活動データ
タイム
63:02
距離
58.6km
のぼり
5567m
くだり
5728m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る🦁gotoキリマンジャロ 第2週 キリマンジャロ山マチャメ・ルート5泊6日 (文中敬称略) 🦁序章「落涙」 両足が丸太のように重い。 1月22日未明、キリマンジャロ山マチャメ・ルート。標高5000mあたりから、全身の倦怠感が強まっていた。それを「猛烈な睡魔」に例えた体験記を思い出す。酸素量は約半分。 午前3時半、標高5250mでザックを背負うのがつらくなり、不本意ながらクルーに預けた。 しかし、それでも楽にならない。 トレッキングポールを雪面に突き、そのグリップに額を押し当てたまま動けなくなる。再び足を動かす。その繰り返し。 「Don't sleep, Don't sleep......」 後ろからクルーの声が聞こえる。 「ポレポレ、ポレポレ......」 スワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」と言われたって、もはや登頂できるとは思えない。 「Good job, sir」 最後尾から見守るチーフガイドErick(38)が声を張ったのは、そんなネガティブな気持ちに陥っていた頃合いだった。 「I’ll make it=たどり着いてみせます」と作り笑いを返すと、彼は「You WILL make it」と真顔になって言う。そして、こう続けた。 「NO DOUBT!」 それを聞いた途端、大粒の涙がこぼれ落ちてきた。 何だ、これは。涙腺というのは、勝手に暴走することもあるのか。 「Thank you, Erick」と言ったつもりが、声が震えて言葉にならなかった。 人前で涙声になるなんて、いったい何年ぶりだろう。 🦁キリマンジャロ山─── アフリカ大陸最高峰(標高5895m)で、赤道ほぼ直下のケニア・タンザニア国境にそびえる独立峰。スワヒリ語で「輝く山」。 —————————————————— 🦁DAY1「熱帯雨林を行く」 マチャメ・ゲート(標高1820m)→マチャメ・キャンプ(3030m) 1月18日朝、ふもとの町モシのLindrin Lodgeで目覚めたら、雨が降っていた。16日夕にタンザニアに入って以来、天気が冴えない。 Erickは前日のミーティングで「午前8時半に迎えに来る」と言っていたが、安定の30分遅刻。"TIA"である。(※TIAについては、前回の活動日記ご参照) ワゴン車には荷物が満載され、一部のクルーも乗っていた。YAMAPERみさお、ヨシくん、scarlett935と共に加わったら、満席になった。 マチャメ・ゲート(標高1820m)は、少し騒然としていた。我が隊も、ハイカー4人にクルー15人の大所帯。この日入山するのは10組どころではなさそうだ。 手続きやクルーの準備に1時間以上かかり、午前11時半にスタートした。高揚感や非日常性はなく、淡々とした気持ち。雨は止んでいる。 先導するのは、サブガイドYaky(31)だ。トレイルの難易度が低いからなのか、Erickは後から追い付いてくるようだった。 マチャメ・キャンプ(標高3030m)までは熱帯雨林。トレイルは、ぬかるんでいる。木々が大きすぎて、眺めはない。 多くのハイカーはクルー、特にポーターの身体能力に、まずは目を奪われるだろう。そして、彼らがキャンプで設営する各種設備の充実ぶりに驚くことになる。 Erickのツアーでは標準装備のトイレテントは、なんと水洗。ダイニングテントは、ちょっとしたレストランのようだった。 山登りの経験が豊かな相棒のYAMAPERたちは、テント泊なのに軽装で済むから、余裕のよっちゃん。そんな初日だった。 📝日記帳から─── 〇レジ袋、ペットボトルの持ち込みは禁じられているのに、ゲートでの荷物検査はいい加減。トレイルには、これらのゴミが普通に落ちている 〇女性ポーターを発見。増えているとか 〇インナー1枚で済んだ 〇水2~3㍑、行動食、雨具くらいの日帰り装備で楽ちん →ポーターに預けられるのは顧客1人あたり15kg。