02:37
10.9 km
511 m
2026年初登り✨️獅子ヶ森・巴山・文殊山
巴山・獅子ヶ森・文殊山 (愛知)
2026.01.05(月) 日帰り
🎍あけまして おめでとうございます🎍 本年も、皆さんのレポを参考に山を楽しみたいと思います😆 よろしくお願いします🙇 初登りは、近場でサクッと終了です
モデルコース
04:00
10.9km
515m
515m
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02:37
10.9 km
511 m
巴山・獅子ヶ森・文殊山 (愛知)
2026.01.05(月) 日帰り
🎍あけまして おめでとうございます🎍 本年も、皆さんのレポを参考に山を楽しみたいと思います😆 よろしくお願いします🙇 初登りは、近場でサクッと終了です
04:24
12.7 km
580 m
04:18
11.1 km
506 m
巴山・獅子ヶ森・文殊山 (愛知)
2025.10.05(日) 日帰り
愛知130山の一つ〝巴山〟です😊 巴山周辺の文殊山と獅子ヶ森をつないで周回しました♪ 白い小さなお花がたくさん咲いているなぁって思い近づいてみたらアケボノソウでした🤩 探して歩くのではなくたまたま見つけた!って嬉しいですね♬
03:33
11.5 km
519 m
巴山・獅子ヶ森・文殊山 (愛知)
2025.09.28(日) 日帰り
昨日は、都会のオアシス東山公園を4km歩いたので、今日は、作手高里の3座を11km歩きました。 感動が多いので、箇条書きにします。 ・いつもお世話になっている新城市つくで交流館の駐車場。今日は、車が多くてビックリ!気温は21℃で、1000m以下の低山でも十分涼しい。 ・獅子ヶ森への登山道は、沢沿いです。もちろんおくら🐶は入ります。 ・沢からあがると、来た道を戻ろうとします。最近のおくら🐶は、疲れて脚が遅くなっているのかな? ・しばらく歩くと、止まります。まさか「拒否シュナ」発動?ステロイド治療から後ろ脚の筋肉が増えません。褒めて、なだめて、引っ張って歩かせました。 ・獅子ヶ森の山頂に新しいプレートがありました。感謝です。祠もありました。 ・巴山に向かう道は、地面が杉の葉で覆われ気持ちよく歩けます。風も吹き抜け、最高です。 ・巴山の手前に、白鬚神社の鳥居があります。私も、白髪と白髭なので、ご縁のある神社です。 ・山頂に巴山三川分流碑があります。愛知県東部を三河地方というのは、豊川、矢作川、男川だからか?!(諸説あります!) ・巴山から文殊山に向かう林道で、今回初めての眺望です。バイクに会いました。富士山のワゴニアの向こうを張って、巴山のキャリーもあります。 ・下りでは、歴史の足跡を見て、その先にきれいな沢があるので、おくら🐶は楽しめました。 ・防獣柵を出ると、たわわに実った稲穂があります。黄金色とは、よく言ったものです。嬉しくて、みんなで写真を撮りました。 ・文殊山の登山口に、善福寺という雰囲気がいいお寺さんがあります。山門で仁王像がお出迎え。 ・その先の参道は短いですが、とてもいい雰囲気です。つくで歴史散歩道にもなっていました。紅白の彼岸花のお出迎えに感動! ・山頂は、文殊山城跡です。近くにブナの保護樹がありました。とても立派です。 ・駐車場に戻ると、車が4〜5台停まっています。作手小学校には図書館が併設されている文化施設です。グランドには、きれいな公衆トイレがあり、とても助かっています。 ・帰り道、おくら🐶のトイレ休憩で降ろすと、明らかに歩き方がヨボヨボしています。やっぱり12歳のおくら🐶には、きついのかなぁ?でも、脚力の老化を少しでも遅くするために歩きます!
