いにしえの信仰を辿って(大普賢岳)
観音峯山・大普賢岳・山上ヶ岳・稲村ヶ岳
(奈良)
2026年05月17日(日)
日帰り
【いにしえの信仰を辿って(大普賢岳)
〜役小角の足跡と圧倒的な自然〜】
いにしえの信仰を辿り、感じとる。
その思いの海に浸り、深く、深く、底へと沈んでいく。
飛鳥時代の呪術者・役小角(えんのおづぬ)が開いたとされる大峯奥駈道。
山にこもり、修行を繰り返しては悟りに至ったとされる場所。彼らがその目で見たであろう自然の壮大さ、畏怖、恐れを感じる。
また、それを仏教で表現し、形を成したものたちに心をかよわす。仏像、錫杖、祠、鳥居。
後世に根強く残り、大きくなっていった大峯山寺と行者たち、そして多くの靡(なびき)に添えられたたくさんの新しい木札。
受け継がれる信仰の思いに触れ、身を任せるがままに感傷に浸る。
いにしえの信仰に触れ、あるがままに思いを馳せようか。
行程:和佐又山ヒュッテ ⇒ 大普賢岳 ⇒ 山上ヶ岳 ⇒ 鐘掛岩 ⇒ 伯母谷覗 ⇒ 大普賢岳 ⇒ 西七曜岳 ⇒ 無双洞 ⇒ 和佐又山 ⇒ 和佐又山ヒュッテ
【奥駈道の窟(いわや)と岩峰】
▲ 朝日ノ窟
自然が創り出した巨大な岩の下の窪みに、仏像が木の札とともに祀られている。木札は新しく、大切にされていることがわかる。
▲ 笙ノ窟
巨大な岩をくり抜いたような空間の中で、立派な社が目を惹く。社には鮮やかな紫色の幕がかかっており、不動明王像が顔を覗かせる。中には当然、木の札がぎっしりと並ぶ。
ここで注目すべきは、深い山奥にもかかわらず、あたかも街の神社であるかのように全てが綺麗に揃い、掃除も行き届いて大切にされている点である。
役小角はここで冬籠り修行をしたと伝わる。凍える雪のなか、不動明王と対面しひたすら経を唱える。そこにはどれだけの「念」が込められているのだろうか。
▲ 鷲ノ窟
役小角と、彼が従えた前鬼・後鬼の像がある。
かつて民たちは、その仙人たる姿に畏敬の念を抱いたのだろう。そして山菜の知識や生きる為の術を授かったことに感謝したに違いない。
圧政から脱却した自由な存在である彼に、憧れを抱いたのかもしれない。人間から逸脱した「鬼」という存在(賊のようなものだったのか)を従えた役小角を、羨望の眼差しでみていたのだろう。
▲ 石ノ鼻
痩せ尾根、鉄階段、鎖場と続いたところに突然現れる展望スポット。小普賢岳、大普賢岳という「ラクダの背中」のような山々が見渡せる。
さてさて、これまでの鉄階段たちはどうやって運んだのだろうか。その活力の源もまた、信仰にあるのだろう。
【大峯の主峰と修験の場】
■ 大普賢岳
東側からは、お辞儀をしたくなるような「2連階段」と鎖場の試練が与えられる。ほど良い試練の末にたどり着く、少し苦労した感じが堪らない。
西側からの堂々たる佇まいは、まるでオールバックのようで、そのツッパリ具合がたまらなく格好良い。大普賢岳、小普賢岳、日本岳と3連の峯が並ぶ様は「オレについてこい」と言っているようだ。
まさに暴走族の総長。
以前、山頂で終始紙煙草を吹かしている本物の総長に会ったことがある。彼は大普賢岳にそっくりで、むしろ化身かと思ったことがある。懐かしいナ。
山頂からは奥駈の峰が見通せ、遠くへ続く道へ思いを寄せる。この緑の景色が好きだ。
■ 山上ヶ岳
笹道を越え、流れる沢で額を潤し、結界を越えて山岳信仰の象徴たる山上ヶ岳にたどり着く。
信仰が形となり、積み重なったものに触れていく。鳥居、石像、お寺、修験者。何処からともなく聴こえる「ぼふぉー、ぼふぉー」という法螺貝の音色に心を委ねる。そして合唱される真言。
お花畑では笹原が心を癒してくれ、見上げると稲村ヶ岳、大日岳のトンガリが目を惹き、思いを寄せる。
■ 西ノ覗き岩
命綱一本で断崖絶壁から逆さ吊りにされ、谷底を覗き込むことで「過去の罪を反省し、煩悩を断ち切る」という荒行の場。現代風の“漢塾”感が堪らない。
■ 鐘掛岩
役小角が吊り鐘を掛けたと伝わる高さ約20メートルの巨岩。今回は登らずに裏手からいいとこ取り。ここからの稲村ヶ岳、大日岳も良い景色だ。
■ 東ノ覗き岩(途中まで)
途中まで行けたが、そこから先はリスクが高過ぎて断念。命綱で吊るされずとも、断崖絶壁を登りきるのに命綱が必要と思われる(笑)。そんな道である。
【稜線歩きと試練の道】
▲ 伯母谷覗
大普賢岳、小普賢岳、日本岳の3兄弟が仲良く並んで見える。緩やか過ぎず、適度なカーブを描く緑の稜線が美し過ぎる。
■ 七曜岳
大普賢岳を越え、稜線上から再度現れる3兄弟に見送られながら進む。岩場を登った先にあるのが七曜岳だ。
役小角が岩壁に7つの穴(岩窟や窪み)を発見したから七曜岳というらしい。役小角のことだから、指突きで穴を空けたのかもしれないナ。大峯の山々を眺めながら思いにふける。
■ 無双洞からの滝 ~ 底無しの井戸
そこからは激下りである。無双洞を越え、渡渉し、立ちはだかる岩を見上げる。
鎖を掴んで岩壁を登り、高度を上げていく。以前ここを通った時は肋骨にヒビを入れながらで、信じられない難易度に驚愕したものだが、今回はなんだかサクサク進む。
そしてお約束の「底無しの井戸」を覗き込む。真っ暗だ。何も見えない。ただただ闇が広がる。悪口を言うなら、この穴がぴったりかもしれない。
■ 和佐又山
どん底から這い上がってきて、生還を味わった後は、何故だか無性に高い所で癒されたくなる。 山頂は石が積まれ、和佐又山の手作りの標識が良い感じだ。これまでの苦労も相まって、身体の力がじんわりと抜け、ただただ癒されていく。 人は辛いことだけでは生きられないもの。修行を明けた役小角も、ここいらで癒しを求めたのかもしれない。山で修行し、山で癒され、山を愛す。そんな気持ちを欠片でも知れたのかもしれない。