四国歩き遍路 輪繋ぎと出帆(47日目)
四国遍路その21
(徳島, 香川)
2023.01.25(水)
日帰り
★行程ダイジェスト★
ビジネスホテルポケット→(車)→鳴門駅・駐車→(鉄道)→讃岐相生駅→大坂越→卯辰越→▲大麻山→大麻比古神社→1霊山寺→十輪寺(談義所)→東林院(種蒔大師)→長谷寺→▲妙見山→岡崎海岸(旧撫養港)→鳴門駅・車回収《帰宅》
1番への輪繋ぎが完了し、鳴門、旧撫養(むや)港である岡崎海岸へ向かいます。高野山へ徒歩で行くとして、船のない場所は仕方ないので、港までは行こうという形です。南海道は撫養港から、淡路島の福良港へということになります。前夜が記録的寒波と言われており、積雪を気にしながらの就寝でしたが、さて、どうでしたでしょうか。
主治医の許可および治療に資する旨の助言は得て行っています。念のため。(知ってる人が見ると、邪推されますので。)
【輪繋ぎ先】
四国八十八箇所霊場巡拝、お遍路の最大目標は、弘法大師空海の足跡を訪ねて、88か所の札所を回ることにあります。しかし、せっかく四国をぐるっと回ってきたのだから、1番へ戻りたい、軌跡を輪にしたいというのは、案外自然な気持ちかもしれません。あるいは、昔の旅人ならば、88番から徒歩で高野山へ向かったので、三本松港または撫養港から高野山を目指すことになるわけです。
繋ぐと言っても道は様々ですが、最も近いのが10番 切幡寺への繋ぎです。次に「大坂越」と言われる3番 金泉寺への道。そして、今回ボクが取った「卯辰越」経由の1番 霊山寺への道です。切幡寺・金泉寺へ至っても、そのまま1番へ戻るのが普通ですが、ボクはそれならきれいな輪っかにしたいなと思いました。なので、卯辰越を選びました。
【列車が動くかどうか】
朝一番に確認したのは、前日の事もあったので、列車の運行状況でした。幸い、運休情報はありませんでした。鳴門駅へ向かう道中、路面状況を確認していましたが、「大丈夫そうだな」と思っていました。
6:33 鳴門駅発桑野行きに乗車。池谷(いけのたに)駅で高松行きに乗り換え。この高松行きの車掌さんのアナウンスが、非常に昭和チックで良かったです。例えば、阿波大宮駅へ向かう時、「次は大宮です」とそれだけ(笑) 讃岐相生駅の時など、何と言ったのか聞き取れなかったぐらいです。これで良いんです(笑)
途中、板東駅から、北方の山を見ましたが、冠雪はありませんでした。となると、問題は雪はないが路面が凍っている場合になるなと思っていました。
【ダウンを着る】
讃岐相生駅に着いて、待合室で身支度。本当に珍しく、ダウンコートを着ました。暑がりですし、汗っかきなので、かえって汗冷えを警戒して着ないことが多いのですが、この日は流石に着ました。ただ、袖や正面のファスナーで体温調整しながら着ていました。ただし、お腹だけは暖かくしていました。よく冷やしますので。
【二足歩行の偉大さ】
大坂越の道に入っていき、大坂越の解説板を見ました。明治八年に改良された道らしく、これにより歩荷(ぼっか)から駄荷(だに)の道に変わったそうですが、逆に言えば、そうしないと牛馬は使えないわけです。まして、人類最大の発明なんて言われる車輪のついたものは、まだまだ使えないわけです。
そんな事考えていたら、案外、二足歩行って偉大よなぁと思っていました。
二足歩行で行ける場所に、動力付きの機械で行くとすれば、キャタピラぐらいしかないと思うんですが、二足歩行ほどコンパクトではないですもんね。
そもそも、人間の体というものが、隅々まで、最古の最新鋭機構だらけで、人間の英知を持ってしてもコピーしきれないものなんて山ほどあるのですから。身体は大事にしないともったいないですね。
【登って下ってまた登り】
大坂越から卯辰越まで、イメージとしては稜線トレイルのイメージだったので、調べていなかったのですが、現地に行くと、大坂越から卯辰越までの標高の投げ出しっぷりが…。そして、卯辰越までの県道の坂の上り具合が…。結構堪えました。
【なぜ大麻山に登るのか】
