I DID IT

2024.01.18(木) 6 DAYS

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 57
休憩時間
1 時間 55
距離
10.6 km
のぼり / くだり
1331 / 109 m
DAY 2
合計時間
9 時間 7
休憩時間
4 時間 18
距離
5.0 km
のぼり / くだり
888 / 68 m
DAY 3
合計時間
10 時間 23
休憩時間
3 時間 43
距離
9.8 km
のぼり / くだり
832 / 713 m
DAY 4
合計時間
13 時間 55
休憩時間
8 時間 3
距離
7.8 km
のぼり / くだり
1110 / 429 m
DAY 5
合計時間
19 時間 30
休憩時間
8 時間 49
距離
12.8 km
のぼり / くだり
1285 / 2124 m
DAY 6
合計時間
4 時間 8
休憩時間
0
距離
12.2 km
のぼり / くだり
104 / 2276 m

活動詳細

すべて見る

 🦁gotoキリマンジャロ 第2週 キリマンジャロ山マチャメ・ルート5泊6日 (文中敬称略)  🦁序章「落涙」  両足が丸太のように重い。  1月22日未明、キリマンジャロ山マチャメ・ルート。標高5000mあたりから、全身の倦怠感が強まっていた。それを「猛烈な睡魔」に例えた体験記を思い出す。酸素量は約半分。  午前3時半、標高5250mでザックを背負うのがつらくなり、不本意ながらクルーに預けた。  しかし、それでも楽にならない。  トレッキングポールを雪面に突き、そのグリップに額を押し当てたまま動けなくなる。再び足を動かす。その繰り返し。  「Don't sleep, Don't sleep......」  後ろからクルーの声が聞こえる。  「ポレポレ、ポレポレ......」  スワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」と言われたって、もはや登頂できるとは思えない。  「Good job, sir」  最後尾から見守るチーフガイドErick(38)が声を張ったのは、そんなネガティブな気持ちに陥っていた頃合いだった。  「I’ll make it=たどり着いてみせます」と作り笑いを返すと、彼は「You WILL make it」と真顔になって言う。そして、こう続けた。  「NO DOUBT!」  それを聞いた途端、大粒の涙がこぼれ落ちてきた。  何だ、これは。涙腺というのは、勝手に暴走することもあるのか。  「Thank you, Erick」と言ったつもりが、声が震えて言葉にならなかった。  人前で涙声になるなんて、いったい何年ぶりだろう。  🦁キリマンジャロ山───  アフリカ大陸最高峰(標高5895m)で、赤道ほぼ直下のケニア・タンザニア国境にそびえる独立峰。スワヒリ語で「輝く山」。  ——————————————————  🦁DAY1「熱帯雨林を行く」  マチャメ・ゲート(標高1820m)→マチャメ・キャンプ(3030m)  1月18日朝、ふもとの町モシのLindrin Lodgeで目覚めたら、雨が降っていた。16日夕にタンザニアに入って以来、天気が冴えない。  Erickは前日のミーティングで「午前8時半に迎えに来る」と言っていたが、安定の30分遅刻。"TIA"である。(※TIAについては、前回の活動日記ご参照)  ワゴン車には荷物が満載され、一部のクルーも乗っていた。YAMAPERみさお、ヨシくん、scarlett935と共に加わったら、満席になった。  マチャメ・ゲート(標高1820m)は、少し騒然としていた。我が隊も、ハイカー4人にクルー15人の大所帯。この日入山するのは10組どころではなさそうだ。  手続きやクルーの準備に1時間以上かかり、午前11時半にスタートした。高揚感や非日常性はなく、淡々とした気持ち。雨は止んでいる。  先導するのは、サブガイドYaky(31)だ。トレイルの難易度が低いからなのか、Erickは後から追い付いてくるようだった。  マチャメ・キャンプ(標高3030m)までは熱帯雨林。トレイルは、ぬかるんでいる。木々が大きすぎて、眺めはない。  多くのハイカーはクルー、特にポーターの身体能力に、まずは目を奪われるだろう。そして、彼らがキャンプで設営する各種設備の充実ぶりに驚くことになる。  Erickのツアーでは標準装備のトイレテントは、なんと水洗。ダイニングテントは、ちょっとしたレストランのようだった。  山登りの経験が豊かな相棒のYAMAPERたちは、テント泊なのに軽装で済むから、余裕のよっちゃん。そんな初日だった。  📝日記帳から───  〇レジ袋、ペットボトルの持ち込みは禁じられているのに、ゲートでの荷物検査はいい加減。トレイルには、これらのゴミが普通に落ちている  〇女性ポーターを発見。増えているとか  〇インナー1枚で済んだ  〇水2~3㍑、行動食、雨具くらいの日帰り装備で楽ちん  →ポーターに預けられるのは顧客1人あたり15kg。