地元に帰ってきたので、大河ドラマ『どうする家康』で話題になっている徳川家康のゆかりの地を巡ってみました。 うちの近所から岡崎城までの間の著明な史跡を辿ってランニング🏃 住んでいた子供の頃は全く興味が無かったけど、しばらく離れてみると、なんだか観光気分で史跡巡りを楽しむことが出来ました♪ こうしてみると、やっぱりうちの地元は戦国時代の史跡だらけです。 子供の頃に山へ探検に行くと謎の石垣を発見することがあったけど、あれももしかしたら昔の砦の跡だったりしたのかも⁉️ もう一度行って確かめてみたいけど、どこだったかさっぱり覚えてないんだよなー😂 住所がそれっぽい地名だし、うちの実家の場所も鴛鴨城の城下町だったのかも。 実家を建て替える前の蔵の中から火縄銃の弾とか刀の鍔やらが出てきたし。 今度は資料館とか回って深掘りしてみると面白いかもなぁと感じました。
まずは幼少期に散歩途中にお参りしていた『おしんぼ地蔵』 昔はこの近くの違う場所にあったけど、高速道路建設のため移動されていた。
元々は洪水で命を落とした少女を埋葬した塚にあったそうです。 そういえば昔はこんもりとした場所に大きな木があって、その傍にお堂があったんだよなぁ。
次は家康が渡し船に乗った場所 桶狭間の戦いで今川義元が討死したことを知った家康が、大高城から脱出して岡崎へ戻る途中にここから舟で矢作川を渡ったんだと。 確かに昔だったら矢作川を渡るのは船じゃないと無理だろうなぁ。
こちらは『徳川四天王』本多忠勝の誕生の地 昔の西蔵前城跡です。 ただ勝つのみという願いのもと命名されたそうで、その名の通り、『桶狭間の戦い』から『大阪城冬の陣』までの57戦を家康とともに戦い抜き、一度も負傷しなかったそうです。 某ゲームでも本多忠勝はかなり強くて好きなキャラだったなぁ。
でもここは普通に人の家の庭の中にあるので、家の人が居ないとなかなか入りづらい😅
『七所神社』 こちらは武田軍から岡崎城を守るための砦である百々城があった場所
この境内付近には百々古墳群があるそうです。
傍にあった稲荷神社の御神体
こちらは松平氏に仕えた青山忠門の居城跡 徳川家の重臣だった青山氏は、武田軍との戦いで討死し、ここに葬られているそうです。
亀の像の上に石碑が建っています。
『井ノ口稲荷神社』 こちらは徳川家康とは関係ないかもしれないけど、室町時代には井ノ口城があった場所だそうです。
『大樹寺』 徳川家の菩提寺 桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、追っ手を逃れた家康が寺に逃げ込んだ際に、周囲を囲まれて先祖の墓の前で自害を覚悟したのをここの住職に諭されて思いとどまったそうで、縁起の良い寺とされています。
立派な山門です。
ここには徳川家の歴代将軍の位牌が安置されており、その位牌は当将軍の身長と同じ高さで作られているそうです。 ずらっと並べられているその位牌を見ると、鳥肌が立つ感じがしました。
戦国時代好きならここは一度訪れるべき場所です。
こちらは『井田城跡』 徳川四天王の一人、酒井忠次生誕の地だそうです。 付近には井田野古戦場があります。 先ほどの大樹寺と岡崎城を結ぶ直線上にあり、岡崎城の北の防衛拠点となっていたのでしょうか。
こちらは『明願寺』 松平清康に岡崎城を明け渡した西郷昌安の一族である松平康安が築城した『伊賀城』があった場所です。
『伊賀八幡宮』 徳川幕府の祈願所だったそうです。 夏場は蓮池が見頃になります。 本殿は家康が建立したのだとか。 関ヶ原の戦いや大坂冬の陣の前には戦勝祈願をし勝利 三方ヶ原の戦いでは参拝出来なかったため敗戦してしまったとのこと。
参拝すると勝ち運が上がるご利益があるとのことから、勝負事の前に参拝する人が多いそうです。
大きなさざれ石が安置されていました。
1542年12月26日に岡崎城で家康が誕生した際に、産湯として使われた水を汲んだ井戸 開運出世井戸ということでパワースポットとなっています。
井戸から汲み上げた水が溜められていますが、飲料水ではありません。 今日は止まっていたため、濁った水が溜まっていただけでした。
江戸時代に造られたまま、改修を受けることなく現在まで当時の姿のまま残る貴重な岡崎城の石垣
昼時なので売店で五平餅を購入 五平餅って三河地方近郊だけの食べ物なのかな⁉️ 岐阜では見たことあるけど、静岡や三重では見たことがないかも。 味噌文化が強い土地だからこその食べ物なのかな。
『岡崎城』 当時の天守閣は存在せず、これは再建されたものです。 ドラマの影響で結構混み合っていました。
せっかくなので300円払って城内を見学
当時の岡崎城を再現した模型
城下町の一部
火縄銃
もう梅の花が咲く季節か。
大河ドラマ館まで建てられていた。
この激混み具合😅 ドラマは見たことないのでスルーします…
帰り道にもう少し寄り道 『隣松寺』
松平広忠が、家康誕生の際に成長の無事を祈願した寺 家康自身も三河一向一揆の際に戦勝祈願に訪れ勝利を収めた。
こちらは徳川家とは関係が無さそうだけど、実家からほど近い『鴛鴨城址』
うちの住所も『東屋敷』だし、西屋敷、中屋敷、小畔屋敷という地名も周りにあるため、昔はうちの実家も城下町の一角にあったのかな?
最後は『神明遺跡』 小学生の時に、道路を造るからと発掘が進められていた場所 友達と探索に来てみたら、矢尻に使われていたような黒曜石の破片をいくつか見つけた記憶がある。