卯辰越から1番 霊山寺に戻るにしても、本来、大麻山に登る必要はありません。しかし、ちょっと考えたのです。
お大師様自身は、あるいは昔のお遍路さんたちは、神仏両参りが普通で、寺に限定されたのはあくまで神仏分離令の影響なわけです。そう考えると、阿波一宮として名高い大麻比古神社の背後の奥宮である大麻山の山頂、峯神社に、お大師様が参らないわけはないよなと、そう思ったわけです。
ちなみに、諸説あるそうですが、文献によっては1番 霊山寺は大麻比古神社の神宮寺であったとするものもあるので、大山祇神社と南光坊、石鎚神社と横峰寺・前神寺のように、本来的・本質的な札所は大麻比古神社なのかもしれません。
だから登るのです。ま、こだわりですよ。仕事でこだわりが過ぎると潰れるというのは、ずいぶん学んできましたが、遍路道ではこだわって良いんです。ここは自分自身の、自分のための道ですからね。
【直登!】
遍路は何かと一筆書きのルートが好きなように思います。打ち戻りは打ち戻りで発見はありますが、基本的には、次々新しい出会いが楽しい。なので、YAMAPの地図を見ながら、裏参道から入って、表参道へ出るルートをチョイスしました。卯辰越からのルートを直進すると、表参道に合流するのです。
無事、裏手に回る分岐は分かったのですが、行けども行けども、核心部への分岐が出てこない。ようやく登り始めたと思ったら、GPS的にはずいぶんルートを離れている。回り込んでいるだけなので気にしなかったのですが、上がっていくほどにルートが曖昧になってきて、いよいよわからなくなってしまいました。
地図と、正面の坂を見ながら考えて、直登しました。こういうのって、GPSがないとやっぱり決断しにくいですよね。
【山頂でラーメンを】
無事、奥宮峯神社へ着くことができました。道中は雪もなく、無事登れて良かったなと思っていましたが、とにかく寒い!しかし、時間的にお腹も空いたので、ベンチもありましたし、ここで食事にしました。
昨日は與田寺で金ちゃんラーメン、今日は神社でカップラーメン。罰当たりなように思うかもしれませんが、ボクは「境内飲食禁止」などの掲示がない限り、遠慮はしません。だって、お大師様も食事時に寺に立ち寄れば、そこで食事をされるでしょう。神仏も、腹を空かせて一生懸命参拝に訪れた者の食事を拒みますまいて。そんな狭量な神仏ならこちらから願い下げです(笑)
【猫の圧力】
食事をしていると、神社の奥から猫が出てきました。耳にカットがあるので、どうやら地域猫、さくら猫のようです。「野生動物に餌を与えないで」と掲示はありましたが、これは『野生』ではないよなと。そんなわけで、パンを与えてみました。と言うか、明らかに要求されましたしね。
3匹居て、一番圧力が強かったのがキジトラです。コイツがですね、「いやー、たまたまここに居るだけなんですよ。食べ物くださいとは言いませんよ。でもね、もしよかったら…な~んてね。」ってな具合に、周囲を行ったり来たりしては、じっと見つめてくる。パンなんぞ食うかいなと思いながらも、ちぎってやるとバクバクと食べる。
そして次の登場が白黒。コヤツはキジトラの様子を伺いながらも、付かず離れずの微妙な距離から、「おいらにもくれるんだろ?」とジーーーーーーッと見てくる。キジトラみたいに距離は詰めてこない。キジトラに取られないように投げてやると、食べてました。
最後に登場が白キジトラ。コイツは欲しい割にはずいぶん臆病で、一番遠くから見ている。頑張って投げてやると、口にくわえて奥へ走り去り、食べたらまたもどってくる。ずいぶん警戒心の強いやつでした。でも、欲しいらしい(笑)
割とこの猫とのやり取りは楽しかったです(笑) 猫も性格色々ですね~。
【大麻山ピークハント】
腹ごしらえが済んだら、念のために、確実にピークハントしておこうと、山頂部分を目指しました。と言っても、社殿の裏手なだけですが。その途中に、「表参道・裏参道」と書いた看板。裏参道方向には確かに道はついてましたが…。この道どこから来てるんやと。