ポーターは幕営のため先行するので、顧客は行動中、その荷物にはアクセスできない  〇YAMAPERお勧めの携帯ハンガーは便利  〇酸素飽和度「95%」=ほぼ正常  ※このコーナーでは、登山中に書き留めた日記帳から、こぼれ話を拾ってみます。  ——————————————————  🦁DAY2「歓喜と洗礼」  マチャメ・キャンプ(標高3030m)→シラ・キャンプ(3830m)  晴れた。マチャメ・キャンプから、キリマンジャロの主峰キボ峰を初めて目にした。  岩ゴロゴロのトレイルには高山植物が現れ始め、木々の背も低くなり、眺めがよくなる。  キリマンジャロに次ぐ名峰メルーを愛でながら「ザ・山登り」といった風情になった。  この日は、Erickが初めから同行した。オレンジ色のバッグをザックにぶら下げ、プラごみを拾いながら行く。そんな登山者には、他に出会わなかった。  スマホには「Japanese」と題したページを作り、「Let's go=Sa Iko」「Drink water=Mizu Nonde」 「friend=tomodachi」と書き込んでいく。  下山後はザンジバルに向かうことなど以前交わしたやり取りも、細かく覚えている。  特に時間に関する文化の違い(TIA)は極めて不便&不愉快だが、ツアーの内容は説明通り。というか、期待値より高質。  出会う前の印象は偏っていたようだった。  道中の好天とは裏腹に、キリマンジャロの洗礼を受けた一日でもあった。  原因は不明だが、朝に激しい下痢。みさおも同様で、scarlettは吐き気に苦しみ始めた。  さらに、目的地シラ・キャンプ(標高3830m)の手前で天気が崩れ、着いて間もなく雷を伴った激しい雹に見舞われた。  ダイニングテントでは毎晩、ガイドが翌日のレクチャーとメディカル・チェックを行う。  パルスオキシメーターに人差し指を通すのは免許更新試験みたいで、憂鬱だった。  📝日記帳から───  〇どのキャンプにも公衆トイレはあるが、穴を開けただけのボットン式  →高山病予防薬ダイアモックスを飲むと、頻尿になる。天気が悪かったり、標高が上がったりすると、トイレに行くのもつらい。トイレテントのオプションは"must"かもしれない  〇浄水ボトル使わず。ウェイターMatoが朝晩飲み水を入れてくれるが、いちいち浄水ボトルを通すのは面倒臭い。水あたりはなく、結果オーライ  〇酸素飽和度「93%」  →血液中の酸素の濃度が満タンだと100%。下界での正常値は96~99%。90%を下回ると、呼吸不全とされる  ——————————————————  🦁DAY3「離脱」  シラ・キャンプ(標高3830m)→溶岩塔(Lava Tower 4630m)→バランコ・キャンプ(4020m)  高度順応のために、いったん標高4630mの溶岩塔まで上った後、バランコ・キャンプに下りるという予定だった。  雨が収まるのを待ち、スタートは午前8時過ぎ。ポーターが菓子とジュースを配っているのを断ったら、Erickから「受け取って下さい。糖分は重要です」と促された。  顧客が下痢をしていても、吐いていても、水分と糖分の摂取については四の五の言わせない。これは終始一貫していた。  歩き始めて間もなく、みさおが頻繁に止まり始め、Erickの付き添いで別行動になった。顔色は青白く、乾いた咳をしていた。  残る3人はサブガイドYakyと溶岩塔を目指したが、天気は横殴りの雨になった。寒さは感じられないものの、気持ちは遭難に近い。  そんな折、クルーの1人が追い付いて、Yakyのザックから酸素吸入器を取り出して戻っていった。ただ事ではない。  雨は午前中に止み、溶岩塔ではダイニングテントで温かい昼食にありついた。  Yakyから「Misaoはこちらに向かっています」との報告があり、ひとまず安心する。  キリマンジャロでは、オンライン通信域が広がっているという。クルーやレンジャーのホウレンソウが簡単になり、登山者は安全になる。  バランコ・キャンプまでの下りではジャイアント・セネシオなどの大型高山植物が群生していて、ハイカーを飽きさせない。  キャンプに入ると間もなく晴れ間が広がり、岩壁バランコ・ウォールの向こうに主峰キボ峰がついに全容を現した。  これを、どうしても見たかった。  「Misaoの状態がよくないので、レンジャーの車で下山しました。Erickがモシ(ふもとの町)まで付き添います」。Yakyから報告を受けたのは、夕食前だった。  「病院に向かったのですか?」  「まだ分かりません。標高を下げればよくなると思いますが、情報が更新されたら、お伝えします」  こうしたトラブルには慣れているのか、Yakyに動揺は全く見られない。プロの手さばきに委ねるほかなかった。  ヨシくん、scarlettとは「みさおさんの分まで頑張ろう」と話し合った。  📝日記帳から───  〇下痢は収まったが、食欲やや悪化。睡眠障害がひどく(高山病?)、初日から眠れない  〇酸素飽和度「87%」  →下界なら呼吸不全とされる水準。