向白神岳 インターネット草むしり
白神岳・蟶山・大峰岳
(青森, 秋田)
2026年03月28日(土)〜29日(日)
2日間
「ウィキペディアの雑草とり(草取り)とは、記事のメンテナンス作業のことで、記事の細かな間違いや方針とガイドラインなどに従っていない箇所を修正することです。
メンテナンスは記事に磨きをかける有意義な作業です。正確で内容に富んだ記事を書くことは百科事典には必須です。」
(「Wikipedia:雑草とり」https://w.wiki/726s、2026年4月4日閲覧)
副隊長が率いる定例の残雪期登山。今年の行き先は白神山地の最高峰・向白神岳になった。
ウィキペディア「向白神岳」の記事を見ると、「山頂に至る登山道は整備されておらず、ヤブ漕ぎなどを強いられる(…)白神岳山頂にある避難小屋の記録では、白神岳から行きで5時間、帰りが12時間もかかったとする記録もある」と書いてある。
……ヤブを漕いで片道5時間?
残雪期でも片道2〜3時間かかる道のりを?いくらなんでも速すぎないか!?
ビックリしてその情報の出所を確認しようとしたものの、肝心の出典が載っていない。記事の冒頭には要出典の注意書きもあった。
変更履歴によると、この記事は2007年に作成され、2008年に避難小屋の記録が追加されたが、2009年以降は大きくは更新されていないようだった。
公共知は、「どこから得た情報か」を明記することで、第三者が検証できるようにすることが重要とされている(「Wikipedia:検証可能性」https://w.wiki/3JVc)。
特に山岳に関するウィキペディアの記事は、ヤマップやヤマレコの山の情報ページに引用されているため、より正確を期す必要がある。
インターネット上にはいくつか向白神岳の無雪期の記録が公開されている。これをもとに記事を書き換えればいいだけの話だ。
でも。インターネットが今ほど盛んではなかった時代に、避難小屋のノートに人知れず書き込まれた冒険譚がある。その断片をデリートボタンひとつで消してしまえるほど、機械的にはなれなかった。
ただ、見つけてしまったからには出典不明のままにもしておけない。
AIにできなくて私にできることは、紙のなかから出典を見つけること。手足を使って草をむしることだ。
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【3月28日】
新青森に前泊、副隊長の車に揺られること約2時間で登山口に到着。隊長と私はスキー(アイゼンワカン携行)、副隊長はスノーシュー+ピッケル(アイゼン携行)。
蟶山の尾根は雪が断続的で、500m付近までヤブシートラ。ツルがウザすぎてこれ滑って下れんのか?という不安に襲われる。もちろん後に的中する。
日中は10℃前後で雪はグサグサ。スキーを履いてからは楽チンだったが、ピッケルの副隊長は手の踏ん張りが効かずキツそうだ。大峰分岐前の急斜面はスキーを外してツボ足で登る。
まもなく白神岳に登頂。避難小屋の入口を掘り出してホッと一息ついていると、地元の3人パーティとソロの方々が続々到着。夜空の写真を撮りに来られたそうだ。
この晩はひとつ屋根の下に総勢7人。宴が始まり、階下からはプシュッといい音が…ビールの担ぎ上げを断念した副隊長の顔がゆがむ。
消灯後は山小屋ノートを読んで過ごした。
現在の2代目避難小屋は2019年に再建。小屋にあったノートは2020年以降の2冊(+予備1冊)だけだった。
【3月29日】
夜明けの空に向白神の輪郭が浮かぶ。快晴だ!
まずは後光さす玄関岳へ。全員アイゼンを装着し、固い雪面を蹴り込んで通過。クラックが多数見え隠れしていて、特に向白神岳北峰から先、ヤセ尾根の雪庇はヒヤヒヤだった。
おそるおそると向白神岳南峰に到着。振り返れば圧巻の曲線美。高所恐怖症の副隊長はビビり散らかしながらも「がんばってよかった~」と破顔一笑。ビールを我慢した甲斐がありました。
避難小屋の戸締りを済ませたら、下りはウキウキ!スキータイム。蟶山まではシールあり、それ以降はシールオフで滑走。
全力ボーゲンで無理くり滑り通したが、ウキウキっていうか密林にヘキエキ…。でも、隊長とぎゃあぎゃあ騒いで転びまくったのも今となっちゃ良い思い出かも。
下山後は、黄金崎不老ふ死温泉で打ち上げ!
強塩泉が靴ズレに沁みまくって悶絶…リアル傷口に塩やんけ。人がいないタイミングを見計らって、下半身だけ犬神家の一族状態でなんとか入浴した。
白神で見た太陽が海へ沈んでいった。
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現地を訪ねてみたものの、ウィキペディアの記事の元になった避難小屋の記録を見つけることはできなかった。
しかし、図書館でその情報源と思しきものに行き当たった。西口正司『白神岳 周辺ガイドと風土』(1992)である。
このなかに「最近の避難小屋の日誌に、(※白神岳避難小屋から)向白神岳まで(八時間二〇分)帰り(十二時間)かかった記録がある」「行きが8・00帰りが12・00」とあった。やはり、あの記事の「行きで5時間」は誤植だったのだ。
筆者の西口さんは、白神岳へ登頂すること390回にのぼる「白神山地の生き字引とでも言うべき人」(『岳人』927号、2024)。旧岩崎村の役場に勤めるかたわら、白神岳の登山道開拓や初代避難小屋の建設を主導された立役者として知られている。
定年後は山麓にある「白神山荘」を引き継ぎ、80才になった今もたくさんの登山者を迎えては慕われているそうだ。もしかしたら、山小屋ノートの原本もここで大事に保管されているのかもしれない。
宿題がまたひとつ増える。胸がはずんだ。
ウィキペディアの記事を書き直す。
広大なインターネットのなかのほんの小さな草だけど、手を入れられたことがとても嬉しい。いつか誰かの種になればいいなと思う。