ヤマタニヤマタニ

ヤマタニ

プレミアムユーザー

ユーザーID:2972249

  • 活動エリア愛知,三重,滋賀
  • 性別男性
  • 誕生日1949年

 70歳代後半の元青年です。 生まれと育ちは東京都ですが、愛知県に住んでかれこれ半世紀以上。  10代後半から「山のめり症候群」、いわゆる好山病を患っていましたが、30代になると仕事や子育て他、何やかんやで山へ行く気持ちは徐々に喪失。  それでもたまに禁断症状が出るため、そんなときは山中や野池で魚釣り。おかげで10年もすると症状は完治しましたが、山登りとはすっかり縁が無くなってしまいました。  しかし、このビョーキもストレス発散や健康に良いかと、 2021年11月から 適度に発症するよう意図的に自身を制御することに…。放浪する先は、大抵は鈴鹿山系や愛知県内の山系です。  プロフィールの2枚の写真は症状が重かった頃の自分で、八ヶ岳の編笠山(1969年11月)と同キレットの南側にある岩場 (たぶん権現岳の山頂:1971年11月キレット小屋の大塚氏撮影) 。 ヤマップのアプリを使い始めたのは、2023年4月22日からです。 【 百名山20座放浪記 】  この当時は「百名山」の流行り言葉は、巷には流行っていなかったと記憶。記憶を辿ると、これまでに登った山で深田久弥の百名山に該当する山はちょうど20座。自身のメモがてら、それらについて記します。  なお、山頂まで登った山は「▲」。登れなかった山はカウントせず「△」としました。 ▲丹沢山 初 回:昭42.7月下旬(ソロ)  ◎宮ヶ瀬 ⇔ 馬場 ⇔ 塩水橋  ※夏季休暇で両親の住む日野市の家へ半年振りに  帰省したときの事だった。その家からは高尾山を  始め富士山や丹沢山も多摩丘陵越しに望めたが、  この山々を眺めていると、小学校の高学年まで住  んでいた八王子市南部の丘陵地から望めた丹沢山  を思い出した。   それは雨上がりの直後だったが、普段は淡青や  青黒く見える丹沢山が鮮やかな青緑色に見え、そ  の山体は勿論のこと、そこに生えた木々もクッキ  リと眺められた。   こんな想い出があり、この山を少しでも近くか  ら眺めたくなり、電車とバスを乗り継いでこの山  の麓へと出かけた。   地図は、現在も手元にある昭和42年4月発行の  昭文社の地図(丹沢)を使ったと思うが、この山  の北東にある宮ヶ瀬のバス停で降りた。   暑い日だったが、このバス停から馬場(現在の  宮の平バス停)→高畑山登山口→と通り、中津川  に沿って延々と砂利道の林道を歩き、塩水橋の先  の林道がカーブする場所まで辿ったときに帰りの  バスの時間が気になったため、そこから往路のバ  ス停まで戻りこの初めての山行を終えた。   このときの丹沢山はあまりにも近過ぎて見るこ  とは叶わなかったが、この山の山腹まで来られた  ことや周りの景色も十分堪能できたため、8割ほ  ど満足して宮ヶ瀬のバス停を後にした。   現在は宮ヶ瀬に巨大なダムと湖があるが、当時  は中津川の河原で2台ほどの重機が川砂利を掬っ  ていただけで、ダム建設の気配は全く感じられな  かった。また当時の宮ヶ瀬は、小さな店先の傍ら  にぽつんとバス停の立つひなびた集落だった。   このときの山行は、単なる林道歩きで、決して  登山と言えるものではなかった。装備はナップザ  ックにパンと飲み物やタオルなどを詰め込んだだ  けで、靴もバスケットシューズだった。   だが、この行動がきっかけとなり、次の「美ヶ  原・霧ケ峰」前後に登ったであろう鈴鹿御在所岳  以降から事実上は登山と思える山行となった。