美女峠
志津倉山
(福島)
2022年10月20日(木)
日帰り
福島県の昭和村と三島町の境にある、美女峠(びじょとうげ)に行って来ました。
だいぶ前、雑誌サイクルスポーツの「初めてのMTB輪行ツーリング・奥会津のシングルトラックを往く」という美女峠のツーリングレポートを読んで感銘を受け、平家落人の悲恋伝説の残るこの場所をいつの日か訪れようと思っていました。
雑誌では、昭和村野尻を起点に三島町間方に抜け、大辺峠を経て一周するプランでしたが、今回は無難に登山口から徒歩で日帰り往復にしました。
美女峠の歴史については、登山口すぐ近くの中向公民館に出ていた案内板によれば、次の通りです。
「美女峠は藩制時代、南会津郡から北会津郡を最短で結ぶ主要な交通路の一つでした。今では山菜採りに村民がたまに通る程度ですが、一昔前は多くの人が宮下駅で汽車を降りると20キロメートルほど歩いて、この美女峠を越えて家路を急ぎました。
この峠は鎌倉時代の悲恋伝説から、びんじょげ(美女帰り峠)とも呼ばれていました。
その昔平家が寿永の乱に敗れ、平維盛(清盛の孫)に仕えていた侍、目指左ヱ門尉知親が愛娘の高姫と横深(俎倉山の麓、野尻村)に隠れ住んでいました。同じく平家の落人で中野丹下という若侍が峠の向こう側中向の沢入兎久保に住んでいました。
いつしか、高姫と丹下は馴染みとなり愛しあうようになり、丹下は夜ごと峠を越して横深の高姫のもとへ通いました。
ある時、丹下は都合が悪くしばらく高姫に会いに行かなかったので、高姫は淋しさにたえず、丹下に会いたい一心で峠の麓にある清水で、口をすすぎ心を清めて恋の結びの神に両手を合わせ、
千早振 神も情のましませば
我が恋人にあはせ給ひや
と詠んでひたすらに祈願しました。この時からこの清水は高姫清水と呼ばれています。
それから幾日も丹下を待ち続けた高姫は、ある日の帰り道、
侘びぬれど しばし庵にいなば山
まつとし聞けば 今帰りこん
と道の脇にあった石にしたためて、峠路を横深の庵に帰ったと伝えられています。これが由来となり「美女帰り峠(びんじょげ)」と呼ぶようになりました。
また山頂付近には、正元参年秋八月、二階堂隠岐入道が建立した目指左ヱ門尉知親の石塔(墓)が残されています」
昭和村の野尻にアプローチする場合、
JR只見線の会津川口駅か、会津鉄道の会津田島駅からのどちらかとなりますが、会津川口駅からの方が比較的近くておすすめです。
会津川口から路線バスも出ていますが、本数が少なくアクセスは困難です。会津川口から15km、田島から30kmの山里です。