檜原に散った岳友
大岳山・御岳山・御前山
(東京, 山梨)
2024.01.20(土)
日帰り
沢上尾根ノ頭・檜原城山
2013年、熊に襲われてから3年、東日本大震災から2年、やっと生活が落ち着いて来た頃だった。
10月27日、日影でバスを降りて北東尾根を歩く予定だったが、沢が増水していて渡れない。
躊躇していると、ジャブジャブと足を濡らしながら渡渉している男性がいて、思わずすげ〜‼️と叫んでしまう。
それがホカリさんだったがこの時はまだ知らなかった。
我々は、少し上流から渡渉し、北東尾根に取り付く。
大きなガタイでのっしのっしと歩く男性に追いつき、何気ない雑談が始まり、もしかして、ホカリさんですか?と聞いたらそうだとうなづいた。
インターネットの掲示板でやり取りがあったので気づくことができた。
彼は、首都圏自然歩道を完歩して、次なる目標を立てて邁進しているという。
齢60を過ぎても、好奇心旺盛で、バリエーションルートにも興味があるということで、メールや掲示板で盛んにやりとりしていた。
小仏峠で、ここに住んでいたという人に出会い、墓があるという。
我々は、俄然興味が湧いて来て、探してみることにした。
あちこち探し回って、景信山方面の薮の中に苔むしたお墓を見つけて歓喜した。
何度も通っている小仏峠でまだ知らない場所があったなんて驚きだ。
しかし、この時の山行が最初で最後になろうとは…。
彼はソロでゆっくり歩くのが好きらしく、独学でバリスキルを学んだようだ。
変態3人組は、ともかく変な山登りばかりしていて、宮内本でバケモノ山を見つけると、じゃあそこに行ってみようじゃないか、と話がまとまる。
山頂には、四等三角点さんがこしらえた山名標があり、植林だらけで展望が無かったが、バケモノ山と彫られたプレートが見られただけで大満足だった。
後で由来を調べると、炭焼き職人が恋人を孕ませてしまい、炭焼き釜に押し込んで無かったことにすると、その女の亡霊が背後に立つようになったとか恐ろしいことが書いてあった。
まったく酷い話しだ。
知らなかったとはいえ、登ったことを後悔した。
2014年1月3日
ホカリさんは、倉掛山方面から浅間嶺まで歩いて、沢上尾根ノ頭という宮内本にある山に登頂し、関東ふれあいの道で知り合ったという仲間に、沢上尾根ノ頭に登ったから下山するという連絡を入れたのを最後に、消息を絶ってしまった。
翌日から、沢上尾根ノ頭を中心に捜索が行われたが全然見つからない。
捜索隊は、捜索範囲を広げて探すことにしたようだ。
1月16日
バケモノ山近くの檜原城山で、ホカリさんが遺体で見つかった。
彼は慎重に慎重を重ねる人で、山行中も常に自分の居場所を山仲間に知らせながら歩いていた。
それなのに、なぜ連絡もせず檜原城山に登ってしまったのだろう?
炭焼き窯で焼かれて亡くなってしまった娘のことが気がかりで仕方ない。
怨念に呼ばれてしまったのだろうか?
享年65歳。
60過ぎてソロでバリをやるのは危険だからやめろ‼️
と忠告すれば、こんな悲劇は生まれなかったかもしれない。
僕は自分を責め続けた。
半分くらいは、自分の責任もあるだろう。
だけどな〜、おそらく自分は100過ぎて死ぬまでソロバリやるだろうから、それを思うと言えないよな。
むしろバリ登山で命を落としたいと思うくらいの変態だし😅
俺にとってのバリは、生きることそのものなので、バリやめる=死ってことになる。
こんなアホな俺が他人にバリやめろとか言えるわけがないし、資格もない。
1月19日
ホカリさんの通夜が行われることになり、斎場へ出かける。
息子さんが話しかけて来て、いつも笑っていて、わたらせ渓谷鉄道の女性車掌さんと記念写真撮ったりしてたんですよ、なんて教えてもらう。
うん、めっちゃわかる。
息子さんも父親に似て、温和な方だった。
遭難した時の状況もこの時聞いた。
その後、変態3人組で、檜原城山へ登って菩提を弔うと、私と男性1人が山行後に発熱し、仕事を休むことになり、バケモノ山の呪いか?と恐ろしくなった。
もうあれから10年…。
村娘の呪いが怖いとか、なんだかんだ理由を付けて、逃げていた自分。
いい加減、岳友の死を受け入れて向き合わないといけないんじゃないだろうか。
彼のことを考えると、自分のせいで遭難したんじゃないだろうかと考えてしまう。
友として時には厳しく忠告することが本当の優しさだったのではないだろうか?
俺はどうしようもないクズ人間だ。
そんなわけで、今回は彼の最後の足跡を追って、沢上尾根ノ頭から檜原城山へ行くことにした。
払沢の滝入口バス停で帰るはずだった彼が、なぜ檜原城山へ行ってしまったのか?
疲れ切った体でバリなんかやったらアカン❗️
歩いてみれば何かわかるかもしれない。