し  かし、この御在所岳へ登ったときも装備や靴はこ  の時と同じだった。 2回目:昭43.7月下旬(ソロ)  ◎箒沢山荘→箒沢山の家→檜洞丸→蛭ヶ岳→丹沢   山→東峰→宮ケ瀬  ※2泊3日の日程。台風が接近していたため、初  日と2日目は大雨。初日は早々と箒沢山荘に泊ま  り、2日目は箒沢山の家付近の登山道(ツツジ新  道?)から登り、檜洞丸を経て蛭ヶ岳山荘で素泊  り。3日目にこの山荘から丹沢山を経て尾根伝い  に宮ヶ瀬へと降り立った。   なお、印象として比較的強く残っているのは、  次の4点となる。  ★ツツジ新道?から檜洞丸へと登る途中に渡渉点  があり、普段は簡単に渡れるであろう小沢が激流  となっていた。水位は膝小僧が隠れるほど。   何としてもここを渡りたかったが、無けなしの  金で買ったミズノの革登山靴をびしょ濡れにした  くなかったため、これを対岸へ放り投げて、素足  でここを渡った。   もし、滑って転倒したら大変なことになってい  たが、この一件以来、渡渉時は靴を履いたままの  方が無難と考えるようになった。  ★登山中の飲料水をこの沢で得るつもりでいたた  め、出発時は水を少ししか汲まなかった。   しかし、この沢に到着すると濁りがあり、とて  もではないが飲める状態ではない。   仕方がないので、ブナの幹を伝って流れる雨水  をススルように受け飲みし、その後もこの方法で  何とか凌いだ次第。  ★檜洞丸から蛭ヶ岳への縦走路の途中で得たいの  知れない動物の気配を2回ほど感じた。たぶん、  鹿 > 猿 > 猪 > 熊の順。  ★蛭ヶ岳山荘でのこと。夜の9時頃だったが、管  理室の方から誰かが苦しむ声が聞こえた。   声をかけると、この山荘のオーナーと一緒にこ  の山荘を切り盛りしている方で、オーナーが看病  されていた。   当時のこの山荘には、電話はなかったため、明  くる日の下山途中で、電話のある丹沢山のみやま  山荘へその旨をお伝えし、この山を後にした。 ▲美ヶ原・霧ヶ峰 初 回:昭42.9.15-16  ◎王ヶ頭→美しの塔→塩くれ場→茶臼山→扉峠→   三峰山→和田峠(泊)→鷲ヶ峰→八島湿原→車山   (霧ヶ峰)→白樺湖  ※初めての本格的な登山となる。これまでは新聞  のニュースや周囲の人達から山の怖さを再三知ら  されていたため、「あんな所に行く連中はまとも  じゃない」と思っていた。しかし、当時流行って  いた映画「高原のお嬢さん」の噂やその主題歌か  ら連想する情景への憧れが勝り、職場の友人と一  緒に登った。   美ヶ原へ行く途中の車窓から見えた生まれて初  めて見る紺碧の山や空に超感激!   やがて美ヶ原に到着し、バスから降りたときに  は濃霧で何処が何処やら判らない。   それでも美しの塔や王ヶ頭など、友人のリード  でこの高原を一通り散策し、茶臼山から扉峠・三  峰山を経て和田峠へと向かった。   お互いにザックのパッキングや地図の見方も殆  んど知らない全くの初心者。「山って、こんなに  シンドイのか!」と思いながらも何とかこの峠に  到着し、そこでテント泊。   寒くてろくに眠れなかったが、明くる日は鷲ヶ  峰から八島湿原へ至り車山へ到着。そこで蓼科山  や八ヶ岳などの眺望を堪能しつつこの山を下り、  白樺湖のバス停へと無事到着した。 2回目:昭46.8月?  ◎白樺湖 ⇔車山 (霧ヶ峰) ▲雲取山 初 回:昭43.5.3-4  ◎鴨沢→七ツ石山→奥多摩小屋(泊)→小雲取山→   雲取山→雲取山荘→芋ノ木ドッケ→長沢山→天   祖山→日原  ※兄に連れていってもらった。