令和ゆかりの地として賑わう太宰府に隣接する筑紫野市。筑紫野市と言えば二日市温泉が有名だが、その温泉街を過ぎ、さらに南西へ進めば天拝山歴史自然公園に辿り着く。今日はここから天拝山を目指し、そこから佐賀県基山町の基肄城跡まで歩いてみる計画。 天拝山は古くは天判(てんぱん)山と言われていた山。天に審判を仰ぐ山として、菅原道真が自分の無実を天に訴えるため、武蔵寺境内の紫藤の瀧で身を清め、山頂に登って祈り続たという言い伝えがある。菅公ではないが、私も紫藤の瀧で手と口を清め、イノシシとの不意の遭遇にあわないようお参りして天拝山に登ることにしよう。 御自作天満宮から20分ほどであっけなく天拝山山頂に到着。イノシシに怯えながらも予定通りにさらに先に進むことにし、しばらくは心地よい縦走路を進むも、天拝湖を過ぎた集落あたりから雰囲気が一変。野生動物避けの金網を開け基肄城に続く登山道に入ればいたるところでケモノの糞尿の匂いが漂い、ケモノ密度が高い雰囲気満載で先を急ぐ。 やがて景色が開ければ基肄城は間もなく。芝生の坂を駆け上がれば、そこは眼下に麦秋の景色が広がる古代遺跡。基肄城は、福岡県筑紫野市と佐賀県基山町との県境に位置し、大野城・水城と併せて大宰府防衛のために築造された日本最古の軍事施設。663年、白村江の戦いで敗北した日本が、唐・新羅の連合軍が攻めてくることを想定して、大宰府を守る羅城形式の大防衛線整備の一環として築造されたもの。結果、実際に攻められることはなかったが、尾根伝いに総延長約4㎞におよぶ土塁や石塁が築かれた大規模な山城跡は、日本百名城にも選定されており、現代でもその痕跡をこの目で確かめることができるのは、非常に価値あるもののように思う。 ところで里まで下山して気がついたのだが、基肄城への登山道はいたるところに金網が設けてあり、野生動物の害が想像以上に深刻な模様。今回、幸いにしてイノシシに遭遇することはなかったが、この道はいつ遭遇しても不思議ではない印象。 YAMAPつながりの山ちゃんの活動記録を参考に訪れた今回のルート。そういえば山ちゃんもケモノ臭がするようなこと言っていたような… 迷彩服で茶目っ気たっぷりの山ちゃんにお会い出来なかったのは残念だが、イノシシに遭遇しなかったから良しとしよう(笑)
今日は天拝山歴史自然公園からスタート。
イノシシにエサを与えないでって、そんなに日常的にイノシシに遭遇するのか?と不安が横切りつつも、
紫藤の瀧で手と口を清め、
御自作天満宮で今日の山行の無事を祈願し出発。
切り通しのような登山道をしばらく歩けば、
風通しの良い尾根道に。
道端にはちらほら、コガクウツギ?がお出迎え。
整備された登山道はしばし階段が続き、
案内も充実。
登りはじめて20分で天拝山山頂へ到着。
山頂からは福岡市内から三郡方面が一望。
さらに南へ針路をとり、
縦走路を歩き続ければ、
やがて木立は竹林に。
竹林を過ぎ、舗装された登山道を進めば、
俯いて咲くエゴノキに遭遇。
天拝湖の道端には、
アザミがちらほら。
里山では田植えの準備中。
物騒な動物避けの金網を開き、
基肄城に続くケモノの糞尿の匂いがたびたびする寂しい道を
基肄城はまだかと
イノシシとの不意の遭遇に怯えながら、
ひたすら前進。
ようやく景色が開け安堵し坂を駆け上がれば、
基肄城跡に到着。
往時は500人の防人がいたと言われる基肄城跡はただただ広く、
開けた南方には基山の町を眼下に、遠くにはいつの日か縦走した耳納連山を一望。
帰路は原田駅まで史跡コースで下山。
東北門跡を背に、
観音堂に手を合わせ、列車の時間を気にしながら先を急げば程なくすると里山へ。
里ではおそらくイノシシ避けであろう金網が延々と続き、野生動物の害が想像以上に深刻なことを実感💦
イノシシとの遭遇もなく無事駅に到着し、胸を撫で下ろした今回の山行。野生動物の気配満載の基肄城はある意味スリリング(笑)。個人的には苦手な山として強く印象に残ったものになってしまった。
この活動日記で通ったコース
天拝山登山口-天拝山-奥天拝-基山-原田駅 縦走コース
- 04:58
- 12.4 km
- 760 m
- コース定数 20