望。 向こうに生駒山、手前にはモトクロスのサーキットがあり、爆音とオイルのにおいがここまで漂ってくる。

まったく手がかりも由来も関連しそうな何かもが見つけられないまま、六道輪廻ヶ岳から下山。
山自体も平凡で、印象的な名前に見合うものではなく、何かガッカリ🙍

こっちのミッションの達成度合いは[丙]

まったく手がかりも由来も関連しそうな何かもが見つけられないまま、六道輪廻ヶ岳から下山。 山自体も平凡で、印象的な名前に見合うものではなく、何かガッカリ🙍 こっちのミッションの達成度合いは[丙]

まったく手がかりも由来も関連しそうな何かもが見つけられないまま、六道輪廻ヶ岳から下山。 山自体も平凡で、印象的な名前に見合うものではなく、何かガッカリ🙍 こっちのミッションの達成度合いは[丙]

ここから、竜間山を経由して下山する。
練習中の大学野球部のグラウンド脇を通り、

ここから、竜間山を経由して下山する。 練習中の大学野球部のグラウンド脇を通り、

ここから、竜間山を経由して下山する。 練習中の大学野球部のグラウンド脇を通り、

竜間山上には貯水施設があり、道はあるが立入禁止🚧

竜間山上には貯水施設があり、道はあるが立入禁止🚧

竜間山上には貯水施設があり、道はあるが立入禁止🚧

まわりは擁壁に固められ、登攀不能。

まわりは擁壁に固められ、登攀不能。

まわりは擁壁に固められ、登攀不能。

結局、竜間山への登り道は見つけられず。
山頂は踏まず、100mルールのピークハント。

結局、竜間山への登り道は見つけられず。 山頂は踏まず、100mルールのピークハント。

結局、竜間山への登り道は見つけられず。 山頂は踏まず、100mルールのピークハント。

ここから延々とコンクリートの下り坂。

ここから延々とコンクリートの下り坂。

ここから延々とコンクリートの下り坂。

六甲縦走路のラスト塩尾寺の激くだりにも負けない↘️。

六甲縦走路のラスト塩尾寺の激くだりにも負けない↘️。

六甲縦走路のラスト塩尾寺の激くだりにも負けない↘️。

途中、大阪平野の好景。

途中、大阪平野の好景。

途中、大阪平野の好景。

膝に負担を感じ始めたころ、住宅地に下山。

膝に負担を感じ始めたころ、住宅地に下山。

膝に負担を感じ始めたころ、住宅地に下山。

さいごに、野崎観音を訪問。

さいごに、野崎観音を訪問。

さいごに、野崎観音を訪問。

平安時代の、淀川の右岸(現東淀川区)江口の里の白拍子江口ノ君が、病を十一面観音様に治してもらったお礼に寺を再興したことから、安産・子授け・病気平癒・縁結びなど、あらゆる女性の願いに御利益ありおされている。

平安時代の、淀川の右岸(現東淀川区)江口の里の白拍子江口ノ君が、病を十一面観音様に治してもらったお礼に寺を再興したことから、安産・子授け・病気平癒・縁結びなど、あらゆる女性の願いに御利益ありおされている。

平安時代の、淀川の右岸(現東淀川区)江口の里の白拍子江口ノ君が、病を十一面観音様に治してもらったお礼に寺を再興したことから、安産・子授け・病気平癒・縁結びなど、あらゆる女性の願いに御利益ありおされている。

