北アルプスを目指した戦国武将、三木秀綱(姉小路氏)を訪ねて-2020-08-29

2020.08.29(土) 日帰り

室町時代、飛騨国の守護は京極氏であった。京極氏が京都を離れる事は無く、実務は多賀氏が守護代として受け持つ。多賀氏は現在の滋賀県の多賀大社付近の、近江の土着の豪族で、京極氏の実行部隊であったようだ。その多賀氏が拠点として飛騨に天神山城(多賀山城)を築城する。それから半世紀後、守護代多賀氏の一族であった高山外記(たかやまげき)が山頂部に天神山城を築城する。高山の地名は多賀山城のころか、高山氏の築城した城の付近から高山と呼ぶようになったか、地名の由来は諸説有るそうだ。 戦国時代に入ると、飛騨の守護京極氏の一族で家臣であった三木(みつき)氏は、飛騨の国司(こくし)姉小路家を乗っ取り、地元の戦国大名を抑えて飛騨を平定した。三木自綱(みつきよりつな/姉小路頼綱)は、天神山城(高山城)の西、現在の宮川、JR高山線、国道41号線を隔てた反対側の松倉山に強固な城、松倉城を築城する。また三木自綱は斎藤道三の娘を嫁にしていることから、織田信長とは相婿(あいむこ)の間柄になる。 明智光秀による本能寺の変で織田信長が自害して果て、光秀も山崎の合戦で討ち取られると、清州会議で羽柴秀吉と柴田勝家の対立が表面化する。その後、賤ケ岳の合戦で柴田勝家が前田利家の裏切りで敗戦、北ノ庄城でお市の方と共に自害する。 当時姉小路氏(三木氏)は柴田勝家の側にあり、越中の佐々成政(さっさなりまさ)と同盟し、豊臣秀吉に対抗したことから、豊臣秀吉の命を受けた越前大野城主の金森長近(かなもりながちか)により攻められ、これにより三木自綱は降伏する。一方で、このころ既に家督を継いでいた息子の三木秀綱(みつきひでつな)は松倉城で徹底抗戦に出る。松倉城は自然の地形を生かした要害堅固な城で難攻不落であった。 しかし、この要塞も家臣の裏切りで内部から火を点けられ、秀綱は小数の家来と奥方を連れ敗走する。一行は奥飛騨に逃れ、今の奥飛騨温泉郷今見の辺りで、奥方は焼岳の中尾峠を経て上高地に入り、梓川を遡ると明神から徳本峠(とくごうとうげ)を経て島々へ、秀綱は平湯から安房峠を抜けて現在の158号線に沿い、湯の里公園辺りから檜峠(ひのきとうげ)を抜けて奈川を目指し脱出を試みる。 二人の末路は、夫人は島々で杣(そま/樵・きこり)に、秀綱は奈川村角ケ平で落ち武者狩りに遭い非業の最後を遂げた。今回はその三木秀綱夫妻の起源と終焉の地を訪ねることにした。