キリマンジャロ登山を続ける分には問題ない  〇雨対策必須。傘もmust  →この時季は天気がコロコロ変わるらしい。装備の濡れ防止対策が重要。ポーターに預けるものも含め、パッキングでは大型のジプロックが役に立った  〇バランコで迎えた朝、Yakyが「準備ができたら呼んで」と言う。で、呼ばれると「今、行きます」と言い、5分ほど待たせる  →アフリカンは、自分の準備ができていなくても、相手には「準備ができたら呼んで」と言うものらしい  ——————————————————  🦁DAY4「前夜」  バランコ・キャンプ(標高4020m)→バラフ・キャンプ(4650m)  3人になったYAMAPERは、岩場バランコ・ウォール、高山砂漠エリア、富士山のようなザレ場を経て、上り最終キャンプ・バラフ(標高4650m)を目指した。  下山したチーフガイドErickの穴を埋めるため、Denisが同行する。トイレポーター兼山頂アタック支援の26歳、1児の父。Erickは「顧客からの評価が高い」と太鼓判を押していた。  アップダウンが多く、累積標高差1100m超。高度順応を重視する6泊7日版では、途中のカランガ・キャンプでも泊まる。  目的地バラフでは早めの夕食と仮眠を取り、翌日午前0時から山頂にアタックする。「最後の審判」に向かうような気持ちだった。  終日、雨が降ったり止んだり。濡れた岩場と格闘していたら、ErickからサブガイドYakyに電話が入った。代わってもらうと、  「Misaoは病院には行っていません。よくなっています」  「私はバラフ・キャンプで皆さんに再合流します」  朗報だが、耳を疑った。標高4000mあたりから下山した翌日、一気に標高4650mまで登り直してくるだって?   21日午後6時20分、バラフ・キャンプで夕食を取っていたら、Erickが本当に現れた。ザ・プロフェッショナル。平伏すしかない。  この夜のメディカル・チェックでは、酸素飽和度は84%まで下がった。ゴーサインをもらうには十分だが、さすがに気味が悪い。  続くレクチャーでは、Erickから落ち着いたトーンで、しかし強めに指示があった。  〇着過ぎと思うほど着て下さい  〇多くの水分を取って下さい   〇多くの糖分を取って下さい  午後11時まで数時間の仮眠タイムはあったものの、興奮で一睡もできなかった。  寝床からトイレテントに出ると、満天の星空の下で主峰キボ峰が白く輝いている。風はない。標高の割には寒くもない。  天気はよさそうだった。  🦁DAY5「アタック」  バラフ・キャンプ(標高4650m)→キリマンジャロ山頂ウフル・ピーク(5895m)→ミレニアム・キャンプ(3810m)  標高4650mでテント泊し、真夜中に出発し、高さを1245m上げて山頂に至り、その日のうちに2825m低いムウェカ・キャンプに下りる。  そんなことが可能なのか。こればかりは、いかなる体験記を読んでも分からなかった。分かるためには、自らやるしかない。  3人の挑戦を支えるのはチーフガイドErick、サブガイドYaky、通常は別行動のポーターから抜擢されたDenisとAmbrose。他のクルーはバラフ・キャンプで留守番をする。  1月22日午前0時、7人は手をつないで一つの輪になり、Denisの祈りを聞いた。スワヒリ語だが、彼は最後に「アーメン」と言った。  4人のクルーがたまたま全員クリスチャンだったから、こうなった。ムスリムがいれば、両方のやり方で祈るという。  先導するYakyのペースはスローモーションのようで、初めはじれったく感じた。寒さも肩透かしで、早々にウェアを脱いだ。  ところが、である。標高5000mあたりから「お鉢」までが俄然きつくなる。酸素量は平地(標高0m)の約半分。しかも急登。  Erickの激励に落涙し、夜明けの絶景も見られて、その都度「頑張ろう」と気持ちを立て直すが、きついものはきつい。すぐにネガティブモードに戻ってしまう。  scarlettは、断続的な吐き気と闘っていた。ヨシくんも含め、お互いに言葉を交わす余裕はなくなっていた。  午前6時50分、お鉢のステラ・ポイント(標高5756m)に着いたら、また泣いた。  この2発目の落涙は謎だ。「ここまで来れば登頂は堅い」と脳が安心したのだろうか。  実際、お鉢のトレイルは緩やかになるが、心身は全く楽にはならない。  足は「歩く」というより「引きずる」といった体。登頂は堅いにしても、こんな状態で下りられるわけがない。その不安も募る。    午前8時過ぎ、山頂ウフル・ピーク(5895m)にたどり着くや否や、膝から崩れ落ちた。  そして、雪面に両手をつき、うずくまったまま、涙が止まらなくなった。そんな予定ではなかったが、そうなった。  起き上がる力もないし、ぶざまな顔も相棒たちに見せられない。数分の間は、そうしていたかもしれない。  とはいえ、山頂は記念撮影の順番待ちで混雑する。しれっと素に戻り、それらしい写真を撮ってもらうことにした。  山頂から一気にムウェカ・キャンプ(3070m)まで下りる行程だったが、3人の疲労を踏まえ、手前のミレニアム・キャンプ(3810m)に泊まることになった。  