07:23
15.6 km
1058 m
山の神峠〜栃本尾根で白泰山
甲武信ヶ岳 (山梨, 長野, 埼玉)
2024.08.24(土) 日帰り
※随所訂正しました 百年も昔のこと。 日本におけるかつての登山という趣味は財力も時間も大いに必要で、主に有閑貴族の遊びであり、今世登山家として名を残している人々はみな絢爛豪華な経歴の持ち主だったりする。 人を避けた登山をすることを「避寒」「避暑」をもじって「避衆登山」などと呼んだのは藤島敏男だったか。いかにもエリート層が思いつきそうな言葉であるし、自分以外の登山者を民衆と呼べるほど自分は上等な人間ではないのだが、頂上まで延々と続く人のお尻を眺めながらの山登りを出来るだけ避けたかったその心持ちには大いに共感するところだ。 巨万のお金持ちでも明日食うに困る貧乏人でも等しくその行列に並んで歩かなけれなならない、というのも登山という遊びの面白さだろう。 (天皇陛下が皇太子時代は登山を嗜まれていたのだが、はたして人払いをされてその行列をスキップしていたかどうかは非常に興味があるところ) 登山黎明期の古の登山家の著書はどれもまるで調査隊を結成して踏査したかのごとく今では考えられないほどふんだんに時間もお金もかけて丹念に歩いた記録書だ。乗合自動車を貸切ったり、現地案内人なども雇ったり、シェルパ的に装備を準備してくれる人もいたようだ。 ただそれは登山家が皆お大臣登山をしていた、というよりは、多くの人が食うために朝から晩まで必死だった時代に一週間二週間山をのんびり歩きカメラを持ち歩き記念写真を撮って・・・なんていうことが出来るのは富裕層だけだったということなのだろう。そういう登山家たちが農閑期の雇用を生み出していたとも言える。 ※蛇足だが大量遭難事件で有名な八甲田山雪中行軍も生死をわけたのは現地案内人の存在だったようだ。装備をアドバイスしたり道行案内をしたりロコならではの彼等の活躍が沢山の命を救ったのだ。 そんな記録はガイドブックやネット情報程度じゃ遠く及ばない上質な情報の宝庫だ。彼等と同じように歩こうったってそうはいかない。時間も金もない平民には雰囲気をちょっぴり味わうだけで精一杯である。 だが都市が数年で激変してゆくこの世の中において、100年前に古の登山家が手を合わせたであろう同観音様に後世の我らも同じ道程を行きまたこうべを垂れることが出来るのも、奥山を歩く楽しみなのだろう。 などと格好つけてはみたが、前回の山行から実に四ヶ月も経過してしまい緩み切ったこの身体、今回は残念ながらそんなそうそうたる名著における山歩きなど出来るはずもなく。せめて古の観音様に会いに行く旅をするとしよう。 ※他の地域同様、栃本にも熊情報が散見される。特に今回歩こうとした林道はほんの半月前ほどに数回の目撃情報あり。万全の備えを。 ※今回活躍したギア 携帯ラジオ、ホイッスル、ゴアテックス雨具上下(モンベルストームクルーザー)、モンベルレインハット(ゴアテックス) ※今回食べたもの 朝食(アイスミルクティ、チョコちぎりパン)、凍らせたゼリー飲料2、小豆蒸しパン、氷入り水筒スポーツドリンク、麦茶600ml、いろはす500ml、手製梅干しおにぎり、ロースハム、ゆで卵