ポーターは幕営のため先行するので、顧客は行動中、その荷物にはアクセスできない 〇YAMAPERお勧めの携帯ハンガーは便利 〇酸素飽和度「95%」=ほぼ正常 ※このコーナーでは、登山中に書き留めた日記帳から、こぼれ話を拾ってみます。 —————————————————— 🦁DAY2「歓喜と洗礼」 マチャメ・キャンプ(標高3030m)→シラ・キャンプ(3830m) 晴れた。マチャメ・キャンプから、キリマンジャロの主峰キボ峰を初めて目にした。 岩ゴロゴロのトレイルには高山植物が現れ始め、木々の背も低くなり、眺めがよくなる。 キリマンジャロに次ぐ名峰メルーを愛でながら「ザ・山登り」といった風情になった。 この日は、Erickが初めから同行した。オレンジ色のバッグをザックにぶら下げ、プラごみを拾いながら行く。そんな登山者には、他に出会わなかった。 スマホには「Japanese」と題したページを作り、「Let's go=Sa Iko」「Drink water=Mizu Nonde」 「friend=tomodachi」と書き込んでいく。 下山後はザンジバルに向かうことなど以前交わしたやり取りも、細かく覚えている。 特に時間に関する文化の違い(TIA)は極めて不便&不愉快だが、ツアーの内容は説明通り。というか、期待値より高質。 出会う前の印象は偏っていたようだった。 道中の好天とは裏腹に、キリマンジャロの洗礼を受けた一日でもあった。 原因は不明だが、朝に激しい下痢。みさおも同様で、scarlettは吐き気に苦しみ始めた。 さらに、目的地シラ・キャンプ(標高3830m)の手前で天気が崩れ、着いて間もなく雷を伴った激しい雹に見舞われた。 ダイニングテントでは毎晩、ガイドが翌日のレクチャーとメディカル・チェックを行う。 パルスオキシメーターに人差し指を通すのは免許更新試験みたいで、憂鬱だった。 📝日記帳から─── 〇どのキャンプにも公衆トイレはあるが、穴を開けただけのボットン式 →高山病予防薬ダイアモックスを飲むと、頻尿になる。天気が悪かったり、標高が上がったりすると、トイレに行くのもつらい。トイレテントのオプションは"must"かもしれない 〇浄水ボトル使わず。ウェイターMatoが朝晩飲み水を入れてくれるが、いちいち浄水ボトルを通すのは面倒臭い。水あたりはなく、結果オーライ 〇酸素飽和度「93%」 →血液中の酸素の濃度が満タンだと100%。下界での正常値は96~99%。90%を下回ると、呼吸不全とされる —————————————————— 🦁DAY3「離脱」 シラ・キャンプ(標高3830m)→溶岩塔(Lava Tower 4630m)→バランコ・キャンプ(4020m) 高度順応のために、いったん標高4630mの溶岩塔まで上った後、バランコ・キャンプに下りるという予定だった。 雨が収まるのを待ち、スタートは午前8時過ぎ。ポーターが菓子とジュースを配っているのを断ったら、Erickから「受け取って下さい。糖分は重要です」と促された。 顧客が下痢をしていても、吐いていても、水分と糖分の摂取については四の五の言わせない。これは終始一貫していた。 歩き始めて間もなく、みさおが頻繁に止まり始め、Erickの付き添いで別行動になった。顔色は青白く、乾いた咳をしていた。 残る3人はサブガイドYakyと溶岩塔を目指したが、天気は横殴りの雨になった。寒さは感じられないものの、気持ちは遭難に近い。 そんな折、クルーの1人が追い付いて、Yakyのザックから酸素吸入器を取り出して戻っていった。ただ事ではない。 雨は午前中に止み、溶岩塔ではダイニングテントで温かい昼食にありついた。 Yakyから「Misaoはこちらに向かっています」との報告があり、ひとまず安心する。 キリマンジャロでは、オンライン通信域が広がっているという。クルーやレンジャーのホウレンソウが簡単になり、登山者は安全になる。 バランコ・キャンプまでの下りではジャイアント・セネシオなどの大型高山植物が群生していて、ハイカーを飽きさせない。 キャンプに入ると間もなく晴れ間が広がり、岩壁バランコ・ウォールの向こうに主峰キボ峰がついに全容を現した。 これを、どうしても見たかった。 「Misaoの状態がよくないので、レンジャーの車で下山しました。Erickがモシ(ふもとの町)まで付き添います」。Yakyから報告を受けたのは、夕食前だった。 