心身の半分は既に「あの世」に逝っている。でも、下りは比較にならないほど楽。気合で何とかなる(はず)。  ミレニアム・キャンプ到着は午後4時半。ほぼ徹夜明けの午前0時からの行動時間は、昼食を含めて16時間半に及んでいた。  この夜、タンザニアに入ってから初めて爆睡できた。標高3800m超なのに。  📝日記帳から───  〇思いもよらぬ好天で、厳冬期対策は空振り。上半身にカイロを6枚も貼ったのは失敗。下山中に耐えられなくなり、すべて剥がした  →買ったカイロは、空気が薄くても温かくなった  〇尿瓶は不要だった。トイレテント付きなら、寝床から10歩くらいで用を足せる  〇全身の倦怠感はひどかったが、頭痛や吐き気はなく、バファリン未使用  →高山病の症状は千差万別で、他人の経験は大して参考にならない。楽観は禁物だが、症状が重くなったら要は下りればいい  〇チェーンスパイク、重たくなるのでザックに入れなかったのは失敗。支援ポーターがいるなら、手ぶらになれる。遠慮なく持参すべし。積雪していると、特に下りのツボ足はつらい  ㊟割安ツアーでは、山頂アタック支援ポーターは付かないようだ  ——————————————————  🦁DAY6「モルゲン・キリマンジャロ」  ミレニアム・キャンプ(標高3810m)→ムウェカ・ゲート(1630m)  大願成就の翌23日は、朝から晴れ渡った。  ミレニアム・キャンプからモルゲン・キリマンジャロを拝んで、気楽に酔いしれる。  あとはもう熱帯雨林のドロドロ道を怪我なく下りるだけでいい。  無事にゴールすると、15人のクルー全員とのセレモニーが催された。チップ贈呈の後は、15人が歌と踊りを披露した。  アフリカンのノリは、お祝い事にぴったり。葬式の参列者だって前向きな気持ちにさせてくれそうだ。  Lindrin Lodgeに戻ると、元気を取り戻したみさおに再会できた。  「gotoキリマンジャロ」の人生における意味について、きちんとした言葉を与えるには、恐らく時間がかかる。  大の大人が山頂にたどり着いて大泣きするなんて、そうあることではない。きっと大きな意味を持つのだろう。  多くのYAMAPERの助言も、Erickたちのプロフェッショナリズムも、山行に不可欠だった。自力でどうこうできるお山ではなかった。  でも、妄想を現実の目標に変えてみせた自らの「JUST DO IT」に、まずは「名誉石垣市民賞」を贈りたい。 (文中敬称略)  🦁おしらせ───  キリマンジャロ登山を個人でアレンジするノウハウについては、前回の活動日記"Prologue to Kilimanjaro"を参照して下さい。  https://yamap.com/activities/29378706  次回は、インド洋に浮かぶ美ら島ザンジバルからお届けします。  ——————————————————

キリマンジャロ  【DAY1】登山クルーと一緒にマチャメ・ゲートに到着。ポーターたちは、大量の荷物を降ろして、担ぐ準備をする。
 トレッキングポールをセットしていたら、1本壊れていることが判明。焦りまくったが、売店で中古が1本15㌦で売られていて、事なきを得た。
 【DAY1】登山クルーと一緒にマチャメ・ゲートに到着。ポーターたちは、大量の荷物を降ろして、担ぐ準備をする。  トレッキングポールをセットしていたら、1本壊れていることが判明。焦りまくったが、売店で中古が1本15㌦で売られていて、事なきを得た。
キリマンジャロ  ポーターが担ぐ荷物の重量チェックは、厳密に行われているようだった。Erickのツアーでは、顧客が預けられる荷物は15kgまで。
 ポーターは別行動。目的地に一足先に着き、各種テントを設営して、顧客が快適に過ごせるように努める。
 ポーターが担ぐ荷物の重量チェックは、厳密に行われているようだった。Erickのツアーでは、顧客が預けられる荷物は15kgまで。  ポーターは別行動。目的地に一足先に着き、各種テントを設営して、顧客が快適に過ごせるように努める。
キリマンジャロ 背中に特大ザック、頭に特大ズタ袋。登山クルーたちのフィジカルには、この後、何度も驚かされた。
背中に特大ザック、頭に特大ズタ袋。登山クルーたちのフィジカルには、この後、何度も驚かされた。
キリマンジャロ 1泊目のマチャメ・キャンプまでは熱帯雨林帯。ここでランチ休憩した。
1泊目のマチャメ・キャンプまでは熱帯雨林帯。ここでランチ休憩した。
キリマンジャロ サブガイドYakyによると、キリマンジャロの固有種Impatients Kilimanjari。
サブガイドYakyによると、キリマンジャロの固有種Impatients Kilimanjari。
キリマンジャロ マチャメ・キャンプ(標高3030m)に到着。これは顧客用テント。
マチャメ・キャンプ(標高3030m)に到着。これは顧客用テント。
キリマンジャロ Erickのツアーでは標準装備の「トイレテント」。
Erickのツアーでは標準装備の「トイレテント」。