「胎中安穏」「安産吉祥」御守り安産の張り子戌等がすずなり状態。

「胎中安穏」「安産吉祥」御守り安産の張り子戌等がすずなり状態。

「胎中安穏」「安産吉祥」御守り安産の張り子戌等がすずなり状態。

山道を下山して、本日の行程終了。
通算700座まで、あと一山。

山道を下山して、本日の行程終了。 通算700座まで、あと一山。

山道を下山して、本日の行程終了。 通算700座まで、あと一山。

余談;
東高野街道をあるき、車を停めた四條畷神社までの2キロをもどる。
途中、したから見上げる飯盛山。
かつてはあの尾根の端から端まで、城が築かれていたのだ。

余談; 東高野街道をあるき、車を停めた四條畷神社までの2キロをもどる。 途中、したから見上げる飯盛山。 かつてはあの尾根の端から端まで、城が築かれていたのだ。

余談; 東高野街道をあるき、車を停めた四條畷神社までの2キロをもどる。 途中、したから見上げる飯盛山。 かつてはあの尾根の端から端まで、城が築かれていたのだ。

周囲の転勤のどさくさにまぎれて午後半休。 この日は健康診断があり、朝食抜きなのでちからがでない。 スタート地点の四條畷神社まえPに駐車。 500円/1日。

四條畷神社からスタート。

🔖----------四條畷神社 南北朝時代、四條畷の合戦で足利軍との戦いに敗れた楠木正行とその一族の将士24人を祀る神社。明治23年(1890)に創建された。

🔖----------楠木正行① 大楠公と称される父、楠木正成の嫡男で、「小楠公」としていまも多くの人に慕われる「忠孝両全」の名将。 正成は最後の戦いとなった湊川(現神戸市中央区)に出陣する際、桜井(現大阪府三島郡島本町)で、息子の正行に、形見の短刀と戦に向かう本軍よりも多い兵を残し、 「父の死後は足利の天下となるだろうが、どこまでも正統の天皇をお守りせよ。それが父への孝行となる」と遺言する。 楠父子の「桜井の別れ」の石像

🔖----------楠木正行② 父の死後、尊氏の温情で戻されてきたその首級を見て、形見の短刀で自害しようとした正行だが、「桜井の駅で父は死ねと教えたか?」と母に諭されて奮起。十三回忌を終えると挙兵し、足利尊氏が仕向けた軍を撃破する。 楠母、子に教え諭すの石像

🔖----------楠木正行③ 父ゆずりの知略で奮戦する正行。 しかし勢力差は圧倒的で、北朝足利尊氏との和睦や大軍を迎え撃つ献策をするが、却下。 父同様に勝ち目のない激突を命じられた正行は、父と同じように形見の短刀と、戦へ向かう本軍よりも多くの留守兵を弟に残し、四條畷の合戦に赴くこととなる…

さて、飯盛山登山開始。

この日の気温は15℃。 登っていると汗が滲み、今年はじめて暑いと感じる💦

景観を楽しみながらよく整備されたハイキングコースを15分ほどのぼると、平坦な尾根にでる。 ここからが、飯盛山城跡。

🔖----------三好長慶 飯盛山城を築いた、NHK大河ドラマの主役に推されるほどの武将。 阿波の守護代から出て、主家である細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好政権を樹立。その後は足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に争い、時に和議を結び畿内の支配者として君臨した。 当時の「天下」はいわゆる畿内を指すので、まさに最初の天下人。 この飯盛山城は、その三好長慶が絶頂期に築いた、まさに天下人の城だった。 ※この旗は、山頂にあり。

🔖----------飯盛山城 飯盛山の山頂、四條畷市と大東市にまたがり、南北約700m・東西約400m、西日本有数の規模を誇る。 平成29年4月6日に「続日本100名城」のひとつに選定され、令和3年10月11日に国の史跡に指定された。 ※転載

この飯盛山城は、天下人の城にふさわしく眺望絶好。大きいだけでなく、曲輪や堀切・土橋といった工夫を凝らした防御施設が並び、それが良好な状態で残っている。 ここからは、この大城郭のうえを、遺構を見ながらあるいていく。 ※現在地は、現在地ではありません。

飯盛山城の守り①切岸跡 いまは階段があり斜度も緩くなっているが、往時はもっと切り立っていた。垂直に近いほどの斜面が、敵の侵入を跳ね返す。

登りきると、大きく開けた展望所に至る。 飯盛山城の守り②二ノ丸史跡碑郭 ここからは、

河内国から、

摂津国、

京の都まで、まさに近畿天下を睥睨をする。

飯盛山城の守り③大堀切 尾根を、すぱーーーーーーーん! と断ち切っている。高さは5m以上。 かつてはもっと深く、鋭かったはず。 掛けられていたであろう橋を落とされると、渡るのは不可能。

飯盛山城の守り④石垣 この城は、安土城に先んじて石垣が使用されていた。 ふもとから見上げる石垣に囲まれた城は、さぞ威容を誇ったことだろう。

飯盛山城の守り⑤二ノ丸御体塚郭 死後の一時、三好長慶の遺体はこの郭に置かれた。

飯盛山城の守り⑦本丸展望台郭

絶好の展望だが、春霞でボンヤリ。

スッキリしていたら、こんな景色が見られる。 ここは、寒い冬に来るところかな。

飯盛山城の守り⑧本丸高櫓郭

山頂には、小楠公の像がたつ。 🔖----------楠木正行④ 敗けのわかった合戦で、高師直・師泰の大軍を相手に正行は弟正時と奮戦。敵大将高師直を討ち取ったかと思ったが、それが影武者。 勝敗は決し、正行は弟と刺し違え自刃する。 この後、正行は神となり四條畷神社に祀られ、いまも人々の記憶に残りつづけている。 …飯盛山頂に立つ小楠公像。 この像を撮影するのも、今回の行程の大切なミッションのひとつ 湊川の父の像と違い、こちらの背景はうす曇りの白。 高いところにあり、かつ南を背にしているのできれいに撮れない。 ミッションの達成度合いは[乙]