山名の看板で自撮りしようとしていると、地元のオジサンがやってきました。お大師様、遣わしはりますね。讃岐相生から卯辰越経由でここへというと少し驚いておられました。オジサンは地元の方で、ほぼ毎日登るのが日課だそうです。「裏参道は道がはっきりせんから、正面から来るのが一番」とのことでした。皆さん、そのようですので、お気をつけあれ。
無事、山名看板で記念撮影していただけました。ありがたやありがたや。
【ちょっと攻撃的になる】
この日のここまでの道中、ちょっと考えていたのです。またボクはニ極論に陥っていたなと。ボクにとって良くない環境の職場。で、最近、職場への愛着というか、仕事へのモチベーションも一気に下がっていまして、ここまで気持ちが切れるとはと思っていました。そして、昨日の日記のように、三国志の徐庶のような心境になっていたわけです。
でも、それもまた極端だなと。今後の身の振り方は考えていくにせよ、多分、一旦は復帰することになるでしょう。その時に、「一切尽くさない」みたいな必要もないかと。興味が戻るならば、気持ちが戻るならばそれに従うだけだなと、少しバランスを取り戻したのでした。
その揺り戻しかどうか、今回の発症の原因に関する怒りの炎が、微かにユラユラしました。なので、この日のいずれの寺社の参拝でも、願意はちょっと攻撃的でした。ちょっとだけね。内心願うぐらいは、別にいいでしょ。
【下りは早い】
下りで飛ばすと、足へのダメージが大きいので、普段は結構自重しています。しかし、ここの下り、表参道は、結構早く下れたように思いました。案外登りに苦労したからかもしれません。
表参道は石段がしっかり整備されていて、結構歩きやすい道でした。
【師は正月も走っている】
大麻比古神社はずいぶん立派なお社でした。そして、ご神木がとっても立派でしたね。
御朱印は、書き置きでした。奥宮とセット。ボクが無知だったのかもしれませんが、1月って厄除けで忙しいんですね。まぁ、お祓い・ご祈祷の方が儲かりますからね…。でも、大麻比古神社さんは別にいいと思うんですよ。札所じゃないし、真言宗寺院でもないので。ね、某薬師さん。
いかんいかん、不瞋恚不瞋恚。
1回回ったぐらいで、人間出来はしませんよ(笑)
【思った以上の】
大麻比古神社は、本殿から正面の大鳥居まで、ずいぶん長いアプローチがあります。まーーーっすぐです。そして、その先に1番札所 霊山寺があります。
その山門に着いて、思った以上に感慨深いものがありました。そう、ここから始まったんですもの。そして、1,200kmを経て、戻ってきた。単純な感慨だけで言えば、結願以上に感慨深かったかもしれません。
大師堂でくれぐれもお礼申し上げました。
そして、この日は記録的寒波到来の翌日。大麻山からの『無事』下山が最大の目標でしたので、達成できてとても嬉しかったです。
あとの旧撫養港 岡崎海岸への道は、それこそオマケ、ご褒美みたいなもの。
【撫養街道を】
ボクは高速バスで鳴門西PAのバス停で降りて霊山寺へ向かったので知らなかったのですが、坂東駅方向=撫養街道へ向かうと、霊山寺の石柱があるんですね。知りませんでした。
撫養街道は旧街道然とした道で、地元の方の利用も多いようで、割と交通量はありました。
途中、番外霊場の十輪寺(談義所)・東林院(種蒔大師)をお参り。ちなみに、この日の寺院は納経していません。番外は次回と思ってますので。
板東駅すぐのお接待所の前に、旧撫養街道遍路道という掲示があり、旧撫養港からの道が遍路道で合ってたんだとわかりました。へんろみち保存協力会の地図編には、十輪寺と東林院の記載はあったのですが、長谷寺の記載はありませんでした。御由緒地なら次回は寄ってみたいところです。
十輪寺と東林院は霊山寺から比較的近かったのですが、東林院から岡崎海岸までが感覚的に遠かったです。教会前駅あたりで北から灰色の雪雲がやってきて空を覆ったので、一気に暗くなったのもあり、少し焦りました。
【城?】
撫養駅を過ぎると、すっかり日が暮れてしまいました。しかし、そのために正面の妙見山の上に、城が見えました。あれ?城?
