鶴賀城跡(利光山)で城攻めじゃぁ~

2021.02.14(日) 日帰り

曇り空の土曜日。昼から近場の低山でお花探しで豊薩戦争の激戦地となった戸次の鶴賀城跡へ。お目当てのサツマイナモリを探しつつ鶴賀城の遺構を見学し、本丸跡から戸次川の古戦場を見下ろして戦国の世に思いを馳せる。雨が降り出す前にささっと歩くつもりが、思いのほか時間をかけた里山歩きになりました。

利光公民館に車を置かせていただいて歩行開始。

利光公民館に車を置かせていただいて歩行開始。

利光公民館に車を置かせていただいて歩行開始。

利光公民館の敷地に立つこの鳥居は山に向いている。あとで
神社にも足を運んでみよう。

利光公民館の敷地に立つこの鳥居は山に向いている。あとで 神社にも足を運んでみよう。

利光公民館の敷地に立つこの鳥居は山に向いている。あとで 神社にも足を運んでみよう。

鶴賀城めざし、まずは成大寺跡へ。

鶴賀城めざし、まずは成大寺跡へ。

鶴賀城めざし、まずは成大寺跡へ。

んー素敵な道、ステキな石垣。

んー素敵な道、ステキな石垣。

んー素敵な道、ステキな石垣。

もう春ですね。

もう春ですね。

もう春ですね。

今は無住の成大寺跡。大友時代には九州鎮護の惣道場、戸次氏の祈願所として末院六ヶ寺を有する大寺院だったが、天正十四年(1586年)の薩軍侵攻で灰燼に帰し、慶安元年(1648年)に臨済宗妙心寺派の寺院として再興、昭和二十七年まで続いた。

今は無住の成大寺跡。大友時代には九州鎮護の惣道場、戸次氏の祈願所として末院六ヶ寺を有する大寺院だったが、天正十四年(1586年)の薩軍侵攻で灰燼に帰し、慶安元年(1648年)に臨済宗妙心寺派の寺院として再興、昭和二十七年まで続いた。

今は無住の成大寺跡。大友時代には九州鎮護の惣道場、戸次氏の祈願所として末院六ヶ寺を有する大寺院だったが、天正十四年(1586年)の薩軍侵攻で灰燼に帰し、慶安元年(1648年)に臨済宗妙心寺派の寺院として再興、昭和二十七年まで続いた。