04:09
12.5 km
562 m
巴山・獅子ヶ森・文殊山 (愛知)
2025.09.23(火) 日帰り
残暑も一段落、いよいよ秋の訪れ。 平日の中日祝日、近場の低山へ。 久々の里山王国、愛知県は新城市。 避暑目的もあり、初級者向け高山ながら歩き応えのある山が続いたので、まったり山歩きが染みる… 8割がダート林道の構成。 急登は概ね無し、トレラン未経験の私でも思わず走れそうな道(笑) 高原エリアでも無いが、想像以上に涼しくて汗も控え目で快適散歩。 夏場は気持ちが離れてしまうが、やっぱり里山良いねと改めて思う(笑) 愛知130山 51/130 巴山
03:36
12.2 km
524 m
巴山・獅子ヶ森・文殊山 (愛知)
2025.09.07(日) 日帰り
大雨の後のヒルを避けて本日巴山へ 最初は市役所の駐車場へ停めようとしてましたが、何かのイベントで入れなかってので、歴史民族資料館の方へ停めさせて頂きました🙇 (開館前に戻ってくるということでお許し下さい) バイキンルートはは殆どが林道で、山の中も綺麗に手入れして頂いており、非常に歩きやすかったです😁 文珠山城も一夜城と呼ばれている様で、秀吉以外もあるのかと新鮮でした🏯 眺望は余り無く、左足首も山登りだとまだ痛くなるので、一山で終了 市役所のイベントはサイクリングのレースでした🚴 交通規制始まりかけてたので、回避できて良かった 愛知130山 121/130
02:00
12.1 km
544 m
巴山・獅子ヶ森・文殊山 (愛知)
2025.08.31(日) 日帰り
再来週は三河高原トレイルランニング🏃♂️に参加するんですが試走は禁止されてるのでYAMAPのおすすめ周回コースに行ってきました♪😊 いつもの多度山によく似た感じで私にとっては丁度イイ上り下りだったので気持ちよく回ってこれました👍帰りにすぐ近くの道の駅つくででスパイカレー🍛食べて満足しました😋💦
06:40
12.6 km
550 m
巴山・獅子ヶ森・文殊山 (愛知)
2025.08.30(土) 日帰り
このところ海に近い山を登っていたが、残念ながらこのような山は湿気が高く、夏場は汗の滝。いくら拭ってもじっとりした汗がまとわり付き、景色はともかく決して快適とは言えない山行だった。 今度はもう少し涼しい内陸部の山を登ろうと地図などで探していると、たまたま資料①の活動日記が目に止まった。この資料にあった獅子ヶ森や巴山・文殊山は全く知らなかったが、これまで作手(つくで)村(現在は新城市作手地区)には渓流釣りを発端とし、その後は湿原や史跡散策をメインに年に一度ほど訪れていたため、若干の土地勘も養われている。 登山道の細かな様子や有害生物など分からない点もあったが、山中には好物の史跡も現存している。そうなると行くしかないが、歳ゆえにちと不安も残る。しかしながら、資料に掲載された写真や行程などから、現在の自分でも十分登れるのではないかと判断し、今回の行動に至った次第。 …だが、当日は猛暑。現地近くの新城市作手総合支所駐車場(以下、作手支所駐車場) に到着し車から一歩降りると、立ち眩みのような症状。それでも根性でこの駐車場から30分ほどかけて国道脇の歩道から舗装された村道を歩いて植林帯の林道へと入る。林道は未舗装の緩い登りだったが、日陰が多く風もやや強いため、体感気温は 25度ほど。やがて先ほどの症状も解消し、いつものペースで歩けるようになった。 【 たどったルートと感想 】 今回のルートはある地点からその先の様子を確かめたため、次のように3つの区間に分割した。 1.作手支所駐車場 → 705m地点(林道) →獅子ヶ森 → 獅子ヶ森南西直下分岐点 ⇆ 705m地点(林道) 2.獅子ヶ森南西直下分岐点 → 723m地点→ 707m地点 ⇆ 707m地点南西の林道 3.707m地点 → 690m地点(舗装道) → 白髭神社鳥居→ 巴 山 → 701m地点(休憩広場近傍) → 林道(未舗装) → 693m地点 → 石堂ヶ根合戦跡祠→ 林道との交差点→ 631m地点(石堂ヶ根合戦 戦死者の墓)→ 604m地点→ 柵(獣避け扉) → 善福寺 → 文殊山 → 作手支所駐車場 ルートによって差はあるが、登山道は全体的に道幅も広く明瞭だった。