この光景が独り占めとか贅沢プランが過ぎる
紅葉とカーペットのハーモニーが素晴らしい
いい感じ

モデルコース

柳ヶ瀬山-玄蕃尾城 往復コース

コース定数

標準タイム 00:50 で算出

やさしい

3

  • 00:50
  • 1.4 km
  • 118 m

コースマップ

タイム

00:50

距離

1.4km

のぼり

118m

くだり

118m

標高グラフ

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チェックポイント

このコースで通過する山

「柳ヶ瀬山-玄蕃尾城 往復コース」を通る活動日記

  • 12

    00:39

    1.9 km

    117 m

    柳ヶ瀬山(中尾山)

    行市山・柳ヶ瀬山・三方ヶ岳 (滋賀, 福井)

    2025.11.29(土) 日帰り

    柳ヶ瀬山(玄蕃尾城跡)へ。 玄蕃尾城は、賤ヶ岳の合戦の際、柴田勝家が築いた城です。 駐車場から、15分ほど。 郭や土塁、馬出などの史跡が見られます。 広大な山城で、見どころ十分でした。

  • 10

    00:54

    2.0 km

    108 m

    玄蕃尾城(2025-11-23)

    2025.11.23(日) 日帰り

    いざ玄蕃尾城へ。 玄蕃尾城は福井県と滋賀県の県境にある内中尾山(標高460m)の山頂に築かれた山城。 柴田勝家が「賤ヶ岳の戦い」の際に本陣を置いた陣城と云われています。 枡形虎口、曲輪や土塁、馬出、空堀、櫓台など多くの遺構が非常に良好な状態で残っており、圧倒されました! 素晴らしい!! 駐車場までの道はなかなか細く、対向車が来るとやっかいな道ではありましたが、駐車場もトイレも整備されており、且つ登山道も整備が行き届いており、ありがたい!! 良い山城でした~

  • 10

    00:59

    2.0 km

    120 m

    江越国境の玄番尾城(柳ヶ瀬山)に登る

    行市山・柳ヶ瀬山・三方ヶ岳 (滋賀, 福井)

    2025.11.21(金) 日帰り

     兵庫県の西の端から日本海側に移動して5日目になる。日本海側は低気圧の影響で曇り&雨模様だが、太平洋側の天気は良さそうで、山の向こう側の雲も薄かった。  そこで、江越国境の玄番尾城に登る事にした。  玄番尾城は、江越国境の柳ヶ瀬山(中尾山)に有り、賤ケ岳の戦い時に柴田勝家が本陣として作った。築城年代が分かり、そのまま残されて当時の姿が分かる城になる。  今回の旅で、黒井城・佐柿国吉城と併せて続百名城の97城を回ったことになる。  詳しくは、添付写真の説明をごらん下さい。

  • 10

    01:09

    2.2 km

    141 m

    玄蕃尾(ゲンバオ)城趾 標高=439㍍

    2025.10.21(火) 日帰り

    9:30 玄番尾城 駐車場着 9:40 徒歩で出発 ↓ 20分 玄蕃尾(ゲンバオ)城 着     標高=439㍍、(比高=366㍍)     福井県敦賀市刀根    尾根伝いに数多くの郭が連続している。    土塁が高く、その外に空堀もあり、防衛には相当の構えをしている。    なぜ豊臣に負けたのかが不思議だ。 11:10 退去 概要  内中尾山の山頂にあり内中尾山城ともいう。  天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家の本陣が置かれた。  「玄藩尾城(内中尾山城)跡」として国の史跡に指定されている。また2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(140番)に選定された。  本能寺の変後に柴田勝家が豊臣秀吉との戦いに備えて築城したとされるが、天正6年(1578年)に越前衆を動員して築城された。  勝家の本陣となった城は「玄蕃尾城」と呼ばれているが、史料にこの名があるわけではない。勝家の陣から行市峯(行市山)までの一里半にわたって幅三間の作道が整備されたといい、地元では勝家の家臣・佐久間玄蕃允盛政によって連絡のために開かれた尾根道と伝わる。この尾根道は「玄蕃ヶ尾」と呼ばれ、転じて本陣の城の名も「玄蕃尾城」と呼ばれるようになった。 城郭  城郭構造 山城  天守構造 なし  築城主   佐久間玄蕃允盛政  築城年   天正6年(1578年)  主な城主 柴田勝家(賤ヶ岳の戦い時の本陣)  廃城年   天正11年(1583年)(賤ヶ岳の戦い後)  遺構   郭、空堀、土塁、小口、土橋、 歴史いろいろ  朝倉氏の山城を勝家軍が整備、または賤ヶ岳の戦いの時期に初めて築城という、主に2つの見方がある。  朝倉氏時代   15世紀の豪族柳ヶ瀬秀行が築城。   朝倉氏の家臣の 疋壇対馬守久保が築城。   朝倉氏の家臣の 朝倉玄蕃助景連が築城。  柴田氏時代   天正6年頃 柴田勝家が北国街道を整備した際に、越前衆を使い築城。   天正10~11年頃 羽柴秀吉との戦いに備え、勝家の家臣である佐久間玄蕃允盛政が築城。  賤ヶ岳の戦いに関わる出来事  天正11年3月 勝家が中尾山に本陣を置く。  天正11年4月 秀吉が大垣に出陣した隙に、勝家軍が進撃するも、反撃にあい、総崩れ、勝家は北ノ庄へ敗走。廃城となる。

  • 8

    00:42

    1.8 km

    117 m

    柳ヶ瀬山 玄蕃尾城跡🏯2025-10-05

    2025.10.05(日) 日帰り

    義父49日法要で敦賀へ・・・ 当日の夜、我が家に泥棒が入り、娘=財布 妻=1万円 次男=5千円 被害😱 リビングと玄関鍵掛けず就寝。😰 15時から法事開始、16時過ぎ終了。 義父描いた油絵20作程持参して、欲しい絵を 差し上げる。10枚ほど減り良かった。😃 17時から会食。 翌日朝、長男と玄蕃尾城跡🏯(柳ヶ瀬山)登る。久しぶりに山に・・・腰良さそう⁉️ 10時宿戻り、妻、長女と合流して京都のお墓へ納骨に行く。14時から大谷本廟で・・・ 滞りなく終了して、帰路に。長男を山科駅まで送る。長女、豊川駅へ送る。 減量し、坐骨神経治そうとトライ中👍 4キロ減量目指します。 義父油絵欲しい方、遠慮なくお知らせ下さい。 過去、二紀展に何度か入選してます。 画家では有りませんが、趣味で描いていました。 ◉ 🖼️も写真載せておきます。 

  • 7

    00:36

    1.4 km

    105 m

    玄蕃尾城(柳ヶ瀬山(中尾山))

    新谷山・妙理山・七七頭ヶ岳 (滋賀, 福井)

    2025.10.05(日) 日帰り

    続日本百名城の玄蕃尾城に久しぶりに登ってきました。 ニッポン城巡りのエリア限定めぐりにあわせて行きました。 最近は何かと熊が騒がれています。この城も熊注意の看板がありますので、おそろおそろ登りました。 主郭部を足早に見て降りようと思っていたところ、人に会いました。駐車場に一台停まっていたので、その方でした。 熊出没エリアで一人でないというのは、心強いものですね。 更に話しているとやはり同アプリでエリ限していたとのこと。この後の賤ヶ岳もご一緒しました。