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03:05
13.2 km
303 m
船岡山をぐるり周回
龍門山・飯盛山 (和歌山)
2021.01.11(月) 日帰り
今日は昼からかつらぎ町に残る万葉の風景を見に出かけた 妹山・背山のルートは国土地理院の地図上の歩道でなく農道を上手く利用するとスムーズに歩ける この旅の調査で妹背山は背ノ山(双耳峰)説が有力だと知りました 今回は片方の頂上しか行っていないので次回は古代史の南海道ルートを調査して万葉の風景の旅をしてみたいと思いました 船岡山: 紀の川に浮かぶ小島で、中山とも呼ばれている。平安時代、関白藤原頼道が高野参詣の帰途、この地で舟遊びを楽しんだそうです 昭和50年代、紀の川の水防対策工事のため発掘調査が行われた際、南岸の斜面で弥生時代の竪穴住居遺跡などが検出されたが、この遺跡は護岸工事により現存しない 昭和63年春、船岡山の南側に長さ80メートルの吊り橋が架けられた。この橋を渡って、弁財天を祭る厳島神社を参詣したあと、島内一周の遊歩道を散策しながら、さわやかな川風と森林浴を楽しめる 妹背山(妹山・背山): 今からおよそ1350年前「大化の改新」の詔によって、畿内国の南限(朝廷が治める国の南の境)が兄山(背山)と定められました 兄とは、兄の君(背の君・兄弟)を表し妹も妻・娘への敬称である。兄山(背山)と妹山の二つの峰は紀ノ川を挟んでなかよく並んでいるので、妹山・背山(妹背山)と呼ばれました 具体的には、紀の川をはさんで左がわの台地のような山を妹山、それに対して右がわの山を背山と呼び、おたがいに向かい合っている情景から妹背山と見立てたのです いずれにしても、万葉の旅人は紀伊の国のむつまじい妹背山を眺めて、ふるさと大和の夫婦山・・・「二上山」を思い出させ郷愁に駆られた。長い草枕の道すがら有名な歌枕として万葉歌十五首、とりわけ相聞歌が数多く詠まれました 詠まれた歌枕の数は、筑波山に次いで全国で2番目に多いそうです