かつては中判田から本宮山への参道があったという話を聞き歩きたいと思っていた。 中判田駅横の有料駐車場に車を停め、セラピーロードの案内板を頼りに庄屋村、米良を抜け、 林道本宮山線で安田駐車場を経由し本宮山へ。 下りはおなじみの西寒多神社への道を下り、西寒多神社からは寒田川沿いを歩いて途中から敷戸台地へ。 こちらでは敷戸神社と敷戸磨崖仏へ参り国道10号に出たら大分大学前駅へ至りJRで中判田に戻る。 歴史と信仰を感じながらの楽しい歩き旅でした。
中判田駅初めて来た。 駅横の駐車場は12時間400円。
中判田駅初めて来た。 駅横の駐車場は12時間400円。
判田川沿いに「小嶽城跡」の石碑あり。 ここから小嶽城跡までは直線距離でも3.5kmくらいあります。
判田川沿いに「小嶽城跡」の石碑あり。 ここから小嶽城跡までは直線距離でも3.5kmくらいあります。
判田川を渡って、国道10号を走る時にいつも気になっていた小山上の神社へ。 こちらは【大原神社】。 誉田別命(応神天皇)と、高龗神、闇龗神を祀る。 大原神社で祭神が誉田別命とくると、日田の大原八幡宮が思い浮かぶが、関係あるのかな?
判田川を渡って、国道10号を走る時にいつも気になっていた小山上の神社へ。 こちらは【大原神社】。 誉田別命(応神天皇)と、高龗神、闇龗神を祀る。 大原神社で祭神が誉田別命とくると、日田の大原八幡宮が思い浮かぶが、関係あるのかな?
大原神社が鎮座する小山の尾根の先には戦没者墓地。
大原神社が鎮座する小山の尾根の先には戦没者墓地。
高江川沿いに下りてくると釈迦堂がある。 天保年間の水害・冷害などによる死者の冥福と住民の安寧を願い四国徳島の凝灰岩で釈迦如来像を刻んだとか。 でも石造が結んでいる定印が上品中生に見えるが・・・?
高江川沿いに下りてくると釈迦堂がある。 天保年間の水害・冷害などによる死者の冥福と住民の安寧を願い四国徳島の凝灰岩で釈迦如来像を刻んだとか。 でも石造が結んでいる定印が上品中生に見えるが・・・?
えとう内科横に「本宮山セラピーロード」の案内板がある。これに従って進みましょう。
えとう内科横に「本宮山セラピーロード」の案内板がある。これに従って進みましょう。
道端に小さなお堂。弘法大師様が祀られていた。古い集落はこういう石仏がいろんなところに祀られていてほっこりする。
道端に小さなお堂。弘法大師様が祀られていた。古い集落はこういう石仏がいろんなところに祀られていてほっこりする。
これから向かう本宮山を眺めながらあるく。
これから向かう本宮山を眺めながらあるく。
道の横に井戸。明治十四年十二月に掘られたもののようで、後の大正十二年にこれを記念して石碑を立てたようです。
道の横に井戸。明治十四年十二月に掘られたもののようで、後の大正十二年にこれを記念して石碑を立てたようです。
建礼門院之塔? 丁度お坊さんがお経をあげていたので確認できなかった。
建礼門院之塔? 丁度お坊さんがお経をあげていたので確認できなかった。
大きな木が目を引く米良の天満宮。 よく整備されたお社で、地元の方に大切にされてるのが分かります。
大きな木が目を引く米良の天満宮。 よく整備されたお社で、地元の方に大切にされてるのが分かります。
あれに見えるは小嶽城。 建物は個人がお住まいになっている民家です。
あれに見えるは小嶽城。 建物は個人がお住まいになっている民家です。
またまたお堂。 お大師さんが2体祀られてます。
またまたお堂。 お大師さんが2体祀られてます。
畑や民家が姿を消し山へと向かう。
畑や民家が姿を消し山へと向かう。
米良釈迦堂。 案内板によるとこの釈迦堂の前の道は本宮神社への参道であり、また村人の生活の道であった。
米良釈迦堂。 案内板によるとこの釈迦堂の前の道は本宮神社への参道であり、また村人の生活の道であった。
釈迦堂前にある道標。 「右一乃みや」「左山みち」か? 本宮神社が寒田の現西寒多神社へ遷宮すると、大野郡土師方面からの参拝者は河原内・立小野・板山をへてこの釈迦堂前に至り、右へ道をとり住床・旦野原・寒田へ参っていたそうだ。
