小川町駅から青山城跡を訪ね玉川温泉へ
武蔵嵐山・大平山・仙元山
(埼玉)
2026年03月24日(火)
日帰り
天気がいいのは本日だけでこのあとは雨模様の日が続きそうなので、比企だけに前回に引き続き中世の城跡青山城を探訪してみました。
全国に小京都は40ヶ所以上あるようですが、その内の一つ「武蔵の小京都」と言われ京都同様に町の周囲を山に囲まれ長い歴史と文化があることからそう言われているようですが・・・前回の嵐山といい京都に関連づいてます。東上線小川町駅からスタート小京都の裏道を進み見晴らしの丘を経由尾根伝いに青山城跡へ。
目的地は城跡ですので仙元山は巻いて植林地を進むと程なく青山城跡の道標が現れ、さらに進むと大堀切と三の郭に取り付く、ここは立地を生かしたこじんまりしたZ状になった険しい尾根上の特性を活かし築城された城で、尾根が交わる地点に本郭その両側に二の郭・三の郭を従え、堀や帯郭等で防御を固めています。主な目的は西と東の街道と水運を監視すること、また城ネットワークのほぼ中心に位置することから連携上重要な城だと思います。
この城に関する史料はないようで伝承によると平安末期に藤原氏末裔を称する「青木氏宗」が築城したと伝えられますが、歴史に現れるのは戦国時代のことで、松山城主「上田朝直」の家臣であった「野介朝広」または中城と同じ「山田直定」らによって、松山城の支城として改修・整備されたようです。腰越城とともに杉山城の支城としての機能を果たしていたという説もあるようです。
城の生命線の井戸(水場)はないようで現場見分でもそれらしき形跡はありません、山小屋でも行っている天水を貯めるか規川の水をエッチラオッチラ運び上げるその両方でしょう。
場所的にはここより仙元山の方が適地のように思えますが、伝承に基づくと仙元山は標高は高いものの、のっぺらと広すぎてここまで必要ではなく、つづら折り状の形状(尾根)のこじんまりしたこの尾根が守りやすく攻めにくい特性が生かしたその時代に適していたのでしょう。
いずれにしてもその後、両上杉氏の長享の乱、北条氏の武蔵進出、そして上杉謙信来襲などの激動の時代の中で改修・補強され、時勢と時世の中で人知れず役目を終えた謎の城です!
この後、楽しみの玉川温泉に向けて城の激動期城兵が相互の連絡等で歩いたと思われる尾根道(古道)を進み玉川温泉玄関前にピンポイントに降り立つ、ほんとにいい場所にお湯が沸いたものです。泉質はアルカリ性単純温泉(Ph)源泉温度26℃だそうです。入浴していると肌がツルツルしてきます、駐車場の車を見ると県外からの来訪者もチラホラ見受けます・・・今回、行く動機付けしてくれたフォロワーさんありがとうございます🙇♂️こちらが主目的カモです。😁