【バサラ大名】佐々木道誉(どうよ) ゆかりの勝楽寺城跡

2020.12.27(日) 日帰り

今日は朝から自宅の年末そうじ。軽めに片づけて 午後からの天気も良いので勝楽寺城跡リベンジへ。 (以前登山フェンス付近で 猿?鹿?猪?何か動物の泣き声を聞き夕方の為、その日は中止。) 佐々木源氏ゆかりの近江。 (南:佐々木六角氏・北:京極氏) 近江八幡市安土町の沙々貴神社も有名で全国の佐々木さんが一度は行かれる(行ってみたい)場所のようです。http://sasakijinja.or.jp 南北朝時代-室町時代の婆娑羅大名【バサラ大名】のひとりとして有名な佐々木道誉(京極道誉)ゆかりの勝楽寺・勝楽寺城跡。信長の焼き討ちから残ったといわれる山門と道誉の墓を見て、登山口の獣フェンスを中へ入って登山開始。フェンスの中で動物になった気分。不思議な感じ。 ⭐︎バサラ大名とは 南北朝室町時代 伝統や秩序を反撥して好き勝ってに振る舞う派手な格好した傍若無人な武将のこと。(戦国時代でいう下剋上の信長・秀吉みたいな感じかと。) 先日の雪で落ち葉は濡れて滑りやすくゆっくり上がって行きました。⛩で琵琶湖の景色も見え、城跡曲輪をチェック。 山頂からの下りは、境内へおりるつもりが途中もう少しのところで道に迷ってうまく出れませんでした。冬なので獣フェンスの電流は流れてなくて助かりました。そこそこ急直下だったので初心者の方は無理せず引き返すことをおすすめします。 (迷って変な出口、ゆっくり迂回したので地図軌跡は変なルートになってます。) 天気も良く 残雪もほとんど無く景色も見れ 戦国以前の南北朝時代までのタイムスリップ。いい一日でした。 年末は寒波で大雪らしいので今日が今年最後の山⛰になるのかなぁ。 年内もう一度くらい⛰行きたいなと思う一日でした。