初日は奥多摩小屋  に泊まったが、小屋泊まりは初めての経験。   明くる日、雲取山から長沢山を経て天祖山へと  辿ったが、天祖山付近から日原へ降るときに雷に  遭遇。最初は稲光と雷鳴だけだったが、やがて雨  が降り出し近くに落雷!…急ぎ足で登山道を降る  が、雷はまるで自分達を狙っているかのように横  や斜め下からも容赦なく落ちてくる始末で、日原  に辿り着いたときには全身濡れ鼠だった。   これほど激しい雷雨は初めての経験で、それ以  来、雷が苦手となった…。 ▲白 山 初 回:昭43.9.22-24  ◎鳩ヶ湯→上小池→三ノ峰非難小屋(泊)→三ノ峰   →別山→室堂→白山(御前峰・他)→室堂→大白   川ダム→平瀬バス停  ※三ノ峰の避難小屋で1泊したが、そこで水をき  らしてしまった。次の水場は、別山の途中にある  御手洗池しかない。仕方がないので、喉の渇きを  我慢し、やっとその場所に到着した。   池は尾根筋にあり、わずかに茶色だったが、澄  みきった水を満々と湛えていた。だが、よく見る  とボウフラが結構泳いでいる。しかし、次の水場  まで到底我慢できない…。   少々ためらうが、それを掻き分けながらポリタ  ンクに水を汲む。そして、いざ飲もうとタンクの  中を覗くと数匹のボウフラが泳いでいる。さらに  幾度か水を汲み直し、中を覗くがボウフラの入ら  ない水を汲むことは極めて困難。   結局、沸かすのが面倒なため、ためらいながら  も、それを避けながらその水を飲んだ次第…。   幸いにも腹痛や下痢はなかったが、近年ならば  エキノコックス(潜伏期間 約8年)のような寄生虫  のリスクもあるため、ヤバいヤバい体験だった。   …また帰路は、大白川ダムから平瀬のバス停ま  で砂利道の林道を歩いたが、その長いこと。4時  間近くかかったと記憶している。 2回目:昭47.7.26-28  ◎平瀬(泊) ・大白川ダム間は車移動⇔ 室堂(泊) ⇔   白山 ▲燧ヶ岳 初 回:昭44.5.1-3(ソロ)  ◎富士見下→富士見峠(泊) →アヤメ平→鳩待峠→   山ノ鼻田代→下田代十字路→中田代三叉路→下   田代十字路→三条の滝→下田代十字路(泊) →燧   ヶ岳→沼尻平→三平峠→一の瀬→大清水  ※尾瀬ヶ原では残雪が木道を覆っていた。2回ほ  どその道を踏み外し、下半身泥まみれとなる。   最終日は燧ヶ岳に登り尾瀬沼へと降ったが、燧  ヶ岳の山頂から少し降った辺りで登山道を歩くの  が面倒になり、雪の斜面を尻セード。瞬く間に尾  瀬沼近くに到着。周りの登山者は呆れ顔で見てい  たが、若気の至り。後に深く反省した。 ▲金峰山・甲武信ヶ岳・雲取山 初 回:昭44.7.27-31(ソロ)  ◎増冨温泉→金山→金山峠→富士見平小屋→大日   小屋(泊) →大日岩→金峰山→鉄山→朝日岳→大   弛峠→北奥千丈岳→国師岳→東梓→富士見台→   甲武信ヶ岳→甲武信小屋(泊) →木賊山→西・東   破風山→雁坂峠→古礼山→雁峠→笠取山→唐松   尾山→将監峠→将監小屋(泊) →竜バミ山→大常   木山→飛龍山→ミツ山→雲取山→小雲取山→奥   多摩小屋(泊) →七ツ石山→鴨沢  ※初日に瑞牆山へ登る予定だったが、中央本線の  夜行列車で来た疲れもあり、この山は断念し、早  々に大日小屋(無人)に泊まることにした。小屋に  入ると、先客が部屋の片隅で寝袋にくるまって寝  ていた。起しては申し訳ないないので外で夕食の  準備をし、それを済ます。    