キリマンジャロ 携帯トイレは水洗で、ペーパー付き。
携帯トイレは水洗で、ペーパー付き。
キリマンジャロ  ダイニングテント。テーブルにはクロスがかけられ、食器は陶器製。ナイフ、フォーク、スプーンは紙ナプキンで包まれていた。
 ポーター12人のうちMatoがウェイターを兼務している。
 ダイニングテント。テーブルにはクロスがかけられ、食器は陶器製。ナイフ、フォーク、スプーンは紙ナプキンで包まれていた。  ポーター12人のうちMatoがウェイターを兼務している。
キリマンジャロ ここはキッチンテント。コックDavidが腕を振るう。ガスボンベがデカい。
ここはキッチンテント。コックDavidが腕を振るう。ガスボンベがデカい。
キリマンジャロ 初日の夕食は魚のフライ、野菜炒め(?)、フライドポテト。これにスープとフルーツが必ず付く。街のちょっとしたレストラン並みのレベル。
初日の夕食は魚のフライ、野菜炒め(?)、フライドポテト。これにスープとフルーツが必ず付く。街のちょっとしたレストラン並みのレベル。
キリマンジャロ 【DAY2】キャンプ場に着いた時と翌朝、洗面器1杯のお湯と石鹸が出される。丸坊主なら、顔だけではなく頭も洗える。標高が上がると汗もかかない。5泊シャワーなしの割には快適だった。
【DAY2】キャンプ場に着いた時と翌朝、洗面器1杯のお湯と石鹸が出される。丸坊主なら、顔だけではなく頭も洗える。標高が上がると汗もかかない。5泊シャワーなしの割には快適だった。
キリマンジャロ 朝食は、こんな感じ。
朝食は、こんな感じ。
キリマンジャロ  朝食の後、クルー15人の紹介と歓迎の歌&踊りタイム。
 チーフガイドErick、サブガイドYaky、コックDavid、ポーター兼ウェイターMato、トイレポーター兼山頂アタック支援Denis、ポーター兼山頂アタック支援Ambrose、ポーター兼皿洗いWilliam、以下はポーター専業Ally、Said、Emanuel、Daniel、Phares、Mohamed、David、Sadik。
 今回は荷物が多いテント泊なので、顧客1人にポーター3人の態勢になった。
 クルーの名前から、キリスト教徒かムスリムか分かる。
 朝食の後、クルー15人の紹介と歓迎の歌&踊りタイム。  チーフガイドErick、サブガイドYaky、コックDavid、ポーター兼ウェイターMato、トイレポーター兼山頂アタック支援Denis、ポーター兼山頂アタック支援Ambrose、ポーター兼皿洗いWilliam、以下はポーター専業Ally、Said、Emanuel、Daniel、Phares、Mohamed、David、Sadik。  今回は荷物が多いテント泊なので、顧客1人にポーター3人の態勢になった。  クルーの名前から、キリスト教徒かムスリムか分かる。
キリマンジャロ マチャメ・キャンプの朝。前日まで天気に恵まれず、ようやくキリマンジャロとご対面できた。
マチャメ・キャンプの朝。前日まで天気に恵まれず、ようやくキリマンジャロとご対面できた。
キリマンジャロ キリマンジャロ山から70kmのメルー山。標高4566mで、タンザニアでは2番目に高い。イケメン成層火山である。
キリマンジャロ山から70kmのメルー山。標高4566mで、タンザニアでは2番目に高い。イケメン成層火山である。
キリマンジャロ マチャメ・キャンプからのトレイルは、こんな感じ。熱帯雨林を抜けたので、眺めがよくなる。右奥に、さっきのメルー山が見える。
マチャメ・キャンプからのトレイルは、こんな感じ。熱帯雨林を抜けたので、眺めがよくなる。右奥に、さっきのメルー山が見える。
キリマンジャロ  ザックにオレンジ色のバッグをぶら下げて、プラごみを拾いながら登るErick。
 トレイルもキャンプ場も、日本のそれらよりは汚い。持ち込み禁止のペットボトルをポイ捨てするド阿呆も珍しくない。
 ザックにオレンジ色のバッグをぶら下げて、プラごみを拾いながら登るErick。  トレイルもキャンプ場も、日本のそれらよりは汚い。持ち込み禁止のペットボトルをポイ捨てするド阿呆も珍しくない。
キリマンジャロ 途中に見晴らし岩があり、撮影タイム。キリマンジャロの主峰キボ峰には、不思議な雲が渦巻いていた。
途中に見晴らし岩があり、撮影タイム。キリマンジャロの主峰キボ峰には、不思議な雲が渦巻いていた。
キリマンジャロ こちらはシラ峰(標高3962m)。
こちらはシラ峰(標高3962m)。
キリマンジャロ 見晴らし岩(写真左)を振り返る。右奥は雲がかかり始めたメルー山。
見晴らし岩(写真左)を振り返る。右奥は雲がかかり始めたメルー山。
キリマンジャロ キリマンジャロ名物の大型高山植物ジャイアント・セネシオが初登場。日本の高山より風が弱く、雪が少なく、夏冬の気温差も小さいため、こんな大きな植物が育つという。
キリマンジャロ名物の大型高山植物ジャイアント・セネシオが初登場。日本の高山より風が弱く、雪が少なく、夏冬の気温差も小さいため、こんな大きな植物が育つという。
キリマンジャロ ポーターの身体能力!
ポーターの身体能力!
