未踏の社日山、常福寺丸、高坪山方面の旧登山道と、真山城二の床跡の石積確認、2度失敗した寺床→遍照寺谷→分岐看板にチャレンジした。 踏み跡が少なく荒れ気味の山中を進むと小学校の裏山などを思い出し懐かしい感じがした。 天気も良く初めて登山者(3組5名)と出会った。 <今回の経路 ★=初コース> ①法吉公会堂からうぐいす団地先の登山口より小白鹿城-大黒丸-白鹿城へ ★②白鹿城から神田丸、社日山を経由して下山。 ★③常福寺から常福寺丸を経由して真山登山口へ。 ④真山城-三ヶ峰-鳥の子山-遍照寺跡へ下りて戻る。 ★⑤白鹿谷分岐から-遍照寺谷経由で寺床へ ⑥寺床から来た道を分岐へ戻る(また失敗...) ⑦大高丸-分岐を西法吉方面へ ★⑧西法吉へ向かわず高坪山方面の旧登山道を下りる ⑨高坪山へ登って戻る。 ⑩鶯谷経由で法吉公会堂へ戻る。 今までガーミンの自動ポーズをオンにしたままでは軌跡が残らない場所があったが、オフにして高坪山等も記録できた。 社日山、常福寺丸、高坪山方面の旧登山道は、荒れ気味で眺望も良くなくオススメしません。
法吉公会堂スタート。青空が気持ち良い。
うぐいす団地先から小白鹿城址へ登る。
これも土橋?
小白鹿城跡最上部の南側登り口。 中央が一段高く、南北に一段低い曲輪が配置されている。
振り返るとうぐいす団地の先に宍道湖。
パノラマ
主郭を振り返る
小白鹿と大黒丸との開けた尾根途中、西向きの眺望あり。
大黒丸付近。南東向きにも曲輪があるらしい。
分岐 左折(西)西の谷登山口 直進(北)本丸・頂上、長谷口・白鹿谷口 戻る(南)小白鹿・うぐいす谷
井戸郭
大井戸跡
分岐 左折(北)月見御殿跡、(本丸跡?) 右折(南)頂上、一の床、長谷口
月見御殿跡。あまり広くない。本丸はこちらではなく頂上側にあったとの説あり。
東側に下りれそう。水の手と呼ばれる場所に通ずる?
一の床(と呼ばれているがこちらが主郭?)登り口。月見御殿跡より高くて広い。
南側、木越の眺望。
白鹿神社の祠。城主であった松田氏を祀っているとのこと。ここが一段高くなり最頂部。
長谷口への下り口から振り返る。やはりこちらが主郭にふさわしく感じる。
二の床
三の床
分岐 左折(西)伊豆輪谷・ホタル公園、白鹿谷登山口 直進(南)長谷登山口
このピークが神田丸。道なりだと神田丸に上らず長谷方面(南西)に下りてしまうが、越えて社日山を目指し南へ進む。
神田丸
土橋?ただの尾根道?
社日山
和久羅山を樹越しに望む。
松だらけの開けた場所。この前後は少し道が荒れていた。
ようやく歩きやすい道に。
竹林の先が出口。民家の上から道伝いに南の道路に下りれた。
道路から下り口を振り返る。竹林の場所。古い案内看板どおりの道だった。
道路を西に向かい、突き当りに常福寺と常福寺丸のある山。
常福寺
山への登り口がよくわからず道らしい所からよじ登った。
高い所へ登っていくと電波塔へ。ここは山の南端になるので北へ向かう。後で地図を見たら南側から電波塔まで道がついていた!
尾根沿いに道があるが荒れて、わかりにくい箇所も多い、
所々開けた場所あり。振り返る。
シダが茂って道がわからない。夏は歩きたくない。
西側に白鹿山
ここがピーク。常福寺丸。
道が分かりづらい。
が、ピークから北側には近い間隔で目印がある。
これも土橋なのか?人工的とは思うが両サイドの傾斜不足?
苔のグリーンが綺麗。
東にはソフトビジネスパーク。
鉄塔&送電線案内標示
目印があって安心。
鉄塔
白鹿城跡。左が頂上。右が月見御殿跡のあるところ。
白鹿下池、鳥の子山方面。
土橋?
鉄塔&送電線案内標示
真山方面へ直進(北)と思ったが道がかなり荒れていたので早々に引き返す。
左(西)へ下りた。良い道だった。振り返って山側を見る。
下り口。
振り返る。
白鹿下池の少し下。
白鹿下池越しに真山を望む。
突き当たりにある案内看板。古い看板で、常福寺前にある新しい案内看板と山の呼称が異なる。天狗山はどこなのか知りたい。
真山登山口
嵩山、和久羅山
宍道湖東岸。右に白鹿城。
両側を削って作られた土橋。尼子・毛利戦での負傷は鉄砲によるものが7割だったらしいので、ここを抜けるのは決死の覚悟が必要!
