小城山 ⑥熊野古道 湯浅~御坊
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅)
(和歌山)
2025.03.30(日)
日帰り
JR湯浅駅~広川明神山風力発電所を目の前に~紀伊国屋文左衛門顕彰碑(生誕地1669年、架空とも)~久米崎王子跡(1109年弘王子で地名が今も広川・広城と残、1964年建の石碑のみ、北条泰時が地頭湯浅氏に再建命令)~井関王子(津兼王子、広川IC内、インター建設で消滅)~本場有田みかん(清見オレンジ)を自作直売の栗山園~熊野古道養生場跡(馬が休憩取る)~熊野古道旅籠藤屋跡(宿の屋号残る旅籠通り跡)~河瀬ゴノセ王子(角瀬ツノセ王子、巨石)~東の馬留王子(平安以降にできた1m角の社があった)~立場跡(乗物中継地で駕籠から牛馬に乗換えた)~痔の神地蔵(縛られ地蔵=尋ね人が見つかるよう地蔵に縄を掛け見つかると縄を解く風習)~法華檀(947年天台宗僧円善上人がこの峠で客死、日像上人配流地であり経王塚も)~鹿シシヶ瀬峠(熊野路最大難所の一つ紀南紀北有田日高境界、大峠標高354m,40m×30m平坦地は旅籠・茶店跡)~鹿ケ瀬城跡(1181年築城から400年使用、曲輪掘割残)=小城山(408m)~下山は配線鉄塔から樹木欠ける禿山で山道の崩壊が進む関電巡視路~小峠(大峠から400m、馬供養に三面八臂馬頭観音像陽刻と茶屋跡、有田と日高の境)~熊野古道公園(旧状が良好残存するで国史跡熊野参詣道)~石畳道(砂岩現存最長幅1.5m長503m)~題目板碑8基(南無妙法蓮華経の法華経題目が刻銘、1436/1442年ものも)~鹿ヶ瀬入口にはトイレと黒竹の杖(無料)・黒竹キーホールダー・千円の鹿角が無人販売、黒竹杖を頂く~沓掛王子(鍵掛王子、弁財天と共に祀る、峠越え藁沓を履き替えた)~爪かき地蔵(高野聖が広めたお大師信仰か、ここのは良く彫り込まれている)~原谷黒竹民芸組合(日高は特産地、始めは青竹が夏過ぎて徐々に黒く2年真黒に伐採しても不変で直径2~3cm太くならない)~四ツ石聖蹟地(1201年定家「御幸記」に後鳥羽上皇ら公卿たちが小憩した石に腰掛け)~西の馬留王子(光明寺隣地、班列馬留王子社址、間王子、馬に休息と飼葉)~内ノ畑王子(熊野神社を勧請した今熊野神社に合祀、定家は木枝で槌をつくり榊の枝につけ奉納)~高家タイエ王子(内原王子神社として残存、皇族の宿泊所や休憩所)~弁財天山古墳(向山四号墳大池南弁財天山にあり古墳中後期横穴式円墳男女二石棺)~善童子王子(田籐次・連同寺・伝童子・出童子or若一王子など耳の曖昧さや紀州人発音特徴を語る多くの名、富安荘四か村の氏神、2m×1m祠)~愛徳山王子(八幡山北麓、民家の間を入るみかん畑と竹藪の中に石碑)~道成寺(別記)~海士王子(八幡山南麓、久和万、クワマ、クリマ、桑間崎など呼名、祠と石碑、九海士<神功皇后帰国後お供の九人に船を一艘ずつ与えその船で漁業農業に努めた>の邑長早鷹の娘髪長宮子姫生誕地九海士の里、海女が観音を拾上げ道成寺にお祀り)~JR御坊駅。
<道成寺>
701年文武勅願寺で県最古名刹。髪長宮子姫の伝説=不比等の養女になり入内し文武妃となり聖武出産。女人開運祈願高格式寺。有間皇子供養寺かも<南北線上に岩内1号墳・道成寺・城ガ峰318m=御魂迎え入れ。今昔物語や寺絵巻の安珍清姫物語の舞台で、能楽歌舞伎「道成寺物」は日本舞踊の最高傑作と評判。七不思議①台形の石段(62個登り易く下り易いのは左右が逆ハ字で頂上広く近くに感じる)②仁王門(本堂千手観音<国宝>-仁王門開口部-石段-参道が一直線)③三重塔(1763年再建で20ⅿの心柱は妙見神社の御神木で半分に切り運ぶ神仏導きの塔、屋根の一二階は平行垂木ダルキで三階は扇垂木美工法)④鐘楼の位置(発掘調査で法隆寺左右逆の伽藍配置で今なき鐘楼の場所を推定すれば入相桜植込み、江戸期から日高川入相花王で有名、日没時に鐘打たれ=入相の鐘と呼ばれる)⑤御開帳と秘仏(33年に1度、常時いない他界の仏と再会して生と心の絆を深める)⑥娘道成寺の人気(能楽歌舞伎「道成寺物」は日本舞踊の最高傑作と評判は千手観音が手を変え品を変え我々を救ってる、舞台ではお経の言葉が多く演ずる人観賞する人に読経と同じ功徳)⑦無き鐘にひびく道成寺(初代は平安時代に安珍清姫事件で焼かれた、二代目は1585年雑賀攻め時秀吉持帰り京都妙満寺に奉納、京都で能楽歌舞伎の発展に寄与した二代目を大切にするため三代目を作らない)