やがて日没を迎え小屋に入ると、先客はまだ寝  ていた。20時頃であろうか、こちらも寝袋を取出  してその中に入るが、先客はピクリともせずに就  寝中。…もしかしたら寝袋の中身は遭難○体?。  嫌な予感が頭をよぎったが、自身に「それはちょ  っと考え過ぎ!」言い聞かせて就寝した。   …22時を過ぎていたただろうか。人の話し声で  目が覚めた。何と寝袋の主が自分が眠っている間  に、この小屋に来た人と会話を交わしていたので  ある。話の端々を繋ぎ合わせると、先客は体調が  優れなかったため寝ていたのだった。   明朝この小屋を出発し大日岩付近で、先ほどの  小屋で水を補給し忘れたことに気が付いた。次の  大弛峠の水場で何とかなるだろうと高を括り、や  がて金峰山へ到着。だがその先の鉄山付近で限界  を迎えた。ラムネ菓子を口に含むが気休め程度の  効果しか得られない。朝日岳に着いたときには意  識モウロウ。真夏の暑い中で5時間も水を飲んで  いないので当然である。フラフラ状態でやがて、  大弛峠に到着。そこの水場が極楽に思えた。   …しかし、またまた次なる試練!何と、国師岳  付近で脚がつり始めた。山では初めての経験だっ  た。エアーサロンパスを吹き掛けて処置するが、  30分も持たない。…最悪の状態だったが、何とか  目的地の甲武信小屋に辿り着いた。   明くる日、笠取山の手前から数組のパーティと  抜きつ抜かれつ。自分を含め将監峠で全てのパー  ティが休憩。皆疲れきっているため、飲み物の話  しとなった。コーラ、ビール、コーヒーなど様々  だが、将監小屋に泊まればこれらが飲める。そん  な訳で全員がこの小屋に泊まることとなった。   小屋の管理人は、30歳半ばの小柄な奥多摩なま  りのおっさん。各自が好きな飲み物を口にしなが  ら、そのおっさんからいろんな話しを聞かせて頂  いた。そのうち、皆がすっかり打ち解けてドンチ  ャン騒ぎ。就寝前には、何と風呂のご馳走にもあ  りついた次第。   ちなみに当時の宿泊料金は、素泊りで1泊300  円~400円ほど。 ▲白馬岳・五竜岳 初 回:昭44.9.12-15  ◎猿倉→白馬山荘→白馬岳→白馬山荘(泊)  ◎白馬山荘→杓子岳→鑓ヶ岳→天狗の頭→不帰嶮   →唐松岳→唐松山荘→大黒岳→白岳→五竜岳  ◎五竜岳→白岳→大黒岳→唐松山荘→八方池→八   方山→北股尾根→細野(泊) 2回目:昭52.9月?  ◎猿倉→白馬山荘→白馬岳→白馬山荘(泊)  ◎白馬山荘→杓子岳→鑓ヶ岳→天狗の頭→不帰嶮   →唐松岳→唐松山荘→八方山→北股尾根→細野 ▲八ヶ岳(南) 初 回:昭44.11.1-3(ソロ)  ◎麦草峠→高見石→中山→天狗岳→硫黄岳→横岳   →赤岳→権現岳→編笠山→小淵沢 2回目:昭46.11月上旬  ◎麦草峠→白駒池→高見石→中山→天狗岳→   硫黄岳→横岳→赤岳→権現岳→編笠山→小淵沢  ※小屋泊まりで、友人と登ったときだった。高見  石小屋辺りから雪がちらつき、中山付近からは本  格的な雪となり、東天狗岳に到着したときには猛  吹雪となった。辺りは瞬く間に雪に覆われ何処が  登山道なのか判別がつかず、視界も極端に低下。  後方を振り返るが友人の姿が見えない。しかし、  オーイ!と声をかけると4・5m後方にいた。   低山の雪山は何回か経験していたのだが、11月  上旬にこのような天候になるとはあまり予想して  いなかった。この季節の高山の恐ろしさを身をも  って体験した一場面だった。   