03:33
7.8 km
402 m
行けた❗️鐘ケ淵🩵九六位山
九六位山 (大分)
2026年01月30日(金) 日帰り
今回の記録は、自身の備忘録であり、長文、写真多いので、関心ない方はどうぞスルーお願い致します。 3年程前にフォロワーさんが歩いた鐘ケ淵🩵 当時、気にはなってたものの、わたしが歩ける場所ではなさそうと半分諦めていた。 最近になり、地元の高齢者さんから話を聞く機会があり、鐘ケ淵の話題になった。 昭和20年台後半まで毎年、夏場に戸次住民が地区毎に鐘ケ淵で雨乞い祈願をしていたというのだ。 わたしが生まれる数年前まで? 雨乞いというのは、もっともっと昔の話だと思っていたから驚きとともに非常に関心深かった。 戸次にある数箇所の地区から、日をかえて順番に山を登り、円通寺まで着くとそこから鐘ケ淵まで下ったそうな。 1回の人数は30人以上、小さい子どもは遊びがてらに付いて歩いてたって。 ひと夏で180人以上の人たちが歩いたってこと? 雨乞い祈願が終わったら、また円通寺方面へ登り、帰りに夜明ケ城で火を焚いてそこでも祈願して、山を下るのが習わしだったよう。 昭和28年頃、昭和井路完成と同時に、雨乞いの必要がなくなったという… 当時、円通寺周辺には十数件の集落があり、その集落の人たちの田んぼが淵より少し上部にあったと。 ウチの近所の方が、このあたりで炭焼きしていたと。 戸次から、臼杵の水産高校に通うのに、山中で炭俵を背負って末広までおろしてたって。 毎日、この山を登ったり下ったりするだけでも大変なのに、登校時に炭俵まで背負うとは! 学資金を稼ぐために… ちなみに当時は臼杵城の元に水産高校があったんだって。埋め立てられたからね👍 すべてが気の遠くなるような話… こんな話を聞いたら、なんとしてでも見てみたい気持ちが昂まり… けど、鐘ケ淵の情報が少なくどうしたものかと思案していた矢先、先日、大分人さんが先行して歩いてくれたのだ✨ 大分人さんの軌跡がなければ、途中撤退していただろう。 改めて大分人さんに感謝申し上げたい。 炭焼き窯跡も、田んぼの石垣跡も確認できた。 鐘ケ淵までは、なんとなく道があったが、そこから林道までは道跡の確認には至らず。 他にルートがあったのか? 長い時間のなかで消滅したのだろうか? 二股に分岐する左の川方面に当時の道があるのだろうか? いくらかの不思議さや疑問が残りながらも、いろんな思いを馳せながら心豊かに歩くことができた。 いつまでも心に残るであろう山歩きとなった。 感謝🙏