高山市の西に飛騨民俗村がある。そこから松倉山と原山へ登山に来られる方も多数おられるようです。🤔

高山市の西に飛騨民俗村がある。そこから松倉山と原山へ登山に来られる方も多数おられるようです。🤔

高山市の西に飛騨民俗村がある。そこから松倉山と原山へ登山に来られる方も多数おられるようです。🤔

松倉山と原山の中間地点まで車で来られます。🏎️

松倉山と原山の中間地点まで車で来られます。🏎️

松倉山と原山の中間地点まで車で来られます。🏎️

先ずは松倉城のあった松倉山へ。🐻

先ずは松倉城のあった松倉山へ。🐻

先ずは松倉城のあった松倉山へ。🐻

観光には程よい丘陵地です。😁

観光には程よい丘陵地です。😁

観光には程よい丘陵地です。😁

ほどなくして、石垣が見えました。🏯

ほどなくして、石垣が見えました。🏯

ほどなくして、石垣が見えました。🏯

なかなか立派な造りです。

なかなか立派な造りです。

なかなか立派な造りです。

原山に続く尾根以外は、ほぼ絶壁の山容で、難攻不落の城と言われるのも肯けます。🤔

原山に続く尾根以外は、ほぼ絶壁の山容で、難攻不落の城と言われるのも肯けます。🤔

原山に続く尾根以外は、ほぼ絶壁の山容で、難攻不落の城と言われるのも肯けます。🤔

高山市内が一望できます。🔭

高山市内が一望できます。🔭

高山市内が一望できます。🔭

三角点も。🏞️

三角点も。🏞️

三角点も。🏞️

晴れていたら北アルプスも一望できるようです。城が陥落し、敵から逃れるため三木秀綱と夫人の一行は奥飛騨から穂高を抜け、信州を目指します。🍢🍡🍭

晴れていたら北アルプスも一望できるようです。城が陥落し、敵から逃れるため三木秀綱と夫人の一行は奥飛騨から穂高を抜け、信州を目指します。🍢🍡🍭

晴れていたら北アルプスも一望できるようです。城が陥落し、敵から逃れるため三木秀綱と夫人の一行は奥飛騨から穂高を抜け、信州を目指します。🍢🍡🍭

正に兵どもが夢のあとです。

正に兵どもが夢のあとです。

正に兵どもが夢のあとです。

絶壁の多い天守辺りは外部から攻め落とすのも容易では無かったことでしょう。🏯

絶壁の多い天守辺りは外部から攻め落とすのも容易では無かったことでしょう。🏯

絶壁の多い天守辺りは外部から攻め落とすのも容易では無かったことでしょう。🏯

それにしても、こう言う史跡には教育委員会の説明書きみたいなものが有る筈ですが、どこにも見当たりません。😑

それにしても、こう言う史跡には教育委員会の説明書きみたいなものが有る筈ですが、どこにも見当たりません。😑

それにしても、こう言う史跡には教育委員会の説明書きみたいなものが有る筈ですが、どこにも見当たりません。😑

遊歩道の案内図はやたらと目にしました。

遊歩道の案内図はやたらと目にしました。

遊歩道の案内図はやたらと目にしました。

時間も有るので、松倉観音から原山を目指します。

時間も有るので、松倉観音から原山を目指します。

時間も有るので、松倉観音から原山を目指します。

松倉観音です。三木秀綱とは関係ないようです。

松倉観音です。三木秀綱とは関係ないようです。

松倉観音です。三木秀綱とは関係ないようです。

むかし風😁

むかし風😁

むかし風😁

🙏⛩️

🙏⛩️

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何故か囲炉裏も🤔

何故か囲炉裏も🤔

何故か囲炉裏も🤔

原山を目指します。🏞️

原山を目指します。🏞️

原山を目指します。🏞️

🙏

🙏

ほどなく原山に到着。なんとトイレも完備です。🧐

ほどなく原山に到着。なんとトイレも完備です。🧐

ほどなく原山に到着。なんとトイレも完備です。🧐

原山からの眺め。🔭

原山からの眺め。🔭

原山からの眺め。🔭

松倉観音へは戻らず、20分のワープコースへ。👀

松倉観音へは戻らず、20分のワープコースへ。👀

松倉観音へは戻らず、20分のワープコースへ。👀

こう言うことか…。🧗

こう言うことか…。🧗

こう言うことか…。🧗

普通に登山になったし…。🧗

普通に登山になったし…。🧗

普通に登山になったし…。🧗

もうすぐかな?👀

もうすぐかな?👀

もうすぐかな?👀

サンダルで来るべきでは無かった。😑

サンダルで来るべきでは無かった。😑

サンダルで来るべきでは無かった。😑

松倉シンボル広場に帰って来ました。
松倉城の由来や築城の経緯は飛騨民俗村の園内に有るそうです。今度、ハイキングがてらゆっくり散策するかな。😁

松倉シンボル広場に帰って来ました。 松倉城の由来や築城の経緯は飛騨民俗村の園内に有るそうです。今度、ハイキングがてらゆっくり散策するかな。😁

松倉シンボル広場に帰って来ました。 松倉城の由来や築城の経緯は飛騨民俗村の園内に有るそうです。今度、ハイキングがてらゆっくり散策するかな。😁

高山市の西に飛騨民俗村がある。そこから松倉山と原山へ登山に来られる方も多数おられるようです。🤔

松倉山と原山の中間地点まで車で来られます。🏎️

先ずは松倉城のあった松倉山へ。🐻

観光には程よい丘陵地です。😁

ほどなくして、石垣が見えました。🏯

なかなか立派な造りです。

原山に続く尾根以外は、ほぼ絶壁の山容で、難攻不落の城と言われるのも肯けます。🤔

高山市内が一望できます。🔭

三角点も。🏞️

晴れていたら北アルプスも一望できるようです。城が陥落し、敵から逃れるため三木秀綱と夫人の一行は奥飛騨から穂高を抜け、信州を目指します。🍢🍡🍭

正に兵どもが夢のあとです。

絶壁の多い天守辺りは外部から攻め落とすのも容易では無かったことでしょう。🏯

それにしても、こう言う史跡には教育委員会の説明書きみたいなものが有る筈ですが、どこにも見当たりません。😑

遊歩道の案内図はやたらと目にしました。

時間も有るので、松倉観音から原山を目指します。

松倉観音です。三木秀綱とは関係ないようです。

むかし風😁

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何故か囲炉裏も🤔

原山を目指します。🏞️

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ほどなく原山に到着。なんとトイレも完備です。🧐

原山からの眺め。🔭

松倉観音へは戻らず、20分のワープコースへ。👀

こう言うことか…。🧗

普通に登山になったし…。🧗

もうすぐかな?👀

サンダルで来るべきでは無かった。😑

松倉シンボル広場に帰って来ました。 松倉城の由来や築城の経緯は飛騨民俗村の園内に有るそうです。今度、ハイキングがてらゆっくり散策するかな。😁