成大寺跡から鶴賀城跡へ向かう。野生動物除けのゲートを通って山中へ。

成大寺跡から鶴賀城跡へ向かう。野生動物除けのゲートを通って山中へ。

成大寺跡から鶴賀城跡へ向かう。野生動物除けのゲートを通って山中へ。

ゲートを通ると早速山道。

ゲートを通ると早速山道。

ゲートを通ると早速山道。

道中の祠。「御前神王」「三宝荒神敬白」「毘沙門天」の文字がある。

道中の祠。「御前神王」「三宝荒神敬白」「毘沙門天」の文字がある。

道中の祠。「御前神王」「三宝荒神敬白」「毘沙門天」の文字がある。

山中にはお墓が結構ある。麓の成大寺檀家のものか。

山中にはお墓が結構ある。麓の成大寺檀家のものか。

山中にはお墓が結構ある。麓の成大寺檀家のものか。

のろし台の案内板。行ってみるか。

のろし台の案内板。行ってみるか。

のろし台の案内板。行ってみるか。

のろし台の跡らしいが、痕跡を見ることはできない状態。

のろし台の跡らしいが、痕跡を見ることはできない状態。

のろし台の跡らしいが、痕跡を見ることはできない状態。

さらに登っていくとすごい斜度の坂道になる。

さらに登っていくとすごい斜度の坂道になる。

さらに登っていくとすごい斜度の坂道になる。

穀物蔵跡。奥に進んでもやっぱり痕跡はなし。

穀物蔵跡。奥に進んでもやっぱり痕跡はなし。

穀物蔵跡。奥に進んでもやっぱり痕跡はなし。

道が二手の分かれる。右手のはっきりした急坂を登ると道は倒木などで通れない状態。

道が二手の分かれる。右手のはっきりした急坂を登ると道は倒木などで通れない状態。

道が二手の分かれる。右手のはっきりした急坂を登ると道は倒木などで通れない状態。

左手の林道を進む。

左手の林道を進む。

左手の林道を進む。

ほどなく、本丸と二の丸の鞍部にでる。まずは二の丸を攻略じゃ。

ほどなく、本丸と二の丸の鞍部にでる。まずは二の丸を攻略じゃ。

ほどなく、本丸と二の丸の鞍部にでる。まずは二の丸を攻略じゃ。

おっ、山城の遺構が見れそうだが、こちらも二の丸攻略後にしよう。

おっ、山城の遺構が見れそうだが、こちらも二の丸攻略後にしよう。

おっ、山城の遺構が見れそうだが、こちらも二の丸攻略後にしよう。

二の丸跡に建つ鶴賀城址の石碑。昭和三十九年建立。昔、別ルートから車までこのすぐ下まで来て石碑を見に来たことがあるのだが、ここは二の丸だったのか。

二の丸跡に建つ鶴賀城址の石碑。昭和三十九年建立。昔、別ルートから車までこのすぐ下まで来て石碑を見に来たことがあるのだが、ここは二の丸だったのか。

二の丸跡に建つ鶴賀城址の石碑。昭和三十九年建立。昔、別ルートから車までこのすぐ下まで来て石碑を見に来たことがあるのだが、ここは二の丸だったのか。

直ぐ近くに「城将利光越前守宗魚終焉之地」の石碑。利光氏一統により昭和五十九年に建てられた。

直ぐ近くに「城将利光越前守宗魚終焉之地」の石碑。利光氏一統により昭和五十九年に建てられた。

直ぐ近くに「城将利光越前守宗魚終焉之地」の石碑。利光氏一統により昭和五十九年に建てられた。

三の丸も攻略するぞよ。

三の丸も攻略するぞよ。

三の丸も攻略するぞよ。

二の丸と三の丸の間の防塁跡。

二の丸と三の丸の間の防塁跡。

二の丸と三の丸の間の防塁跡。

この穴はなんぞ?

この穴はなんぞ?

この穴はなんぞ?

三の丸跡。ここと二の丸は島津の侵攻時に陥落してますが、本丸は戸次川の戦いまで守り通したようです。

三の丸跡。ここと二の丸は島津の侵攻時に陥落してますが、本丸は戸次川の戦いまで守り通したようです。

三の丸跡。ここと二の丸は島津の侵攻時に陥落してますが、本丸は戸次川の戦いまで守り通したようです。

それでは山城の遺構を見て回ろう。畝状竪堀は今でもその凹凸を見ることができる。

それでは山城の遺構を見て回ろう。畝状竪堀は今でもその凹凸を見ることができる。

それでは山城の遺構を見て回ろう。畝状竪堀は今でもその凹凸を見ることができる。

本丸は右か?

本丸は右か?

本丸は右か?

切岸。尾根を切り崩して崖にし攻めにくくしている。手前には横堀も。

切岸。尾根を切り崩して崖にし攻めにくくしている。手前には横堀も。

切岸。尾根を切り崩して崖にし攻めにくくしている。手前には横堀も。

この狭い道が虎口。

この狭い道が虎口。

この狭い道が虎口。

虎口から曲輪跡へ。結構広い。籠城時には城兵と近隣から避難してきた領民合わせて2千人以上がこの曲輪と本丸にこもってたってことか。

虎口から曲輪跡へ。結構広い。籠城時には城兵と近隣から避難してきた領民合わせて2千人以上がこの曲輪と本丸にこもってたってことか。

虎口から曲輪跡へ。結構広い。籠城時には城兵と近隣から避難してきた領民合わせて2千人以上がこの曲輪と本丸にこもってたってことか。

本丸跡には鶴賀城縄張り図の案内板あり。北東側は切り開かれ大野川を見下ろすことができる。

本丸跡には鶴賀城縄張り図の案内板あり。北東側は切り開かれ大野川を見下ろすことができる。

本丸跡には鶴賀城縄張り図の案内板あり。北東側は切り開かれ大野川を見下ろすことができる。

本丸跡最高点。標柱が立つのみ。

本丸跡最高点。標柱が立つのみ。

本丸跡最高点。標柱が立つのみ。

乙女会?どんな乙女がこの札を・・・?

乙女会?どんな乙女がこの札を・・・?

乙女会?どんな乙女がこの札を・・・?

本丸跡に建つコジイの大木。大分市の名木に指定されてます。

本丸跡に建つコジイの大木。大分市の名木に指定されてます。

本丸跡に建つコジイの大木。大分市の名木に指定されてます。

戸次川の戦いの古戦場を見下ろしつつ昼食。

戸次川の戦いの古戦場を見下ろしつつ昼食。

戸次川の戦いの古戦場を見下ろしつつ昼食。

降ります。

降ります。

降ります。

元禄十六年の石碑があった。
「南無天満大自在天神」「元禄十六未正月十七日」「南無地蔵菩薩」の文字が刻まれている。頂部の梵字は??

元禄十六年の石碑があった。 「南無天満大自在天神」「元禄十六未正月十七日」「南無地蔵菩薩」の文字が刻まれている。頂部の梵字は??

元禄十六年の石碑があった。 「南無天満大自在天神」「元禄十六未正月十七日」「南無地蔵菩薩」の文字が刻まれている。頂部の梵字は??

