空海が唐から帰国後、都に行くことは禁止されて2年も待たされた場所、観世音寺に興味があったので訪ねてみる。 調べてみると日田街道の出合いがあるらしく、下山後、街道歩きモードに切り替えそのまま歩く。 ローカル過ぎて地元の人向けの記録になった。しかしながら、やはり現地を歩いて、肌で沢山のことを感じたり、いろいろな発見があった街道歩きになった😃
このあたりを歩く
大宰府駅から再出発
おむすび屋
腹ごしらえ
海苔がしっとりする前に食べるとバラけた😅 手に明太子が、、、。
道真公に関係のあった牛車の牛がなくなったとか。
大通り、ここから日田街道出合いまで一本道。
空地は遺跡跡
観世音寺に到着
森の中のお寺
本堂、石塔の配置が変わっている。
千社札、ふと思ったが増えないから貴重に見える 今後はこんなもの貼る人はいないかな。
宝蔵へ
御朱印いただく。
宝蔵の中に5mクラスの巨像が沢山、ちょっと驚いた。
隣に戒壇院
石塔がまん中
鑑真さんゆかりのお寺で ここで僧侶がいない日本で 受戒した場所。 そういえば日本仏教史には そのような時があったことを思い出す。
御朱印
大宰府跡や観世音寺跡など 歩いてみてわかったがなかなか広い土地に巨大な施設とかあったようだ。 空海もこのあたりで2年過ごしたんやな。
戒壇院入口
いろいろあったようだ。
道路の反対側は普通町並み こちら側は史跡あとの空地。ギャップがいい。 何となく奈良のような感じ。
このあたりは万葉集に詠まれた場所があちこちあるとか。
大宰府跡の一部、柱の基礎。
180度パノラマかなり広いけど写真ではその広さが伝わらないなぁ。
正面より
この敷地が昔は田んぼだった。
地元の協力もあり、現在に至っているとか。
その記録
道路に突然の鳥居
目的地の日田街道出合いに到着。
元禄の文字
ここが大宰府天満宮へ向けての一番目の鳥居とのこと。日田街道に到着したのでそのまま、福岡方面へ北上します。
この場所の説明。
狭い道だが日田街道。
関所とかいろいろあったようだ。
関所跡
街道沿いに案内が少しあり助かる。
道真公ゆかりの地
道真公みたいな人はあちこちにゆかりの土地が増えてしまう。
水城跡?何だろうと思いながら到着。
あの上の展望台に登る
正面の丘陵から1キロぐらいの間に作った。高さ10m土塁らしい。
このあたりは昔から交通の要らしく、この下に大きな門があったらしい。正面は土塁。
北側方面
人口の山(土塁)を作り、西と東に出入りの巨大な門を作り、大陸からの侵入に備えたらしい。
その門の基礎石らしい。
これが土塁? ちょっとした丘みたい。どれだけの労力がいったのだろうか。
大陸からの侵入を防ぐ壁、島国のでの壁。 何だか進撃の巨人をふと思い出す。
この説明で納得😄
昔、大宰府へ行く時は海から東門や西門を通り、 水城跡の奥の土地に入ったようだ。この写真でよくわかる、海からみた風景。
高速、国道、旧街道が交わる、今も交通の要。
住宅地を歩く。
初めて見た、アスファルトの案内。
大宰府から大野城へ
夕暮れをぼちぼち歩く。
今日はここまで、この先は行く機会あるかな。
白木原駅でとりあえず終了。今日はよく歩いた。