中小場・茶臼山・縞枯山
蓼科山・横岳・縞枯山
(長野)
2023.09.17(日)
日帰り
1) 9月16日午後自宅を出発し、300km弱の距離を4時間半かけて走り、途中スーパーで氷と食べ物を買い求めた後、標高2127mもある麦草峠に近い公共駐車場に到着。この標高までの道路(メルヘン街道)を走るのはなかなかたいへんでした---ドイツのメルヘン街道Die Deutsche Märchenstraßeは、グリム兄弟とその童話に因む600kmの街道のようですが、麦草峠に至るメルヘン街道は童話との関わりではなく、ドイツ・メルヘン街道と道の様子が似ているため名付けられた由。私は途中のKassel、Göttingen付近は、MünchenからBerlinへの移動の途中でもあったので、何度か走ったことがありますが、全行程を走ってはいないので、名付け理由についてコメントする立場にはありません---。
麦草峠駐車場到着時の19:30頃は、キャパシティca.30台のところ6割程度の駐車でした。駐車場のトイレは洗浄便座ではなかったものの、循環式バイオ洗浄水を利用するなどで清潔が保たれていて好感が持てました。
付近にベンチがなかったので、車中で夕食を摂ったのち、早々と荷室に寝床をつくったものの、携帯の電波が届かずWiFiもなく、手洗いの照明が消えると駐車場は真っ暗になる、という状況でした。やむなく懐中電灯や車内灯を消し、20時頃体を横にしました。最初は準備で体を動かしたことや車体の熱が残っていて車内は暑い程でしたが、夜が更けるにつれて気温が下がり、持参した1.0kgの羽毛布団でちょうどよくなりました。高速道路で気温35.6度だったのが、駐車場での夜中はおそらく14-15度程度だったでしょう。避暑の目的は十分過ぎるほど果たせた格好です。
夜更けに強い雨にうたれ、遠雷もあって、夜が明けてからの天候が懸念されましたが、雨上がりの4時頃には満天の星となったので、一安心。
ただ、7月の長野旅行時は車中で眠れたのに対して、今回は20時頃から未明まで殆ど寝つけず、でした。手元に目にしうる資料などがなく、それらを手がかりにまとまってものを考える、ということができず、かといって、何も考えないでいることもできないという、まさしく無聊を託つ悩ましい状況に陥り、これにはほとほとまいりました。『眠られぬ夜のために』を著したヒルティは、眠られぬ夜を己の人生を見つめ直すために活用するよう説いていますが、人間がそこまでできていない私には、これはとうてい無理な活用法でしたし。ということで、縞枯山歩き全体ではこれが最もつらい時間だと感じられました。ただ、夜明け間近にごく僅か、おそらく1時間かそこらは眠ったようでしたが。で、目覚めた5時半頃、駐車場は満杯状態でした。
2) 朝食を摂り、山歩きの支度を調えて、6:30に50m程離れた登山口から歩き始めました。最初から北八ヶ岳らしい苔と岩の道で、雨上がりゆえ岩の道も木道も滑りやすいでした。大石峠で出逢の辻方向に迷い込み、途中で気づいて引き返すハプニングも。引き返す時、中年ご夫妻も此方へ入ってこられたので、ルート違いをお伝えし、お二人も引き返されました(東京からのこのお二人には、茶臼山展望台と、残り行程30分ほどの所で再会しています)。
登山口から37分ほどで標高2232mの中木場に到着。ここからは、南アルプスの山々やこれから登る茶臼山・縞枯山がきれいに見えました。