堀切跡を横切る。

堀切跡を横切る。

堀切跡を横切る。

下りは神明神社に通じる右手の尾根のほうへ。

下りは神明神社に通じる右手の尾根のほうへ。

下りは神明神社に通じる右手の尾根のほうへ。

この先かなり急斜面で荒れてます。ほとんど歩く人いないんでしょう。

この先かなり急斜面で荒れてます。ほとんど歩く人いないんでしょう。

この先かなり急斜面で荒れてます。ほとんど歩く人いないんでしょう。

尾根の途中から神社参道途中に出た。

尾根の途中から神社参道途中に出た。

尾根の途中から神社参道途中に出た。

凄い石段。

凄い石段。

凄い石段。

石段上の社殿。覆い屋の中に本殿があります。

石段上の社殿。覆い屋の中に本殿があります。

石段上の社殿。覆い屋の中に本殿があります。

なんか独特のかわいらしさをもつ狛犬。
43/49

なんか独特のかわいらしさをもつ狛犬。

なんか独特のかわいらしさをもつ狛犬。

神社から降りて野生動物除けのゲートを出たら里の風景。

神社から降りて野生動物除けのゲートを出たら里の風景。

神社から降りて野生動物除けのゲートを出たら里の風景。

利光公民館に戻ってきました。

利光公民館に戻ってきました。

利光公民館に戻ってきました。

セグロセキレイ二羽が屋根の上で遊んでる。

セグロセキレイ二羽が屋根の上で遊んでる。

セグロセキレイ二羽が屋根の上で遊んでる。

本日のお花。サツマイナモリ。
47/49

本日のお花。サツマイナモリ。

本日のお花。サツマイナモリ。

下からのぞき込む。
48/49

下からのぞき込む。

下からのぞき込む。

ホトケノザ、ナズナ、イヌノフグリ、ヤブコウジ??
49/49

ホトケノザ、ナズナ、イヌノフグリ、ヤブコウジ??

ホトケノザ、ナズナ、イヌノフグリ、ヤブコウジ??

利光公民館に車を置かせていただいて歩行開始。

利光公民館の敷地に立つこの鳥居は山に向いている。あとで 神社にも足を運んでみよう。

鶴賀城めざし、まずは成大寺跡へ。

んー素敵な道、ステキな石垣。

もう春ですね。

今は無住の成大寺跡。大友時代には九州鎮護の惣道場、戸次氏の祈願所として末院六ヶ寺を有する大寺院だったが、天正十四年(1586年)の薩軍侵攻で灰燼に帰し、慶安元年(1648年)に臨済宗妙心寺派の寺院として再興、昭和二十七年まで続いた。

成大寺跡から鶴賀城跡へ向かう。野生動物除けのゲートを通って山中へ。

ゲートを通ると早速山道。

道中の祠。「御前神王」「三宝荒神敬白」「毘沙門天」の文字がある。

山中にはお墓が結構ある。麓の成大寺檀家のものか。

のろし台の案内板。行ってみるか。

のろし台の跡らしいが、痕跡を見ることはできない状態。

さらに登っていくとすごい斜度の坂道になる。

穀物蔵跡。奥に進んでもやっぱり痕跡はなし。

道が二手の分かれる。右手のはっきりした急坂を登ると道は倒木などで通れない状態。

左手の林道を進む。

ほどなく、本丸と二の丸の鞍部にでる。まずは二の丸を攻略じゃ。

おっ、山城の遺構が見れそうだが、こちらも二の丸攻略後にしよう。

二の丸跡に建つ鶴賀城址の石碑。昭和三十九年建立。昔、別ルートから車までこのすぐ下まで来て石碑を見に来たことがあるのだが、ここは二の丸だったのか。

直ぐ近くに「城将利光越前守宗魚終焉之地」の石碑。利光氏一統により昭和五十九年に建てられた。

三の丸も攻略するぞよ。

二の丸と三の丸の間の防塁跡。

この穴はなんぞ?

三の丸跡。ここと二の丸は島津の侵攻時に陥落してますが、本丸は戸次川の戦いまで守り通したようです。

それでは山城の遺構を見て回ろう。畝状竪堀は今でもその凹凸を見ることができる。

本丸は右か?

切岸。尾根を切り崩して崖にし攻めにくくしている。手前には横堀も。

この狭い道が虎口。

虎口から曲輪跡へ。結構広い。籠城時には城兵と近隣から避難してきた領民合わせて2千人以上がこの曲輪と本丸にこもってたってことか。

本丸跡には鶴賀城縄張り図の案内板あり。北東側は切り開かれ大野川を見下ろすことができる。

本丸跡最高点。標柱が立つのみ。

乙女会?どんな乙女がこの札を・・・?

本丸跡に建つコジイの大木。大分市の名木に指定されてます。

戸次川の戦いの古戦場を見下ろしつつ昼食。

降ります。

元禄十六年の石碑があった。 「南無天満大自在天神」「元禄十六未正月十七日」「南無地蔵菩薩」の文字が刻まれている。頂部の梵字は??

堀切跡を横切る。

下りは神明神社に通じる右手の尾根のほうへ。

この先かなり急斜面で荒れてます。ほとんど歩く人いないんでしょう。

尾根の途中から神社参道途中に出た。

凄い石段。

石段上の社殿。覆い屋の中に本殿があります。

なんか独特のかわいらしさをもつ狛犬。

神社から降りて野生動物除けのゲートを出たら里の風景。

利光公民館に戻ってきました。

セグロセキレイ二羽が屋根の上で遊んでる。

本日のお花。サツマイナモリ。

下からのぞき込む。

ホトケノザ、ナズナ、イヌノフグリ、ヤブコウジ??