高速使えば札幌から1時間ちょっとで門別に着きました。明治11年、かつてここをイギリス人女性が川をさかのぼり、奥地のアイヌ部落だった平取を目指したそうです。いつか辿りたいと思っていた15kmのフットパス行きを、晴れた6月の平日に実行できました。 昔の面影残す道は殆ど残っていませんが、低い丘陵に挟まれ、中央に川が流れる土地の形状は変わらず、同じ景色をイザベラも眺めたことでしょう。途中で道を間違えてしまい、フットパスのガイド地図を携行しておけばよかったと後悔。スタートの図書館でもらえたらしいのですが、あいにくの休館日でした。 今回双眼鏡と鳥のガイドブックを持って行ったおかげで、歩く楽しみが増えました。ヒバリ、トンビ、ノビタキやコムクドリを真近で見られたり、キジやカッコウ、ツツドリ他の囀りを聞きながら歩けました。 さてイザベラは最果ての地と考えた平取に着いて何を思ったのか、アイヌの人々との交流やアイヌ文化に触れ、何を得て帰ったのか、150年近く経ったいま、そんなことを思い巡らしながらの日帰り旅でした。
スタート標識はここ門別図書館郷土資料館にあった。大橋渡り門別警察署手前の細道を左折、その先にドームが見える。
フットパスのスタートは先ず川へ向かう道から。気持ちのいい空だ。とんびが低空を回っている。いい天気で良かった!
所々に説明の看板あり。読んで当時を想像しながら歩ける。
川の堤防の道を離れ町道に出ると、サラブレッドの牧場が広がる。日本でないような景色が広がっていた。
木の柵で囲まれた牧場。悠然と草を食む馬たち。
道の両側にこんな景色が広がっている。人とすれ違うことはない。時折車が通るだけ。遠くでカッコウが鳴く。
アスファルトを突き破るフキ。出くわすたびいつも思う、どこにこんな力があるのかと。
紫雲古津川向大橋で沙流川に戻る。大きくて高い橋だ。この橋のたもとの川岸でイザベラは舟に乗り、上流の平取集落を目指した。
橋から平取方面を望む。下に見える川岸から乗船したようだ。昔はもっと蛇行していたらしい。この日の川は濁り流れが速かった。
橋を渡ってすぐ右に折れ、川の堤防の道を北上する。川沿いに続く大きな平原は鳥たちの楽園だ。
右奥の丘陵地はアイヌ伝承の地。鳥達が飛び交い、イタドリに留まる鳥を双眼鏡で覗き鳥ガイドブックで調べてみる。へえ、ノビタキって鳥なんだ。
9番のサインで川を離れ国道方向へ向かう。
トマトのビニルハウスが遠くに広がる。ここはおいしいトマト、ニシパの恋人の産地。
10番で左折。この後道に迷う。11番辺りで工事がありサインを見失ってしまう。結果国道を延々歩く羽目に。辛かった。フットパスルートの地図を持っておけばよかったと後悔。
11〜18を飛ばし19で坂をのぼり、この20番から林の道を歩く。
国道のアスファルトの照り返しを終え、日を遮る道は涼しく有り難い。
終着点義経神社鳥居トウチャコ。はるばるヨーロッパから当時の地図で地の果てと思ったこの地に辿り着いて。果てという感じからは程遠いこの地で何を思ったろう。
鳥居の前、参道突き当りの空き地。イザベラが滞在した族長ペンリウクの小屋はこの辺りか。
義経神社にのぼる階段。ひっそりとたたずむ。のぼりきってこの旅を終えるとしよう。
義経神社拝殿。
鳥居前にバス停あり。4時過ぎの最終バスに乗り富川北で下車。歩いて大橋を渡り、車を駐めた図書館へ戻る。