キリマンジャロ Everlasting flowerといい、キリマンジャロではよく見られる。
Everlasting flowerといい、キリマンジャロではよく見られる。
キリマンジャロ 2泊目のシラ・キャンプまでは、こんな感じの高山植物帯が続く。
2泊目のシラ・キャンプまでは、こんな感じの高山植物帯が続く。
キリマンジャロ 沢を渡る。
沢を渡る。
キリマンジャロ 富士山の標高(3776m)を超えたあたりで、軽めに歓喜の雄叫びをあげる石垣市民。
富士山の標高(3776m)を超えたあたりで、軽めに歓喜の雄叫びをあげる石垣市民。
キリマンジャロ シラ・キャンプ(標高3830m)に着いた途端に天気が急変し、雷を伴う雹に見舞われた。真夏のキリマンジャロは暖かくなるものの、毎日天気が猫の目のように変わる。
シラ・キャンプ(標高3830m)に着いた途端に天気が急変し、雷を伴う雹に見舞われた。真夏のキリマンジャロは暖かくなるものの、毎日天気が猫の目のように変わる。
キリマンジャロ シラ・キャンプ全景。突然の雹で、一面白くなった。奥はシラ峰。
シラ・キャンプ全景。突然の雹で、一面白くなった。奥はシラ峰。
キリマンジャロ Erickのツアーでは、携帯手洗いタンク(石鹸つき)もある。水場から水を運ぶのは、言うまでもなくポーターたち。
Erickのツアーでは、携帯手洗いタンク(石鹸つき)もある。水場から水を運ぶのは、言うまでもなくポーターたち。
キリマンジャロ キャンプの残飯狙い。鳴き声はカラスっぽいが、くちばしは猛禽類みたいだった。
キャンプの残飯狙い。鳴き声はカラスっぽいが、くちばしは猛禽類みたいだった。
キリマンジャロ 夕食は、ご飯に肉のシチューをかけて。
夕食は、ご飯に肉のシチューをかけて。
キリマンジャロ 雹が収まったら、メルー山に夕日が落ちた。
雹が収まったら、メルー山に夕日が落ちた。
キリマンジャロ その夕日を浴びて赤っぽくなるキリマンジャロの主峰キボ峰。
その夕日を浴びて赤っぽくなるキリマンジャロの主峰キボ峰。
キリマンジャロ  【DAY3】高度順応の日。シラ・キャンプから溶岩塔(Lava Tower 標高4630m)に向かったが、途中から横殴りの雨に見舞われ、ほとんど遭難状態。風雨が収まったところで、ようやく撮影できた。
 Alpine desert(高山砂漠)地帯で、荒涼としている。
 【DAY3】高度順応の日。シラ・キャンプから溶岩塔(Lava Tower 標高4630m)に向かったが、途中から横殴りの雨に見舞われ、ほとんど遭難状態。風雨が収まったところで、ようやく撮影できた。  Alpine desert(高山砂漠)地帯で、荒涼としている。
キリマンジャロ 溶岩塔(写真右)が近づいてきた。
溶岩塔(写真右)が近づいてきた。
キリマンジャロ 溶岩塔(標高4630m)に到達し、歓喜の雄叫びをあげる石垣市民。
溶岩塔(標高4630m)に到達し、歓喜の雄叫びをあげる石垣市民。
キリマンジャロ  驚くべきことに、溶岩塔への高度順応ハイクにはガイド以外のクルーも同行し、キッチンとダイニング、さらにはトイレのテントまで設営する。
 写真は、雪を溶かしながら調理するDavid。
 驚くべきことに、溶岩塔への高度順応ハイクにはガイド以外のクルーも同行し、キッチンとダイニング、さらにはトイレのテントまで設営する。  写真は、雪を溶かしながら調理するDavid。
キリマンジャロ  溶岩塔からバランコ・キャンプまで下りていく。同じ高山砂漠だが、こちら側にはジャイアント・セネシオなど大型高山植物が群生している。
 このセネシオは、トレイル界隈では最大のもの。身長189cmのサブガイドYakyの2.5倍はありそう。
 溶岩塔からバランコ・キャンプまで下りていく。同じ高山砂漠だが、こちら側にはジャイアント・セネシオなど大型高山植物が群生している。  このセネシオは、トレイル界隈では最大のもの。身長189cmのサブガイドYakyの2.5倍はありそう。
キリマンジャロ こちらもキリマンジャロ名物の高山植物ジャイアント・ロベリア。
こちらもキリマンジャロ名物の高山植物ジャイアント・ロベリア。
キリマンジャロ こんな感じのトレイルを下りていく。
こんな感じのトレイルを下りていく。
キリマンジャロ  バランコ・キャンプ(標高4020m)に下りて間もなく天気がよくなり、名物の岩壁バランコ・ウォール(写真手前)と主峰キボ峰の眺めを満喫できた。左下の青いテントが「我が家」。
 この日は悪天候やらメンバーの離脱やら災難続きだったが、この眺めだけはどうしても見たかったので、そこだけラッキーだった。
 にしても、標高4000m超のキャンプ場から見ても山頂部がはるか遠く高いことに、うんざりした。
 バランコ・キャンプ(標高4020m)に下りて間もなく天気がよくなり、名物の岩壁バランコ・ウォール(写真手前)と主峰キボ峰の眺めを満喫できた。左下の青いテントが「我が家」。  この日は悪天候やらメンバーの離脱やら災難続きだったが、この眺めだけはどうしても見たかったので、そこだけラッキーだった。  にしても、標高4000m超のキャンプ場から見ても山頂部がはるか遠く高いことに、うんざりした。
キリマンジャロ  顧客専用の携帯トイレは毎日、丁寧に掃除される。「中身」は、キャンプに必ずある公衆トイレに捨てられるようだ。
 キリマンジャロツアーでトイレテントが含まれているかどうかは、標高が上がるにつれて(環境がシビアになるにつれて)重要になると思う。