R307  右折

R307 右折

R307 右折

高速道路の高架下を抜け案内板 
ようこそ道誉の郷 正楽寺へ

高速道路の高架下を抜け案内板  ようこそ道誉の郷 正楽寺へ

高速道路の高架下を抜け案内板  ようこそ道誉の郷 正楽寺へ


勝楽寺。
(うん?さっき正楽寺の看板
正楽寺じゃないですね。勝楽寺ですね。どっちかな。どっちもかな。

勝楽寺。 (うん?さっき正楽寺の看板 正楽寺じゃないですね。勝楽寺ですね。どっちかな。どっちもかな。

勝楽寺。 (うん?さっき正楽寺の看板 正楽寺じゃないですね。勝楽寺ですね。どっちかな。どっちもかな。

山門。信長の焼き打ちで唯一残った。

山門。信長の焼き打ちで唯一残った。

山門。信長の焼き打ちで唯一残った。

解説です。

山門のこと書いてます。
信長の焼き打ち免れたって。

道誉の画像は京都博物館にあるって
書いてます。

解説です。 山門のこと書いてます。 信長の焼き打ち免れたって。 道誉の画像は京都博物館にあるって 書いてます。

解説です。 山門のこと書いてます。 信長の焼き打ち免れたって。 道誉の画像は京都博物館にあるって 書いてます。

勝楽寺は 近江源氏 京極佐々木氏 
守護大名 佐々木道誉を開祖として
開山された刹那。

勝楽寺は 近江源氏 京極佐々木氏  守護大名 佐々木道誉を開祖として 開山された刹那。

勝楽寺は 近江源氏 京極佐々木氏  守護大名 佐々木道誉を開祖として 開山された刹那。

山門の瓦 佐々木氏の家紋になってます。
平四つ目です。

山門の瓦 佐々木氏の家紋になってます。 平四つ目です。

山門の瓦 佐々木氏の家紋になってます。 平四つ目です。

本堂

本堂

佐々木高氏 (京極高氏) 
法号:道誉 1296-1373
佐々木道誉 京極道誉

茶 狂言などたしなみ深く バサラ と呼ばれる。

佐々木高氏 (京極高氏) 法号:道誉 1296-1373 佐々木道誉 京極道誉 茶 狂言などたしなみ深く バサラ と呼ばれる。

佐々木高氏 (京極高氏) 法号:道誉 1296-1373 佐々木道誉 京極道誉 茶 狂言などたしなみ深く バサラ と呼ばれる。

道誉 墓

道誉 墓

道誉 墓

のぼりが出来たようです。 
家紋(平四つ目) 婆娑羅 道誉の郷 

のぼりが出来たようです。  家紋(平四つ目) 婆娑羅 道誉の郷

のぼりが出来たようです。  家紋(平四つ目) 婆娑羅 道誉の郷 

ハイキングコースのマップ

ハイキングコースのマップ

ハイキングコースのマップ

ここから登ります。

ここから登ります。

ここから登ります。

獣のフェンスを開けて入って行きます。

獣のフェンスを開けて入って行きます。

獣のフェンスを開けて入って行きます。

入って来ました。動物気分です。

入って来ました。動物気分です。

入って来ました。動物気分です。

仕置き場 1368年
高筑豊後守が城主に反いたものを処刑した場所。
その霊を弔うため多くの地蔵が作られたそうです。

仕置き場 1368年 高筑豊後守が城主に反いたものを処刑した場所。 その霊を弔うため多くの地蔵が作られたそうです。

仕置き場 1368年 高筑豊後守が城主に反いたものを処刑した場所。 その霊を弔うため多くの地蔵が作られたそうです。

登って行きます。

登って行きます。

登って行きます。

経塚 

経塚

経塚 

経塚 

経塚

経塚 

次行き

次行き

次行き

ここからの景色

ここからの景色

ここからの景色

⛩です。

⛩です。

⛩です。

狂言 釣狐 発祥の地だそうです。

狂言 釣狐 発祥の地だそうです。

狂言 釣狐 発祥の地だそうです。

解説です。 
狂言 猿から狐なんですね。
釣狐 最高の演技を要する秘曲なんですね。

解説です。  狂言 猿から狐なんですね。 釣狐 最高の演技を要する秘曲なんですね。

解説です。  狂言 猿から狐なんですね。 釣狐 最高の演技を要する秘曲なんですね。

⛩から絶景

⛩から絶景

⛩から絶景

次行きます。

次行きます。

次行きます。

どっちから行きましょう、左かな。

どっちから行きましょう、左かな。

どっちから行きましょう、左かな。

登ります。

登ります。

登ります。

曲輪

曲輪

曲輪

降りるのか?

降りるのか?

降りるのか?

引き返して来ました。

引き返して来ました。

引き返して来ました。

ここ 行きましょう。

ここ 行きましょう。

ここ 行きましょう。

上ろう落し?

上ろう落し?

上ろう落し?