妙見山は、旧撫養街道上ではないので避ければ良いのですが、目の前にあるなら登るよね?ということで、予定に入れていました。しかし、城があるのは確認していませんでした。
妙見山という名に反して、入口は「沙見神社」とあります。でも、これも後で分かったのですが、単に看板が薄れていただけで、上の神社の扁額は「妙見神社」なのです。暗くて見えませんでしたが(汗)
そして、寒くて寒くてトイレに行きたかったので、助かりました。トイレの前に展望所があって、鳴門市を一望でした。しかも夜景。おっさん一人で夜景。写真撮ってみましたが、撮れているかどうか半信半疑、かつ、疲れすぎて、なかなか情けない顔をしております(笑)
夜景を楽しんだらその謎の「城」へ。「トリーデなると」の看板がありました。ん?城の形の単なる施設なの?これも後で調べたのですが、ここが撫養城だったのだそうです。撫養城!信長の野望に出てきます!(笑)そうでないと撫養は初見で読めない(笑)
トリーデの横の三等三角点「古城山」をゲットして、岡崎海岸へ向かいました。
【反対側も神社】
妙見山の反対側も神社で、下った道が参道でした。正確には並行する歩道を通ったので、お参りはできませんでしたが、下から遥拝しました。その名も「西宮神社」
関西人的に、妙見山といえば能勢の方で、西宮といえば兵庫だったりしますけど、繋がりあったりするんでしょうかね?
【港】
寒い暗いと思いながら、ゴールへ向かって一歩一歩進みます。そして、この日のゴール岡崎海岸へ到達しました。後で見ると10km程なんですが、本当に長く感じました。
真っ暗でほとんど何も見えませんが、海を見ながら、「さぁ、次は淡路島だ!」と思っていました。
【記録外の1.8km】
自分なりの遍路の経路ではないので、岡崎海岸で記録を止めていますが、車のデポ先は鳴門駅です。岡崎海岸から1.8km。寒さはどんどん増していき、この日の行程でここの戻りのための1.8kmが一番長く感じました。バスがないんですよね…。
それでも、記録的寒波の中、無事予定通り歩き終えることができて、淡路島内で一部通行止めはありましたが、瀬戸大橋へ回り込むことなく帰ることができたので、それは本当にお大師様に感謝しました。
四国遍路なのに、次からは四国を離れます(笑)
47日目 32.4km
47日トータル 1,260.9km
(参考:新幹線 東京→出水1,257.9km・新大阪→奥津軽いまべつ1,228.8km ※実キロ)
生涯歩行距離(※1) 1,387.5km/3.5%
生涯獲得標高(※2) 30,672m/30.7%
※1 2018.12.5四国遍路1回目開始後の四国遍路分+2022.5以降の記録分。生涯目標は4万km(地球一周)
※2 2022.1.22 YAMAP利用開始以降分。生涯目標は100km=10万m(地上から宇宙までの距離)
四国遍路まとめページ→https://yamap.com/moments/485074
《参考》
前回の四国遍路は↓です。
https://yamap.com/activities/22138981
四国歩き遍路 高野山への第一歩(46日目)