こんな中を地図とコンパス、また一昨年にこの  道を辿ったときの記憶を頼りに、本日の目的地の  夏沢峠の小屋へと向かって歩く。そして30分ほど  歩くと道の右側に小屋があるのを発見したため、  急遽その小屋ヘ駆け込んだ。   小屋の管理人さん、「…今日は誰も来ないと思  っていたが、まさかこんな日に来るとは」と少々  呆れた様子だった。その日は目的地だった夏沢峠  は諦め、この小屋に宿泊し、特別に風呂までご馳  走になった。   …明くる朝、小屋内の寒暖計を見て仰天した。  何と気温が約-20度。このような気温を体験した  のは、後にも先にもこのときだけだった…。 3回目:昭48.11.2-5  ◎麦草峠→高見石→中山→天狗岳→硫黄岳→   横岳→赤岳→権現岳→編笠山→小淵沢 ▲御嶽山 初 回:昭45.7月(ソロ)  ◎田の原 ⇔ 御嶽山 2回目:昭47.8月  ◎田の原 ⇔ 御嶽山 3回目:昭49.12月下旬  ※4人パーティーの年末登山で、田ノ原にテント  を張った2日目のことだった。   テント内でコッヘルを使って湯を沸かしていた  ら、突然それが倒れ、自分の脚と股間に湯がかか  ってしまった。   慌てて外に飛び出し、幾度か雪で患部を冷やし  たものの、その晩や次の朝も微熱が続いた。   このような状態のため、申し訳なかったが、自  分は下山することにし、残る3人で登頂してもら  うこととなった。   火傷の状態は、登山靴も履けなくなったため、  共同装備を残し個人装備と登山靴を背負って、オ  ーバーシューズのみで下山した。   この数年前、これと同じ事故が某山の雑誌に載  っており、「ドジだなぁー」と笑ったが、まさか  自分がこのような災禍を被るとは夢にも思ってい  なかった。そして、テントの中で煮炊きなどはす  るものではないと、身に染みて分かった次第…。   なお、このときの火傷痕は、ほぼ20年後まで残  っていた。 4回目:昭52.8月?  ◎田の原 ⇔ 御嶽山  ※山の会の先輩に依頼された山行で、名古屋市内  の某「青年の家」の行事の登山ガイド兼見守役と  して付き添った。   参加人数は10人前後で、年齢層は20歳前後だっ  た。まず山頂へ登った後、山頂一帯を周回して無  事に下山した。   下山後は自分の至らない部分もあり、やや物足  りないと感じたが、その中の何名が山に興味を持  ってくれたのか、今でも気になっている。   なお、この年の秋にも御在所岳の登山ガイドを  依頼されて前日に湯の山に赴いたが、明くる日が  雨だったので、山行は中止となった記憶がある。 ▲槍ヶ岳・穂高岳 初 回:昭45.9.20-22(ソロ)  ◎上高地→横尾→槍ヶ岳→南岳→北穂高岳→   涸沢岳→奥穂高岳→前穂高岳→上高地  ※槍ヶ岳→穂高岳山荘までは雨に祟られた。   大キレットから北穂高へと登る途中に、30度ほ  どの傾きで畳を横に4枚ほど並べた一枚岩を越え  ざるを得ない場所があった。岩の表面は平らで、  鎖や金具は勿論、ホールドする穴や突部もない。  おまけに雨で濡れている。下方は千尋の谷。落ち  たら一巻の終わりである。ヤモリのように這いつ  くばって何とか通過した。   これまでに不帰嶮や槍ヶ岳、剣岳などの難所を  たどったが、思い起こせば、このときが一番肝を  冷した体験だった。 2回目:昭48.7.21-23  ◎上高地 ⇔ 横尾 ⇔ 槍ヶ岳  ※この山行では、これまで山で体験した中で、最  も不可思議な体験をした。   長文となるため、内容は次のURLに譲る。 https://yamap.com/moments/1476194 3回目:昭48.8月?  ◎上高地 ⇔ 横尾 ⇔ 槍ヶ岳 ▲伊吹山 初 回:昭46.1.9(ソロ)  ◎伊吹登山口 ⇔ 伊吹山 2回目:昭47.1.?(ソロ)  ◎伊吹登山口 ⇔ 伊吹山山頂直下まで ▲剣岳・立山 初 回:昭46.8.6-9(ソロ)  ◎室堂→剣御前→剣岳→剣御前→別山→真砂岳→   立山(雄山)→一の越→雷鳥沢  ◎雷鳥沢→一の越→黒四ダム→扇沢  ※数ヶ月前から北アルプスの大縦走(剣岳→立山→  薬師岳→黒部五郎岳→雲の平→槍ヶ岳→穂高岳→  上高地)を計画し、試みた。   剣岳に登り、剣御前から立山に向かう途中、脂  汗が出て極度に疲労困憊。   病み上がりだったため、これ以上は無理!と判  断し、剣岳・立山の2座で断念した。 2回目:昭51.7月下旬  ◎室堂 ⇔ 剣御前 ⇔ 剣岳  ◎室堂 ⇔ 一の越 ⇔ 立山(雄山) ▲木曽駒ヶ岳 初 回:昭46.9月下旬(ソロ 前夜発日帰り)  ◎木曽駒高原スキー場→木曽駒ヶ岳→宝剣岳→   木曽前岳→金懸小屋→上松 △蓼科山(北八ヶ岳経由) 初 回:昭48.4.28-30?  ◎ピラタスロープウェイ山頂駅→大岳→双子池   ヒュッテ→二子山→大河原ヒュッテ→大河原   峠→蓼科牧場→白樺湖  ※天皇誕生日と振替休日を利用した山行だったと  記憶している。3人で前夜発1泊2日の山小屋素  泊まりで北八ヶ岳の山々や池を巡り、最終日に蓼  科山に登る予定だった。   縦走路には思いのほか雪が多く、時々雪上に残  る踏み跡から外れて腰の深さほど雪にはまり込む  が、そこは若さでブルドーザーの如く突き進み、  宿泊予定の大河原の山小屋に到着。   しかし、何となく小屋の様子がおかしい。人の  気配がなく静まり返っている。小屋の周囲を歩い  て様子を確かめると、入口には鍵が掛けられ、窓  もしっかり閉ざされていた。何と!小屋はまだ開  かれていなかったのである。   夕方近くだったが、この小屋に泊まることと蓼  科山へ登ることは諦めざるを得なくなり、この小  屋から延々4時間ほど蓼科牧場へと林道(現在の蓼  科スカイライン)を下るはめとなった。   蓼科牧場に到着した時間は、21時をとうに過ぎ  ていた記憶がある。蓼科牧場の宿泊先(白樺高原ホ  テル)にとっては突然の珍客だったが、事情を説明  し、宿泊させていただいた。   この季節は山域によっては小屋が閉ざされてい  ることがある。恥ずかしいことだが、事前の確認  を怠った失敗談として記した。 ▲鷲羽岳・水晶岳(黒岳) 初 回:昭49.8月?  ◎折立平→太郎兵衛平→薬師沢小屋→雲ノ平 ⇔   祖父岳 ⇔ 水晶岳(黒岳)  ◎雲ノ平→祖父岳→ワリモ岳→鷲羽岳→三俣山荘   →三俣蓮華岳→双六岳→双六小屋→三俣山荘→   湯俣  ※5人パーティーのテント泊山行。雲の平でテン  トを張ったのだが、我々の近くにテントを張った  別のパーティーで急病人が出た。   雨が降り雷鳴が轟く中だったが、我々の仲間に  も現役の看護士やアマチュア無線の資格を持つ者  がいたため、急遽分担して行動。   中でも無線の資格を持つ仲間は、付近に雷が落  ちる中をトランシーバーの感度を上げるため、ア  ンテナを一杯に伸ばしたまま少し高い場所に移動  し懸命に交信を試みていた。   1時間ほどどたばた状況だったが、やがて雷も  去り、急病人も我々以外のパーティーからの援助  もあって、無事に処置されたと記憶している。

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