解説
戦国時代 妻子子女と今生の別れをした悲しい地

解説 戦国時代 妻子子女と今生の別れをした悲しい地

解説 戦国時代 妻子子女と今生の別れをした悲しい地

端に行くとこんな感じです。
左にきれいな景色が見えます。

端に行くとこんな感じです。 左にきれいな景色が見えます。

端に行くとこんな感じです。 左にきれいな景色が見えます。

いい眺め 中央 荒神山

いい眺め 中央 荒神山

いい眺め 中央 荒神山

快晴です。

快晴です。

快晴です。

中央に彦根城が見えてます。小さいです。
スマホじゃ ズーム限界です。

中央に彦根城が見えてます。小さいです。 スマホじゃ ズーム限界です。

中央に彦根城が見えてます。小さいです。 スマホじゃ ズーム限界です。

行きます。

行きます。

行きます。

進んで行きましょう。

進んで行きましょう。

進んで行きましょう。

もうすぐ城跡です。

もうすぐ城跡です。

もうすぐ城跡です。

目的地に到着しました。勝楽寺城跡
1368年築城 佐々木道誉の館と領地の守護を目的高築豊後守により築城
全国的に珍しい「うねじょう竪堀山城」

目的地に到着しました。勝楽寺城跡 1368年築城 佐々木道誉の館と領地の守護を目的高築豊後守により築城 全国的に珍しい「うねじょう竪堀山城」

目的地に到着しました。勝楽寺城跡 1368年築城 佐々木道誉の館と領地の守護を目的高築豊後守により築城 全国的に珍しい「うねじょう竪堀山城」

解説板前 勝楽寺跡です。

解説板前 勝楽寺跡です。

解説板前 勝楽寺跡です。

こんな感じです。

こんな感じです。

こんな感じです。

こっち側から下ります。急直下です。
写真など撮っている感じじゃなかったです。

下山間際 もう少しのところまで行って
道を間違えました。 

こっち側から下ります。急直下です。 写真など撮っている感じじゃなかったです。 下山間際 もう少しのところまで行って 道を間違えました。

こっち側から下ります。急直下です。 写真など撮っている感じじゃなかったです。 下山間際 もう少しのところまで行って 道を間違えました。 

降りてきたあと獣フェンス越えて
田んぼ道過ぎ 勝楽寺へ向かって 
駐車場まで迂回中です。 
バサラ通って 名付けたようですね。

降りてきたあと獣フェンス越えて 田んぼ道過ぎ 勝楽寺へ向かって  駐車場まで迂回中です。  バサラ通って 名付けたようですね。

降りてきたあと獣フェンス越えて 田んぼ道過ぎ 勝楽寺へ向かって  駐車場まで迂回中です。  バサラ通って 名付けたようですね。

残雪です。
家紋(平四つ目) 書いて見ました。

残雪です。 家紋(平四つ目) 書いて見ました。

残雪です。 家紋(平四つ目) 書いて見ました。

本堂の前には残雪です。
さっきの前ページ家紋 右側です。(見にくい)

本堂の前には残雪です。 さっきの前ページ家紋 右側です。(見にくい)

本堂の前には残雪です。 さっきの前ページ家紋 右側です。(見にくい)

もう一度
山門の家紋と のぼりの家紋 ツーショット
(山門の家紋は、暗くわかりにくいですね。)

さあ 帰ります。

もう一度 山門の家紋と のぼりの家紋 ツーショット (山門の家紋は、暗くわかりにくいですね。) さあ 帰ります。

もう一度 山門の家紋と のぼりの家紋 ツーショット (山門の家紋は、暗くわかりにくいですね。) さあ 帰ります。

帰りに寄った 
近くの 道の駅 観光マップ 
勝楽寺の部分をアップです。

お疲れ様でした。

帰りに寄った  近くの 道の駅 観光マップ  勝楽寺の部分をアップです。 お疲れ様でした。

帰りに寄った  近くの 道の駅 観光マップ  勝楽寺の部分をアップです。 お疲れ様でした。

R307 右折

高速道路の高架下を抜け案内板  ようこそ道誉の郷 正楽寺へ

勝楽寺。 (うん?さっき正楽寺の看板 正楽寺じゃないですね。勝楽寺ですね。どっちかな。どっちもかな。

山門。信長の焼き打ちで唯一残った。

解説です。 山門のこと書いてます。 信長の焼き打ち免れたって。 道誉の画像は京都博物館にあるって 書いてます。

勝楽寺は 近江源氏 京極佐々木氏  守護大名 佐々木道誉を開祖として 開山された刹那。

山門の瓦 佐々木氏の家紋になってます。 平四つ目です。

本堂

佐々木高氏 (京極高氏) 法号:道誉 1296-1373 佐々木道誉 京極道誉 茶 狂言などたしなみ深く バサラ と呼ばれる。

道誉 墓

のぼりが出来たようです。  家紋(平四つ目) 婆娑羅 道誉の郷 

ハイキングコースのマップ

ここから登ります。

獣のフェンスを開けて入って行きます。

入って来ました。動物気分です。

仕置き場 1368年 高筑豊後守が城主に反いたものを処刑した場所。 その霊を弔うため多くの地蔵が作られたそうです。

登って行きます。

経塚 

経塚 

次行き

ここからの景色

⛩です。

狂言 釣狐 発祥の地だそうです。

解説です。  狂言 猿から狐なんですね。 釣狐 最高の演技を要する秘曲なんですね。

⛩から絶景

次行きます。

どっちから行きましょう、左かな。

登ります。

曲輪

降りるのか?

引き返して来ました。

ここ 行きましょう。

上ろう落し?

解説 戦国時代 妻子子女と今生の別れをした悲しい地

端に行くとこんな感じです。 左にきれいな景色が見えます。

いい眺め 中央 荒神山

快晴です。

中央に彦根城が見えてます。小さいです。 スマホじゃ ズーム限界です。

行きます。

進んで行きましょう。

もうすぐ城跡です。

目的地に到着しました。勝楽寺城跡 1368年築城 佐々木道誉の館と領地の守護を目的高築豊後守により築城 全国的に珍しい「うねじょう竪堀山城」

解説板前 勝楽寺跡です。

こんな感じです。

こっち側から下ります。急直下です。 写真など撮っている感じじゃなかったです。 下山間際 もう少しのところまで行って 道を間違えました。 

降りてきたあと獣フェンス越えて 田んぼ道過ぎ 勝楽寺へ向かって  駐車場まで迂回中です。  バサラ通って 名付けたようですね。

残雪です。 家紋(平四つ目) 書いて見ました。

本堂の前には残雪です。 さっきの前ページ家紋 右側です。(見にくい)

もう一度 山門の家紋と のぼりの家紋 ツーショット (山門の家紋は、暗くわかりにくいですね。) さあ 帰ります。

帰りに寄った  近くの 道の駅 観光マップ  勝楽寺の部分をアップです。 お疲れ様でした。