「病院に向かったのですか?」 「まだ分かりません。標高を下げればよくなると思いますが、情報が更新されたら、お伝えします」 こうしたトラブルには慣れているのか、Yakyに動揺は全く見られない。プロの手さばきに委ねるほかなかった。 ヨシくん、scarlettとは「みさおさんの分まで頑張ろう」と話し合った。 📝日記帳から─── 〇下痢は収まったが、食欲やや悪化。睡眠障害がひどく(高山病?)、初日から眠れない 〇酸素飽和度「87%」 →下界なら呼吸不全とされる水準。キリマンジャロ登山を続ける分には問題ない 〇雨対策必須。傘もmust →この時季は天気がコロコロ変わるらしい。装備の濡れ防止対策が重要。ポーターに預けるものも含め、パッキングでは大型のジプロックが役に立った 〇バランコで迎えた朝、Yakyが「準備ができたら呼んで」と言う。で、呼ばれると「今、行きます」と言い、5分ほど待たせる →アフリカンは、自分の準備ができていなくても、相手には「準備ができたら呼んで」と言うものらしい —————————————————— 🦁DAY4「前夜」 バランコ・キャンプ(標高4020m)→バラフ・キャンプ(4650m) 3人になったYAMAPERは、岩場バランコ・ウォール、高山砂漠エリア、富士山のようなザレ場を経て、上り最終キャンプ・バラフ(標高4650m)を目指した。 下山したチーフガイドErickの穴を埋めるため、Denisが同行する。トイレポーター兼山頂アタック支援の26歳、1児の父。Erickは「顧客からの評価が高い」と太鼓判を押していた。 アップダウンが多く、累積標高差1100m超。高度順応を重視する6泊7日版では、途中のカランガ・キャンプでも泊まる。 目的地バラフでは早めの夕食と仮眠を取り、翌日午前0時から山頂にアタックする。「最後の審判」に向かうような気持ちだった。 終日、雨が降ったり止んだり。濡れた岩場と格闘していたら、ErickからサブガイドYakyに電話が入った。代わってもらうと、 「Misaoは病院には行っていません。よくなっています」 「私はバラフ・キャンプで皆さんに再合流します」 朗報だが、耳を疑った。標高4000mあたりから下山した翌日、一気に標高4650mまで登り直してくるだって? 21日午後6時20分、バラフ・キャンプで夕食を取っていたら、Erickが本当に現れた。ザ・プロフェッショナル。平伏すしかない。 この夜のメディカル・チェックでは、酸素飽和度は84%まで下がった。ゴーサインをもらうには十分だが、さすがに気味が悪い。 続くレクチャーでは、Erickから落ち着いたトーンで、しかし強めに指示があった。 〇着過ぎと思うほど着て下さい 〇多くの水分を取って下さい 〇多くの糖分を取って下さい 午後11時まで数時間の仮眠タイムはあったものの、興奮で一睡もできなかった。 寝床からトイレテントに出ると、満天の星空の下で主峰キボ峰が白く輝いている。風はない。標高の割には寒くもない。 天気はよさそうだった。 🦁DAY5「アタック」 バラフ・キャンプ(標高4650m)→キリマンジャロ山頂ウフル・ピーク(5895m)→ミレニアム・キャンプ(3810m) 標高4650mでテント泊し、真夜中に出発し、高さを1245m上げて山頂に至り、その日のうちに2825m低いムウェカ・キャンプに下りる。 そんなことが可能なのか。こればかりは、いかなる体験記を読んでも分からなかった。分かるためには、自らやるしかない。 3人の挑戦を支えるのはチーフガイドErick、サブガイドYaky、通常は別行動のポーターから抜擢されたDenisとAmbrose。他のクルーはバラフ・キャンプで留守番をする。 1月22日午前0時、7人は手をつないで一つの輪になり、Denisの祈りを聞いた。スワヒリ語だが、彼は最後に「アーメン」と言った。 4人のクルーがたまたま全員クリスチャンだったから、こうなった。ムスリムがいれば、両方のやり方で祈るという。 先導するYakyのペースはスローモーションのようで、初めはじれったく感じた。寒さも肩透かしで、早々にウェアを脱いだ。 ところが、である。標高5000mあたりから「お鉢」までが俄然きつくなる。酸素量は平地(標高0m)の約半分。しかも急登。 