鉄塔下から東方面を望む。
嵩山、和久羅山
白鹿城
相木盛之助・更科姫の墓(史実とは関係ないもの)
2つ目の素晴らしい土橋
白鹿谷への分岐
法吉線 ←鉄塔27 ←鉄塔26
三の床跡
二の床東切岸の石積みを目指し東側一段下の道を通る
二の床東切岸の石積み
この辺りもか
山中鹿之介の像を建てる予定で整備された台座。昭和初期に中断され今に至る。
一の床跡
頂上付近は露出した岩が散見される
頂上を一の床から見上げる
頂上、真山城本丸跡。尼子勝久公の碑。
パノラマ
南西の頂部が清谷峰235.2m。この辺り一帯が大高丸。左(南)へ進むと小高丸、白鹿城へと続く。
尼子勝久公の碑の裏に2等三角点
北へ下り進む。
地図にある清水谷大瀧に下る道を探したが見つからず通り過ぎてしまった。残念。
やや登る
中海、嵩山、和久羅山の奥に大山
大山(伯耆富士)
下った鞍部が持田越し。西へ下ると寺床だが直進。
持田越しから北へ直進し少し登るとあかはげ山。
日が良く当たるので松が多い。
東には持田の御岳山
三ヶ峰。鹿島町上講武、法吉、持田の境。
北に飛び出しているが眺望は効かない。
北東方向に下りれそうだがどうか?
天狗岩(と思う)。「生馬ガイドマップ」(生馬公民館)には「天狗岩は、東生馬の最奥部の天狗山(214m)の尾根にある幅役7メートル縦10メートルの巨岩です。生馬川の源は、この天狗岩の山裾より発しています。この尾根筋は、新山から北へ進み三ヶ峰・天狗山・遍照寺谷(法吉側へ下りる。)を通るハイキングコースとなっています。」とあるが、標高が230m位なので合わない?
大きな岩で木が生えないので日本海が見渡せる。
北面は崖...。
鳥の子山
満願寺城跡
鹿島町古浦
左奥は朝日山
真山城跡
樹の後ろが白鹿城方面
山頂を南へ少し下って左側に赤いテープ。遍照寺跡への下り口。
すぐに広く削平された遍照寺跡に下りれる。白鹿城の祈願所で砦であったと伝えられている。
建物跡と思われる礎石が残っている。
これも礎石(と思われる)
一段下の削平地へ下りる石段。石の下から平安期の須恵器片が出土している。(「語りつぎたい生馬の里」より)
石段下からの上部の削平地を見る。
尾根の登山道に戻り南に進み白鹿谷分岐から初めて下ってみる。
写真やや踏み跡、枝等を帰りの目印にして進んだ。
赤いテープがある場所もあり。
振り返るともう道がわからない感じ..。大丈夫か?
前回彷徨った様な気はするが...
杭がある。前回遍照寺跡までこれを辿って進んだ。
目印の2つの大きな岩に到着
北田川の源流
杉の中に看板
寺床到着。3度めの正直で、登山道の分岐看板まで戻ってみる。
目印の2つ岩。沢沿いに上方向(東)に進んだが... さっき来た道がもうわからない...
結局分岐より南側に出てしまった。
少し登って
玄武山238m程度(古い案内図では天狗山)
坊床215m程度(古い案内図では玄武山)から松江市内を望む。中央が白鹿山。
嵩山、和久羅山
清谷峰の手前(北側)。道なりなら左側から通り過ぎ南側看板から回り込むが今回は直接登ってみる。
一応道か?木を掴みながら登って下を振り返る。
もうすぐピーク。
清谷峰235.2mこの辺り一帯が大高丸らしい。
下って登山道と合流。
分岐(直進:大高丸(小高丸?)、西登山口、白鹿山、西法吉)(左:白鹿上池、真山登山口)を直進。
この辺りも大高丸
鉄塔少し手前の眺望の良い場所。登山道からやや西側。
パノラマ。2つ目の鉄塔の先が小高丸。
洗合城跡方面
万願寺城跡
分岐(左折:小高丸・白鹿山西登山口、直進:西法吉)を直進。
道なりでは南西側(西法吉方向)に向かってしまうが、南へ直進する様に進む。
踏み跡が少なく所々わかりにくくなるが、定期的に杭がある。
林道越しに高坪山が見える場所に出た。
昔は土橋で繋がっていたらしいが、今は下りれそうにない。
西方向に林道への下り口を探す。
道路に「-8」と書いてある場所で下りれた。
振り返る。
高坪山入口に移動して先程見下ろした対面を見上げる。
高坪山登山口。「元高坪山土橋、横手道付近」
ガッと上ると3分程度で頂上付近に到着。道がわかりにくくても枝を掴んで上がってしまう。
頂上周辺は結構広い。
ゴルフ練習場等が木の間から見える。
周囲は急傾斜。
左が清谷峰(大高丸)で、右が真山か?
下りが分かりづらい。頂上と途中に青い杭がある。
入口裏面。
林道を東へ進み鶯谷方面へ下る。
鶯谷池の横を過ぎ振り返る
うぐいす台団地を通過
振り返り左から高坪山、奥に真山、白鹿山
法吉公会堂に帰着