 顧客専用の携帯トイレは毎日、丁寧に掃除される。「中身」は、キャンプに必ずある公衆トイレに捨てられるようだ。  キリマンジャロツアーでトイレテントが含まれているかどうかは、標高が上がるにつれて(環境がシビアになるにつれて)重要になると思う。
キリマンジャロ この日の夕食は、茹でたポテトにシチューをかけて。
この日の夕食は、茹でたポテトにシチューをかけて。
キリマンジャロ  【DAY4】バランコ・キャンプ(標高4020m)から、バランコ・ウォールを経て、山頂アタックのベースになるバラフ・キャンプ(4650m)に向かう。終日、曇りか雨の山行になった。
 写真は、バランコ・ウォールで最も危険とされるポイント。右側に落ちれば120%死ぬものの、普通に行けば問題ない。
 キリマンジャロでは鎖、ロープ、梯子の類は一切ない。「注意」だの「危険」だの「警戒」だの、やたらと悲観的な張り紙をしたがる某国民は、グローバル目線では珍しい。
 【DAY4】バランコ・キャンプ(標高4020m)から、バランコ・ウォールを経て、山頂アタックのベースになるバラフ・キャンプ(4650m)に向かう。終日、曇りか雨の山行になった。  写真は、バランコ・ウォールで最も危険とされるポイント。右側に落ちれば120%死ぬものの、普通に行けば問題ない。  キリマンジャロでは鎖、ロープ、梯子の類は一切ない。「注意」だの「危険」だの「警戒」だの、やたらと悲観的な張り紙をしたがる某国民は、グローバル目線では珍しい。
キリマンジャロ バランコ・ウォールを通過中、出発地のキャンプを振り返る。右側には沢が流れている。
バランコ・ウォールを通過中、出発地のキャンプを振り返る。右側には沢が流れている。
キリマンジャロ 危ない個所をクリアして、ちょっと休憩。メンバーから差し入れられた文明堂のカステラなどを両手に喜ぶサブガイドYaky。
危ない個所をクリアして、ちょっと休憩。メンバーから差し入れられた文明堂のカステラなどを両手に喜ぶサブガイドYaky。
キリマンジャロ バランコ・ウォールを過ぎると、バラフ・キャンプまでは高山砂漠のアップダウンが続く。
バランコ・ウォールを過ぎると、バラフ・キャンプまでは高山砂漠のアップダウンが続く。
キリマンジャロ 途中のカランガ・キャンプ(標高4040m)で昼食。ここでもクルーがトイレを含む各種テントを設営し、温かいパスタを提供してくれた。
途中のカランガ・キャンプ(標高4040m)で昼食。ここでもクルーがトイレを含む各種テントを設営し、温かいパスタを提供してくれた。
キリマンジャロ  バラフ・キャンプに着いて、ダイニングテントで夕食を取っていたら、チーフガイドErickが再合流した。
 前日、離脱メンバーをふもとの町モシに送り届けて、無事を確かめた後、翌日登り直してきた。サブガイドYakyを通じて「再合流するかどうかの判断はお任せする」と言っておいたのに。
 彼のアプリによると、ふもとのムウェカ・ゲート(標高1630m)からバラフ・キャンプ(標高4650m)まで8時間10分で登ってきた😂
 バラフ・キャンプに着いて、ダイニングテントで夕食を取っていたら、チーフガイドErickが再合流した。  前日、離脱メンバーをふもとの町モシに送り届けて、無事を確かめた後、翌日登り直してきた。サブガイドYakyを通じて「再合流するかどうかの判断はお任せする」と言っておいたのに。  彼のアプリによると、ふもとのムウェカ・ゲート(標高1630m)からバラフ・キャンプ(標高4650m)まで8時間10分で登ってきた😂
キリマンジャロ  夕食後のメディカル・チェックで、サブガイドYakyが自らを計測してみせたところ、酸素飽和度91%、心拍数60。ここ標高4650mなんですけど😂
 今すぐ五輪を目指すべきである。マラソンとか。
 夕食後のメディカル・チェックで、サブガイドYakyが自らを計測してみせたところ、酸素飽和度91%、心拍数60。ここ標高4650mなんですけど😂  今すぐ五輪を目指すべきである。マラソンとか。
キリマンジャロ  アタック前夜の仮眠タイムは、興奮で一睡もできず。
 トイレに出たところ、満天の星空の下で主峰キボ峰が白く輝いていた。
 アタック前夜の仮眠タイムは、興奮で一睡もできず。  トイレに出たところ、満天の星空の下で主峰キボ峰が白く輝いていた。
キリマンジャロ  【DAY5】深夜0時にバラフ・キャンプ(標高4650m)を出発。好天の中、慎重に標高を上げていく。
 ガイド2人に加え、ポーターから選ばれた2人が、アタックを支える。顧客のザックを背負ったり、マッサージしたり(写真)、励ましたり。
 チーフガイドErickは、顧客に時に強い調子で指示を出す。百戦錬磨の現場指揮官なので、素直に従ったほうが登頂の可能性は高まると思う。
 【DAY5】深夜0時にバラフ・キャンプ(標高4650m)を出発。好天の中、慎重に標高を上げていく。  ガイド2人に加え、ポーターから選ばれた2人が、アタックを支える。顧客のザックを背負ったり、マッサージしたり(写真)、励ましたり。  チーフガイドErickは、顧客に時に強い調子で指示を出す。百戦錬磨の現場指揮官なので、素直に従ったほうが登頂の可能性は高まると思う。
キリマンジャロ  Erickの励ましの言葉に落涙(1発目)して間もなく、夜が明けた。
 写真はマウェンジ峰(標高5151m)。鋭く切り立った山容が超イケメン。