Erickの激励に落涙し、夜明けの絶景も見られて、その都度「頑張ろう」と気持ちを立て直すが、きついものはきつい。すぐにネガティブモードに戻ってしまう。 scarlettは、断続的な吐き気と闘っていた。ヨシくんも含め、お互いに言葉を交わす余裕はなくなっていた。 午前6時50分、お鉢のステラ・ポイント(標高5756m)に着いたら、また泣いた。 この2発目の落涙は謎だ。「ここまで来れば登頂は堅い」と脳が安心したのだろうか。 実際、お鉢のトレイルは緩やかになるが、心身は全く楽にはならない。 足は「歩く」というより「引きずる」といった体。登頂は堅いにしても、こんな状態で下りられるわけがない。その不安も募る。 午前8時過ぎ、山頂ウフル・ピーク(5895m)にたどり着くや否や、膝から崩れ落ちた。 そして、雪面に両手をつき、うずくまったまま、涙が止まらなくなった。そんな予定ではなかったが、そうなった。 起き上がる力もないし、ぶざまな顔も相棒たちに見せられない。数分の間は、そうしていたかもしれない。 とはいえ、山頂は記念撮影の順番待ちで混雑する。しれっと素に戻り、それらしい写真を撮ってもらうことにした。 山頂から一気にムウェカ・キャンプ(3070m)まで下りる行程だったが、3人の疲労を踏まえ、手前のミレニアム・キャンプ(3810m)に泊まることになった。 心身の半分は既に「あの世」に逝っている。でも、下りは比較にならないほど楽。気合で何とかなる(はず)。 ミレニアム・キャンプ到着は午後4時半。ほぼ徹夜明けの午前0時からの行動時間は、昼食を含めて16時間半に及んでいた。 この夜、タンザニアに入ってから初めて爆睡できた。標高3800m超なのに。 📝日記帳から─── 〇思いもよらぬ好天で、厳冬期対策は空振り。上半身にカイロを6枚も貼ったのは失敗。下山中に耐えられなくなり、すべて剥がした →買ったカイロは、空気が薄くても温かくなった 〇尿瓶は不要だった。トイレテント付きなら、寝床から10歩くらいで用を足せる 〇全身の倦怠感はひどかったが、頭痛や吐き気はなく、バファリン未使用 →高山病の症状は千差万別で、他人の経験は大して参考にならない。楽観は禁物だが、症状が重くなったら要は下りればいい 〇チェーンスパイク、重たくなるのでザックに入れなかったのは失敗。支援ポーターがいるなら、手ぶらになれる。遠慮なく持参すべし。積雪していると、特に下りのツボ足はつらい ㊟割安ツアーでは、山頂アタック支援ポーターは付かないようだ —————————————————— 🦁DAY6「モルゲン・キリマンジャロ」 ミレニアム・キャンプ(標高3810m)→ムウェカ・ゲート(1630m) 大願成就の翌23日は、朝から晴れ渡った。 ミレニアム・キャンプからモルゲン・キリマンジャロを拝んで、気楽に酔いしれる。 あとはもう熱帯雨林のドロドロ道を怪我なく下りるだけでいい。 無事にゴールすると、15人のクルー全員とのセレモニーが催された。チップ贈呈の後は、15人が歌と踊りを披露した。 アフリカンのノリは、お祝い事にぴったり。葬式の参列者だって前向きな気持ちにさせてくれそうだ。 Lindrin Lodgeに戻ると、元気を取り戻したみさおに再会できた。 「gotoキリマンジャロ」の人生における意味について、きちんとした言葉を与えるには、恐らく時間がかかる。 大の大人が山頂にたどり着いて大泣きするなんて、そうあることではない。きっと大きな意味を持つのだろう。 多くのYAMAPERの助言も、Erickたちのプロフェッショナリズムも、山行に不可欠だった。自力でどうこうできるお山ではなかった。 でも、妄想を現実の目標に変えてみせた自らの「JUST DO IT」に、まずは「名誉石垣市民賞」を贈りたい。 (文中敬称略) 🦁おしらせ─── キリマンジャロ登山を個人でアレンジするノウハウについては、前回の活動日記"Prologue to Kilimanjaro"を参照して下さい。 https://yamap.com/activities/29378706 次回は、インド洋に浮かぶ美ら島ザンジバルからお届けします。 ——————————————————
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