🔖----------「情は人の為ならず」 小楠公を無念の敗北に追いやった高師直の影武者上山六郎左衛門に関する話。 北朝の武士・上山六郎左衛門は急な敵襲の際、師直の甲冑を無断拝借し、高家の配下ともめ事を起こす。 そこに現れた師直は配下を諌め、 「この上山殿は、私に替わって戦って下さろうとしている方。そのような御仁のためなら、鎧一領など惜しくはない」 と上山の非常識な振る舞いを快く許したばかりか、大切な鎧までも彼に与えてやる。 その思いやりに感じ入った六郎左衛門は楠木正行の突撃で師直が窮地に陥った時、身代わりとなって戦い、自身は討ち死にしつつも師直を生かし、再起させた。 そのことを、太平記の著者は以下のように評している。 「情は人の為ならずとは斯様の事をぞ申すべき」 …敵にも味方にも人あり。

…飯盛山城鑑賞再開。 飯盛山城の守り⑧土橋 曲輪と曲輪を分断する堀切の一部を幅1メートル程度の堤状の道として残したもの。平時は曲輪間の連絡路に使うが、戦闘時にはこれを壊して曲輪の防衛力を高めることもできる。 土橋を残したままにした場合でも、攻城側が侵入するには一列になって進まざるを得ないため、守備側は攻め上がる敵兵を狙い撃ちできる地点となる。 飯盛城では、千畳敷郭と高櫓郭の間の堀切に、明瞭な形の土橋が残っている。

現在の土橋の両側面の堀切は土が堆積し斜度も緩くなり、木や草が生い茂っているため、渡るのにそれほどの恐怖感はないが、当時は土橋の両側はほとんど絶壁に見えたはずで、高櫓郭の守りを鉄壁にしていたと思われる。

飯盛山から六道輪廻ヶ岳を見る。 裏山なので、山の全景を見られる場所は、このコースでは、ない。

飯盛山城の守り⑨馬場跡

いまは、楠公寺がたつ。 その名のとおり、楠木正行をはじめ「四條畷の戦い」の戦死者を弔うために開山されたもの。

飯盛山をくだり、滝谷楠水の場へ。

滝谷には、かわいいオブジェがいっぱい。地蔵の石に、

切り株の🐰&🐨

🦉&🐈‍⬛&🦒

滝谷楠水の場。 もちろん、飲む …まろやかで、やわらかい味。

ここから谷をのぼり、

六道輪廻ヶ岳の登り口。 さて、名前の由来につながる何かを見つけられるか…♪?

10分足らずで山頂に到着。

ドキドキワクワクしながら登った山頂には、 「六道輪廻」の札がふたつ。 …しかし、その名前に関連しそうなものは、何もない。 ………かなり期待はずれ。(*_*)…

「鷲尾山展望台」というプレートもある。 こっちが本当の名前かな?

六道輪廻ヶ岳からの展望。 向こうに生駒山、手前にはモトクロスのサーキットがあり、爆音とオイルのにおいがここまで漂ってくる。

まったく手がかりも由来も関連しそうな何かもが見つけられないまま、六道輪廻ヶ岳から下山。 山自体も平凡で、印象的な名前に見合うものではなく、何かガッカリ🙍 こっちのミッションの達成度合いは[丙]

ここから、竜間山を経由して下山する。 練習中の大学野球部のグラウンド脇を通り、

竜間山上には貯水施設があり、道はあるが立入禁止🚧

まわりは擁壁に固められ、登攀不能。

結局、竜間山への登り道は見つけられず。 山頂は踏まず、100mルールのピークハント。

ここから延々とコンクリートの下り坂。

六甲縦走路のラスト塩尾寺の激くだりにも負けない↘️。

途中、大阪平野の好景。

膝に負担を感じ始めたころ、住宅地に下山。

さいごに、野崎観音を訪問。

平安時代の、淀川の右岸(現東淀川区)江口の里の白拍子江口ノ君が、病を十一面観音様に治してもらったお礼に寺を再興したことから、安産・子授け・病気平癒・縁結びなど、あらゆる女性の願いに御利益ありおされている。

「胎中安穏」「安産吉祥」御守り安産の張り子戌等がすずなり状態。

山道を下山して、本日の行程終了。 通算700座まで、あと一山。

余談; 東高野街道をあるき、車を停めた四條畷神社までの2キロをもどる。 途中、したから見上げる飯盛山。 かつてはあの尾根の端から端まで、城が築かれていたのだ。