中木場から茶臼山へはこの日一番の急登でした。ここをなんとか登り切ると、登山口から1時間18分後に茶臼山頂展望台(標高2384m)に到着。ここからの、南アルプスから北アルプスまでの眺望は息をのむ素晴らしさでした。多数のハイカーさんたちが思い思いの場所でこの素晴らしい眺望を楽しまれているようでした。私は、デジイチ+14-140mmフォーサーズレンズで一通り遠景を撮った後、100-300mm望遠ズームレンズに換装。学習効果が働かず今回も一脚なしだったので、300mm(35ミリ換算600mm)での超望遠では焦点を合わせられなかったのが残念でしたが、ズームを落としてなんとか遠景全体を順に望遠撮影しました。そして、富士見台高原の時と同じ轍を踏むまいと、今回は南・中央・北アルプスおよび南・北八ヶ岳に詳しいハイカーさんにそれぞれの山名をご教示願い、大助かりでした。さもなくば、殆どが未踏の山ゆえ、撮影しても前回同様、山座の多くを同定しえなかったはずです(それでもなお判然としない山があるので、これらについては、わかり次第、加筆ないし訂正することにします)。
さて、茶臼山を下ると、縞枯山との鞍部には、周知の縞枯れ現象の場所がありました。そこを抜けると、縞枯山手前の展望台へ。ここは大岩の重なり合う足場のよくない場所でした。そこからは、茶臼山とその背後の南八ヶ岳が見えました。
展望台から降りてのち、縞枯の道あたりからは(あるいは展望台からだったかも)、中年yamaperさんのあとを歩きました。縞枯山山頂(標高2403m)で伺うと、栃木からの由。関西からの感覚で、遠方からですね、というと、遠くないですとの返答です。尾瀬にも近いと。確かに長野は関東・北関東からだと近畿よりずっと近いようで、駐車している車にそのあたりのナンバーが多かったのも、頷けるところです。
縞枯山を下りた雨池峠で、時計回りで雨池方向に歩かれるご当人とお別れしました。私が、逆方向の反時計回りを選んだのは、センチメンタル・トレッキングの目的があったのと、帰路は、等高線から知られる限り上り下りが少ないようなので、歩きやすそうと思われたからです。
センチメンタル・トレッキングとは:2001年8月初めに、王ヶ頭で知り合った神奈川のご夫妻に誘われ、お二人の車に乗せて頂いて、車山高原のあと坪庭を歩き、その際縞枯山荘までやってきています。2021年10月に北横岳・坪庭を歩いた際、うっかりこの縞枯山荘まで足を伸ばしそびれてしまいました。この縞枯山荘を再訪すれば、北八ヶ岳のセンチメンタル・トレッキングが成就する。これが、反時計回りのコースを選んだ最大の理由でした。そして、縞枯山荘は昔見たのとほぼ変わりない佇まいでした。
ただ、センチメンタル・トレッキングの点を除けば、実際の帰路は歩きやすいどころではなく、しかもやたらと長い歩きになりました。むしろ、時計回りの雨池経由の方が歩きやすかったかもしれません。
ともかくも、雨池峠から、縞枯山荘を経てロープウェイ山頂駅に到着。駅前の広場で己を撮影していただいたのち、麦草峠への道に入りました。木道であれば一般的には歩きやすいはずですが、滑り止めの横木のため----その必要性は十分理解しつつも---却って歩きにくさがありました。
途中で地元からとの中年ご夫妻と行き交うと、御夫君が木道を踏み外して転んでしまった由。にも拘わらず、北横岳まで登れるでしょうかと問われたので、お二人のスニーカーの靴底を拝見すると、ズルズルでした。これで濡れた岩の多い北横岳を歩くのは、滑って大けがする可能性が高いので、まったくお奨めしませんと応答。己のLOWAの、しっかりしているはずの靴底を見てもらい、これでさえ今日も一度滑ったほどですから、とも。
木道から岩の多い道に入ると、人が少なくなったクマザサのあたりで、クマ避けにと、火薬銃を鳴らしました。
