04:47
15.5 km
239 m
謎解きの旅、裴世清は海石榴市を船で訪れたか
明神山・玉手山 (奈良)
2026年02月15日(日) 日帰り
膝痛は厄介だ。快適な歩きができたということで、700m程の山を登ったら途端に膝痛が再発した。それから1ヵ月ほんのわずかな歩行も大変だった。ようやく少し歩けそうなので、今回歩行計画を立てた。 いろいろ夢想したら地質史と古代から近世の歴史を辿るちょうどいいコースを思いついた。亀の瀬を軸にした龍田古道だ。果たして歩けるか不安があったが、ほぼ平坦なので何とかなるかなとコースを設定した。河内堅上駅を出発し、亀の瀬地滑り歴史資料室に立ち寄り、峠八幡神社を経て3号に出て竜田大社で参拝し、三室山を経て藤木古墳に立ち寄り、法隆寺難門までとするコースだ。 乗換案内を見ながら時間設定をしていたら、車だと1時間余りで着くことに気づき、資料室に車を置いて法隆寺で電車で河内堅上駅まで帰ってくると言うパターンが素敵だなと感じたので、予定変更。 このコースの狙いは、生駒山地、金剛山地がどのようにして形成されたかまた2つの山地の間の峡谷はどのようにして生まれたかと、1億年位の地質史だ。別の見方では、大和川どのようにして今日の流路となったのかと言う点だ。 もう一つは、古代から近世につながる歴史だ。これは大和川の船運とともに、古代街道の形成史を考えるのだ。わかりやすいテーマとしては、随からやってきた裴世清が難波津から海石榴市まで大和川を船で遡ったか?と言う点だ。陸路としての差街道は、いつどのような規模で作られたか、この点については、従来の見解と大いに異なることになりそうだ。 こういったくだらない疑問を私と付き合ってくれるのは、生成AI位だ。行く前に2時間位帰ってから2時間位対話して少しおぼろげながら見えてきた。膝痛がなければ、このような平坦なところを歩く事はなかったのだが、これも愛嬌と言うべきか。 今回の幻想の内容は、個々の写真を見ながら多少言及できるといいかなと思っている。少し時間をかけて何回かに分けてもいいかなとも思っている。 AIと対話してると脱線したり、おヒレがついたり、話題がどんどん広がったりするので、なかなか絞りきれてない。おヒレも面白い。亀の瀬は何と言っても4万年前から続く大規模地滑りであり、世界的規模の地滑り大規模防御装置だ。
