美濃和紙あかりアート展@岐阜県美濃市
前々から行きたかった美濃和紙あかりアート展。毎年秋になると、うだつの上がる町並みに美濃和紙を使った幻想的な作品が並びます。イベントは3週間ほど続きますが、そのうちの1日は歩行者天国が開催され、特別展示エリアでは雨よけのアクリルカバーが外されます。 天候不順で見送ったり、予定が合わなかったりと見に行くチャンスがなかったのですが、今年ようやく歩行者天国のタイミングに訪れることが出来ました。少し時間があるので、お城をリア攻めしつつ、歴史を感じつつ美濃の町を探索してみました。仕事後で眠いけど、まあゆっくり歩きます。 美濃国では奈良時代から和紙の生産が行われていたようです。水はけのよい傾斜地で良く育つ良質な楮、長良川の清らかで豊富な水があり、寒冷な気候で楮の漂白・脱色によい環境だったので、和紙作りに適していたとか。 応仁の乱(1467年)の後、美濃の土豪、佐藤氏がこの地を支配し、古城山に藤城を築城しました。1540年、藤城を改築・拡張して鉈尾山城(なたおやま城)を築きました。細長い尾根に沿って複数の曲輪を一直線に配置した、典型的な連郭式の山城です。残念ながら殆ど遺構は残っておらず、どこが虎口なのかさっぱりでしたが、本丸は比較的広い空間でした。今回歩いたルートの登りが大手道、下りが搦手道で、大手道は比較的緩やかです。 1600年、関ヶ原の戦いで西軍についた佐藤氏は敗れ、変わって金森長近が上有知藩(こうづち藩)を立藩し、小倉山に小倉山城を築城し、鉈尾山城は廃城となります。小倉山の南面に大手と本丸があり、北東に搦手があったようです。鉈尾山城が使用されていた頃の城下町は洪水が頻発する低地に広がっていたので、1606年頃に城下町を現在の位置に移動し、目の字の町割りが完成し、これが現存しています。また、長良川に上有知湊を開き、船運による物資集散の拠点として経済活動が進み、商業都市として繁栄しました。現在でも灯台と船着き場への石段が残っており、風情があります。飛騨地方からの木材はここで荷揚げされ、特産の美濃和紙は岐阜・名古屋方面へ運び出されたようです。江戸時代には美濃和紙は国内随一の上質な和紙とされたそうです。ちなみに、私は書道を嗜んでいたのですが、本番用の半紙には美濃和紙を用いていました。値が張りますが、薄くて墨が切れにくい和紙だったと記憶しています。