道幅が狭くて不明瞭な登山道は1.の区間の獅子ヶ森山頂 → 獅子ヶ森南西直下分岐点間(写真22~25)と、3.の区間の693m地点のある林道から石堂ヶ根合戦跡祠へと登る登山道(写真62)だったと記憶している。 また、道幅が広くても迷い易い場所が6箇所ほど見られたが、その場所は道標や赤テープの目印があればまず迷わないと思われた。しかしそれを待っていると、何年先になるか分からないため、そのような場所は掲載した写真に矢印や文字等を書き入れた。 その他諸々については、写真のコメント欄に適宜書き込んだ。水場については写真8や71の場所に小沢があり、綺麗な水が流れていたが飲用の適・不適は不明である。 【 駐車場とトイレ 】 駐車場は作手支所の駐車場を利用させていただいた。この駐車場は常時開かれており、舗装された区域と未舗装の区域に分かれていた。舗装された区域は支所の利用者用と考えられたため、未舗装区域に車を止めた。駐車台数はいずれも40台前後と思われた。 トイレはこの駐車場には見当たらなかったが、ホームページで調べると、本支所の建物内にトイレマークが記されていた。土・日曜日や休日でこの建物に入れない場合は、この駐車場から150 m以内に作手交流館や民族資料館、Aコープ作手店などがあるため、そこを利用させていただく方法もある。なお巴山の山頂に神社の休憩所(写真48)はあったが、トイレは無かったと記憶している。 【 有害生物 】 2018年7月末のこと。本宮山スカイラインに沿ったハイキング道でダニにたかられたことがあった。その場所は本宮山の北方1km付近だが、腰ほどの高さのワラビがハイキング道を覆っており、そこを通ったときだった。 距離は10mもなかったが、何気なくそこを通り抜けた後、ふとズボンの膝辺りを見ると体長数ミリほどのダニが4·5匹モゾモゾと蠢いていた。これはヤバイと、直ぐに指先で弾き飛ばし難を得たが、このときに改めて近年の山の恐さを実感した。 今回登った山々も本宮山に近いためダニはある程度覚悟していたが、思いの外登山道が広く、ダニの住みかとなりやすい羊歯やワラビ、笹・ススキの類も少なく、また忌避剤も衣類にたっぷり塗布していたため、被害はもちろんそれを見ることもなかった。 蚊やブヨ等については、西尾市の茶臼山や知多半島の山で結構悩まされた。しかし、今回の山では悩まされるどころかその姿もほとんど見掛けなかった。忌避剤の効果や季節柄とは思えないのだが…。 熊については、数年前に隣の豊田市下山地区で目撃された。この地区もすでに彼・彼女らの生活圏となっている可能性があるため、熊鈴は最も良く鳴る場所に取り付けた。 これは熊ではないと思うが、写真57の50mほど手前で大きな何かが林道から右側の森へと走り去る気配がし、その直後にその森からピーとギャーの中間のような声がしばらく聞こえていた。鹿ならばピーだろうが、あれはいったい何だったのだろうか👽️。 【 参考:つぶやき 】 ◾️石堂ヶ根合戦について(写真64) この合戦は、武田信玄の急逝後に今回の地区でお家存続のために武田側に付くか徳川方に付くかで起こった戦いだが、この判断は極めて難しかったと思う。 今回この山の史跡を訪ねて、人の行動や運命に非常に遣る瀬なさを感じた。地形も合戦当時と大きく異なると思うが、このような山深く険しい場所でも戦いが行われたとはとても信じがたく、亡くなられた人々はその後の武田(本家)の滅亡と徳川の繁栄をあの世からどう感じていたのだろうかと思ってしまう。その後の武田家の末路は概略次のようだが、現代にも通じるところがある。 信玄の急逝は1573年5月。石堂ヶ根の合戦は同年8月なので、この頃は武田家でも混乱状態だったと思われる。 この年に信玄の後を継いだ武田勝頼は、信玄も落とせなかった高天神城(掛川市)を1574年5月に落とし、東美濃の支城も次々と攻略するなど勢力の拡大を図り華々しい活躍を遂げた。しかし、1575年6月の長篠の戦いでは負け戦となり、多くの武将を失っている。 