七国山(東京)
2026.08.22 (土)日帰り
七国山(ななくにやま、と読む)へ行ってきた。
レンラクコウ シチコクヤマ
の、モデルではないのである。
我らが敬愛するみやさんのモフモフが、傘に落ちる雫に悦に入り、身悶えし、叫び、傘使って草生やしたり木を生やしたり空へ飛んだりする、あのアニメーションの舞台は八国山(はちこくやま)である、とされているので、こっちは無関係である。
まあとにかく行ってきた。
……本当は、少々の雨でもいいからウノタワへ行くつもりで、朝4時に起きたのだ。
苔の森はたぶん、雨の日には雨の日の顔をする。
濡れた緑は濃くなって、霧なんかもきっととても美しい。
なので雨はいい。
ずぶ濡れ登山はここ最近もはや、いっそ快感になりつつある。新しい変態の目覚めである。
しかし、どうもお昼頃から雷の予報がかなり高くなっていた。
雷はなぁ。
さすがにそこはヒヨって、都市を歩く系の「お山歩」に切り替えた。
ピークどっかしら取っておくと、YAMAPの活動日記でございます、という偉そうな顔ができることだし(そういうシステムではない)、とりあえずビール的に七国山へ。
(七国山および周辺にお住まいの皆さんへ謝れ)
夏の低山は山全体が蜘蛛の巣、みたいなのにも、だんだん慣れつつあった。
以前なら、
うわっキモっ!
みたいなリアクションをしていたはずなのだが、いつの間にか、淡々と処理をするだけになっている自分に気づいた。
蜘蛛の巣が顔につくと、
ペタリ
という肌感覚がする。
ああ。
蜘蛛の巣というものは、ペタリとするものなのだなぁ。
と思う。
思っている自分がいる。
少々、不快である。
おや。
私はいま、これを不快だと思ったらしい。
そういう身体の反応が起きる。
しかし人間なので、蜘蛛の巣に絡めとられても死なない。毒蜘蛛もいるかもしれんが、死ぬ確率は非常に低い。少なくとも、山で遭遇するほかのあれやこれやと比べれば、たぶんずっと低い。
だから、
うむ。
ペタリとしてるな。
不快だな。
そこまで。
それでいいのである。
何も感じないようになる必要はない。
不快なものは不快だし、驚くものには驚く。
身体は、こちらの思想などお構いなしに反応する。
それを、おや?
と感じる。眺める。
そこから先を、勝手に作らない。
これはいいものなのか。
わるいものなのか。
なぜこんなことが起きたのか。
何か意味があるのか。
わからないものを、わかったことにしない。
蜘蛛の巣は、私を不快にさせるために、そこに張られていたわけではない。
蜘蛛はただ、蜘蛛の都合でそこに巣を張った。
私はそこを通った。
顔に、ペタリ、とした。
私は、おや、と思った。
それだけである。
大騒ぎする必要もないけれど、
私は蜘蛛の巣など気になりません
無です
と強がる必要も、たぶんない。
ペタリ。
うむ。
嫌だな。
そこまで。
たぶん、いろんなことを
そのようにして過ごしていけばいい。
何かが起きる。
身体が反応する。
胸のあたりがざわついたり、
お腹の底が重くなったり、
反対に、ふっと嬉しくなったりする。
それはそれでいい。
でも、その小さな反応を捕まえて、
これはきっとこういう意味だ。
こうに違いない。
あれとこれをつなげれば、つまりこういうことだ。
と、どこまでも物語を作っていかなくてもいい。
なんだか最近、
たくさんアタマのなかで作ってきた。
ずいぶん遠くまで考えて、
ずいぶん深いところまで潜って、
そこに本当にあるのかどうかも
わからないものまで拾ってきた。
だから、これからは、
おや。
と思ったところで、少し立ち止まる。
ここまでは、私に起きたこと。
ここから先は、わからない。
それでいい。
感じないことが、最適解ではない。
水面に何かが落ちれば、波紋くらいは立つ。
でも、その波紋を追いかけて、
自分でもう一度水面を叩いて、
また波を起こして、
いつまでも水を揺らし続けなくてもいい。
波紋は、そのうち消えていく。
そうやって過ごしていけば、
気持ちはまた、静かなところへ戻っていく。
嬉しい気持ちも、勝手に盛り上げ過ぎない。
物語を作り過ぎない。
少しずつ、消えていく。
……まあ、
蜘蛛本体が手に乗ると
どうぅわ!!
と声出ちゃうんだけどねー。