岩の多い道は、さしたるアップダウンこそなかったものの、雨上がりでぬかるみが多かったこともあって、すこぶる歩きにくく、とくに、麦草峠への舗装路を横切ってからは、登り基調となって距離もあり、なかなかたいへんでした。ここで、途中休憩中の中年ご夫妻と立ち話。なんと、私と同じく、往路で道を間違えられたお二人でした。お二人は、縞枯山から戻り、五辻に下ってこられたようですが、それでも、帰路は長いと仰っていました。しかもお二人は、峠の駐車場には駐められず、白駒池駐車場まで戻る由。なおさら大変だろうと思われました。
なんとか駐車場に戻ると、脇の路上に駐車場空きを待つ車列がありました。私は、あれこれ下山後の後始末をして、駐車場を出ました。すぐさま待機中の一台が代わりにそこに入り込みました。
3) 麦草峠から東に向かって走ると、白駒池有料駐車場は満杯で、しかも路上には空きを待つ長い車列があったのには驚きました。その先にも随所の道路脇に駐車する車を見かけました。ことほど左様に八ヶ岳一帯に人気があるとはつゆ知らず。ただもう驚き、感心するばかりでした。
この先は、翌日の唐松岳歩きのために前泊する黒菱駐車場まで移動し、その前に、途中で、温泉に入り昼食を摂り、かつ適当な店で夕食を摂り、翌朝・昼の食べ物を入手する予定でした。
まずは、栃木のyamaperさんが縞枯山山頂で奨めて下さった稲子湯まで降り、入浴しました。ここは国道から林道に入ってかなり下った先でしたが、どうやら、八ヶ岳登山者の温泉宿や汗流しの場所のようでした。下記は、稲子湯のURLです。
https://www.yamaonsen.com/entry/2016/06/09/171403
湯上がり後、宿に断りを入れて休憩室で遅い昼食を摂りました。温泉の中で話し込んだお人も、引き続き話に付き合ってくださいました。
その後は、8月に妻と訪れた道の駅おがわの味菜で夕食を摂り(美味しかったので)、そこのコンビニで氷と食べ物を買い求めることにしました。
ところが、最新地図データでないカーナビで道の駅を、スマホのグーグルナビ(最新)で黒菱駐車場を、というように、目的地を別々に設定していたのがミスの元というべきか、本来150km前後の距離だったはずが、合計220km近い走行になってしまいました(これには、すぐ後に触れる、想定外の白馬・大町往復46kmが含まれていますが)。
ともあれ、途中、犀川を併走したり、犀川に架かる橋を渡るなどして、この川を何度か見ました。犀川は、室生犀星がその川西に生まれ育ったことで知られています。そして、かれの『抒情小曲集』(1918年)に含まれ、磯部俶が曲を付けた「犀川」は私の好きな抒情歌のひとつです。犀川を見て、そのことをすぐに思い出しました。その歌詞は下記のとおりです:
うつくしき川は 流れたり
そのほとりに 我は住みぬ
春は春 なつはなつの
花つける 堤に坐りて
こまやけき 本のなさけと愛とを知りぬ
いまもその川ながれ
美しき微風(そよかぜ)ととも
蒼き波たたへたり
歌唱のお奨めは、札幌大谷大学短期大学部輪声会です。
さて、道の駅おがわに到着したのは16時過ぎで、17時からの夕食までの間、隣接するコンビニで氷と食べ物を買うつもりでした。しかし、氷が売り切れだったので、食べ物を買うこともできませんでした。やむなく、味菜の開く17時まで待つことなく、白馬村まで移動。そこで村への入り口のガソリンスタンドでスーパー等の場所を尋ねると、白馬には大型スーパーはないが、大町まで出ればSEIYUとザ・ビッグがあるとのこと。そこで大町まで往復46kmを走り、両方のスーパーで食べ物とブロック氷を購入。この後の夕食分も併せてです。
黒菱駐車場への移動は、麦草峠までよりはラクでした。しかも、やはり19:30頃到着した際は、駐車場は十分な空きスペースがありましたし、手洗いも広く、また洗浄便座付きで、きれいでした。
夕食を摂り、寝場所を作り、明日のハイキングの準備を少しやって、車中泊態勢に入りました。この夜は眠れるかどうか心配しながらです。