 Erickの励ましの言葉に落涙(1発目)して間もなく、夜が明けた。  写真はマウェンジ峰(標高5151m)。鋭く切り立った山容が超イケメン。
キリマンジャロ 息も絶え絶えに主峰キボ峰の「お鉢」にあるステラ・ポイント(標高5756m)に到達し、落涙する(2発目)。
息も絶え絶えに主峰キボ峰の「お鉢」にあるステラ・ポイント(標高5756m)に到達し、落涙する(2発目)。
キリマンジャロ  山頂ウフルピークまでのお鉢のトレイルは緩やかな上りに変わる。
 しかし、心身ともに半分は「あの世」に逝っており、夢遊病者のような状態だった。
 山頂ウフルピークまでのお鉢のトレイルは緩やかな上りに変わる。  しかし、心身ともに半分は「あの世」に逝っており、夢遊病者のような状態だった。
キリマンジャロ  8時間でキリマンジャロ山頂ウフル・ピーク(標高5895m)に登頂したが、うずくまったまま激しく落涙(3発目)。恥ずかしいので、数分の間、顔を上げられなかった。
 落ち着いたところで、万感の思いを込めて歓喜の雄叫びをあげる石垣市民(写真)。
 本当に、本当に、本当に、おめでとう❗
 あ、ちなみに「ウフル」とはスワヒリ語で「自由」。「ウルフ」ではありません。
 8時間でキリマンジャロ山頂ウフル・ピーク(標高5895m)に登頂したが、うずくまったまま激しく落涙(3発目)。恥ずかしいので、数分の間、顔を上げられなかった。  落ち着いたところで、万感の思いを込めて歓喜の雄叫びをあげる石垣市民(写真)。  本当に、本当に、本当に、おめでとう❗  あ、ちなみに「ウフル」とはスワヒリ語で「自由」。「ウルフ」ではありません。
キリマンジャロ  ウフルピークからの眺め。レブマン氷河とメルー山のそろい踏みは、絵になり過ぎる。
 しかし「綺麗♡」とか言っている場合ではない。氷河は20年くらいで消えてなくなるという予測もある。
 ウフルピークからの眺め。レブマン氷河とメルー山のそろい踏みは、絵になり過ぎる。  しかし「綺麗♡」とか言っている場合ではない。氷河は20年くらいで消えてなくなるという予測もある。
キリマンジャロ  異様に疲れ果てた心身に鞭打って、出発地バラフ・キャンプに下りる。
 キャンプが近づくと、留守番のクルーたちがトレイルでお出迎え(チップ奮発狙い?)。ウェイターMato(写真右端)は、マンゴージュースを持ってきてくれた。
 奥はマウェンジ峰。
 異様に疲れ果てた心身に鞭打って、出発地バラフ・キャンプに下りる。  キャンプが近づくと、留守番のクルーたちがトレイルでお出迎え(チップ奮発狙い?)。ウェイターMato(写真右端)は、マンゴージュースを持ってきてくれた。  奥はマウェンジ峰。
キリマンジャロ  バラフ・キャンプに戻ってきて、休憩とランチ。写真左側の青いテントが「我が家」。
 この後ミレニアム・キャンプ(標高3810m)まで下りた。深夜0時のスタートから16時間半かかった。
 バラフ・キャンプに戻ってきて、休憩とランチ。写真左側の青いテントが「我が家」。  この後ミレニアム・キャンプ(標高3810m)まで下りた。深夜0時のスタートから16時間半かかった。
キリマンジャロ 【DAY6】ミレニアム・キャンプの朝焼け。他のグループが「モルゲン・キリマンジャロ」を背景に記念撮影していた。
【DAY6】ミレニアム・キャンプの朝焼け。他のグループが「モルゲン・キリマンジャロ」を背景に記念撮影していた。
キリマンジャロ これがモルゲン・キリマンジャロ。右下の青いテントが「我が家」。
これがモルゲン・キリマンジャロ。右下の青いテントが「我が家」。
キリマンジャロ  ミレニアム・キャンプからゴールのムウェカ・ゲートまで熱帯雨林を下りていく。前日は厳冬期装備、この日はシャツ1枚でも暑い。
 写真は、病人・けが人を搬送する一輪車。ここからゲートまではオフロード車が通れる。
 ミレニアム・キャンプからゴールのムウェカ・ゲートまで熱帯雨林を下りていく。前日は厳冬期装備、この日はシャツ1枚でも暑い。  写真は、病人・けが人を搬送する一輪車。ここからゲートまではオフロード車が通れる。
キリマンジャロ  ムウェカ・ゲートにゴールして、クルーたちと地元のビールで乾杯した(ムスリムはジュース)。
 サブガイドYakyから登頂証明書を受け取り、大喜びする石垣市民。
 写真右はDenis。一時下山したErickの代役や山頂アタック支援も務めた。認可ガイドになるべく勉強中。
 ムウェカ・ゲートにゴールして、クルーたちと地元のビールで乾杯した(ムスリムはジュース)。  サブガイドYakyから登頂証明書を受け取り、大喜びする石垣市民。  写真右はDenis。一時下山したErickの代役や山頂アタック支援も務めた。認可ガイドになるべく勉強中。
キリマンジャロ クルー全員に役割に応じたチップを渡す「チッピング・セレモニー」。クルーは歌と踊りで返礼する。
クルー全員に役割に応じたチップを渡す「チッピング・セレモニー」。クルーは歌と踊りで返礼する。
キリマンジャロ キリマンジャロ山のルート図=再掲。マチャメ(上り+下り)、マラングの2ルートのみ掲載。各ランドマークの標高データは、YAMAPの地図とは異なる。©旅の本棚
キリマンジャロ山のルート図=再掲。マチャメ(上り+下り)、マラングの2ルートのみ掲載。各ランドマークの標高データは、YAMAPの地図とは異なる。©旅の本棚

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。