結局このことが原因で北条氏との同盟も崩れ、重臣で勝頼の叔父穴山梅雪や家臣達、また木曽義昌にも見限られ、最終的には織田信長と同盟者の徳川家康、また北条氏政も加わった征伐により1582年4月、甲州の天目山で悲運の最期を遂げてしまった。 資料④には、勝頼について次のように書かれていた。この資料は武田の家臣(武田四天王の1人)が綴ったものだが、日付が長篠の合戦の直後のため、正に武田家の行く末を予測していたのである。 ……強過ぎる武将は、計策や武略のような智略を臆病に似ているといって嫌う。その心根を強過ぎるというのである。 過ぎてはよくないことをわたしがものの喩えをひいていうのを………信玄公が武勇だけでなくすべてにすぐれた名武将であったからである。それなのに勝頼公は信玄公よりも剛強にふるまおうとして、強過ぎて敗北を喫した。勝頼公は強過ぎるゆえ、このままでは領国を滅ぼすのは必定である。よからぬ家臣が軽薄に誉めるのをよしとされるのは…… 天正三年(一五七五)六月吉日 長坂長閑老 跡部勝資殿へ 高坂弾正忠昌信 記す また資料⑤の著者は家康の家臣だが、勝頼の最期を次のように綴っていた。 天正十年春、木曽義昌は勝頼を裏切って、信長の道案内をした。それで信長親子は高遠へ出陣して、高遠の城を攻めとった。勝頼は諏訪に出陣したが、高遠が落城したと聞いて、諏訪より甲斐の国へ引きあげなさった。 もはや譜代の人びともみな、配下を離れてしまい、どうしようと思案なされている。そばでまだのこっていた人びとも「おともすべきか」「どうしよう」とひそひそ話をするしまつだった…… ………勝頼は、はやくも配下の者たちが、ちりぢりに主君をすてて遠げ落ちたので、わずか数十騎ほどになっていた。新府に天正十年三月三日に奥方をつれておいでになり、同郡内の小山田(信茂)方へおうつりになる。小山田八左衛門尉という者を前もって連絡にやったが、小山田も心がわりして、勝頼を近づけない。……そこでまた、ここまでおともをしていた者たちもちりぢりになり、もはや五騎十騎の人びととともに天目山(甲州市大和町)に入ろうとなさった。ところが天目山にはご譜代ひさしい甘利甚五郎と大熊新右衛門尉のむこしゅうとが先に入って、寝がえって、矢、鉄砲を向けて射かけ撃ちかける。どうにもならずに、奥方、お子(信勝)をともなって、河原に敷皮を敷かせて休んでおいでになった。あとからまもなく敵が追いつき切りかかった。土屋惣藏 (高恒)は、立ち向かい戦ったが、……土屋はそれから矢束をといて、ばらりと投げ、とってはつがえ、とってはつがえて、さんざんに馬に乗って射てまわり、多くの敵を殺してから、もどる。奥方とおそばの女房たちにお別れをなさり、勝頼とお子様の介錯をして、みずからも腹を十文字に切って、あの世への三途の川のおともをした土屋惣蔵のありさま、「昔も今もまれである」とほめぬ者はいなかった。 その後、勝頼親子の首を信長の目にかける。信長はご覧になり、「日本にまたとない武人であったが、運がおつきになり、こうなられたことよ」とおっしゃった。 【 参考資料等 】 ◾️ヤマップ活動日記 ①「文殊山・巴山・獅子ヶ森」 ayaton さん 2025.08.14(木) https://yamap.com/activities/42170164 ◾️ホームページ等 ②「作手総合支所」新城市ホームページ ③「三角点マップ」Takapp geo.takapp.jp ◾️書籍等 ④「甲陽軍鑑」 佐藤 正英 校訂/訳 ちくま学芸文庫 2023.06.10 ⑤「三河物語(現代語訳)」 大久保 彦左衛門 (小林 賢章 訳) ちくま学芸文庫 2024.05.25
03:36
11.7 km
527 m
03:37
11.8 km
527 m
巴山・獅子ヶ森・文殊山 (愛知)
2025.08.29(金) 日帰り
盆過ぎたのに暑さが続く日々🥵 涼を求めて高い山を探すも…知ってたけど近くにそんな山はナイ😂 Kチョイスで巴山に決定!歴史に触れながらの山歩き🚶♂️下界より3℃くらい低く、虫も少なめでよかった👌 おつかれさま