釈迦堂前にある道標。 「右一乃みや」「左山みち」か? 本宮神社が寒田の現西寒多神社へ遷宮すると、大野郡土師方面からの参拝者は河原内・立小野・板山をへてこの釈迦堂前に至り、右へ道をとり住床・旦野原・寒田へ参っていたそうだ。
米良釈迦堂から坂道を登っていくと、展望台の看板。立ち寄ってみましょう。
米良釈迦堂から坂道を登っていくと、展望台の看板。立ち寄ってみましょう。
作業道を進んだ先には高江の団地を見下ろす展望台。
作業道を進んだ先には高江の団地を見下ろす展望台。
林道本宮山線を野鳥の声を聴きながら歩く。ほどなく「御旅所登り口」の標識。 ここから登った方が本宮山は近いが、安田駐車場の方から登ってみたいのでこのまま林道を進む。
林道本宮山線を野鳥の声を聴きながら歩く。ほどなく「御旅所登り口」の標識。 ここから登った方が本宮山は近いが、安田駐車場の方から登ってみたいのでこのまま林道を進む。
安田駐車場に来た。セラピーロードとして整備されているので駐車場とトイレあり。
安田駐車場に来た。セラピーロードとして整備されているので駐車場とトイレあり。
上の駐車場にベンチがあったのでここで昼食。
上の駐車場にベンチがあったのでここで昼食。
歩きやすいセラピーロードを登って本宮神社へ。
歩きやすいセラピーロードを登って本宮神社へ。
本宮神社の雰囲気は好きです。
本宮神社の雰囲気は好きです。
本宮神社前の磐座「石峰殿」。 確実になにものかがおわします。
本宮神社前の磐座「石峰殿」。 確実になにものかがおわします。
一応本宮山山頂も立ち寄る。
一応本宮山山頂も立ち寄る。
眺め良いね。
眺め良いね。
西寒多神社に下る前に武内社へご挨拶。
西寒多神社に下る前に武内社へご挨拶。
猫平展望台。ここの眺めも素晴らしい。 杉の植林が伐採されて一気に見晴らしがよくなった。
猫平展望台。ここの眺めも素晴らしい。 杉の植林が伐採されて一気に見晴らしがよくなった。
御旅所に建つ「八紘一宇」の石碑。
御旅所に建つ「八紘一宇」の石碑。
西寒多分れと呼ばれる分岐。 右に進むと登ってきた林道の「御旅所登り口」に出る。 今日は左の西寒多神社側へ。
西寒多分れと呼ばれる分岐。 右に進むと登ってきた林道の「御旅所登り口」に出る。 今日は左の西寒多神社側へ。
山道をちゃっちゃか下ってため池へ。
山道をちゃっちゃか下ってため池へ。
西寒多神社に下りてきた。 参拝客が途切れずやってくる。
西寒多神社に下りてきた。 参拝客が途切れずやってくる。
寒田川沿いを歩く。
寒田川沿いを歩く。
旧道らしき道を歩くと民家横に石仏が祀られている。 左の石殿は大日如来とお大師さん。右の小祠は地蔵菩薩。
旧道らしき道を歩くと民家横に石仏が祀られている。 左の石殿は大日如来とお大師さん。右の小祠は地蔵菩薩。
佐藤速人翁頌徳碑。 今の西寒多神社の藤棚のあたりには、かつて酒造場があったそうで、その酒蔵(佐藤酒造)の主だった人物のようです。 大正元年に酒造場を移転し土地を神社に寄進したようで、後にも狛犬などの寄進が記録されている。
佐藤速人翁頌徳碑。 今の西寒多神社の藤棚のあたりには、かつて酒造場があったそうで、その酒蔵(佐藤酒造)の主だった人物のようです。 大正元年に酒造場を移転し土地を神社に寄進したようで、後にも狛犬などの寄進が記録されている。
西寒多神社の御神幸所。 なのだが、なにやら「寒田住民の会」と神社の神職は揉めているようで、宮司の解任を求める幟や横断幕がこの場所のほか道中のところどころに掲げられていた。 長らく協力してきた神社と住民が対立するのは忍びないので何とか和解できないものか。
西寒多神社の御神幸所。 なのだが、なにやら「寒田住民の会」と神社の神職は揉めているようで、宮司の解任を求める幟や横断幕がこの場所のほか道中のところどころに掲げられていた。 長らく協力してきた神社と住民が対立するのは忍びないので何とか和解できないものか。
真宗大谷派の西福寺。 立派なお寺です。
真宗大谷派の西福寺。 立派なお寺です。
西福寺前の道からまっすぐ進むと「地蔵森」と呼ばれる場所へ。おおきな椋木の根元に六地蔵石幢(胴部が欠損)が安置されている。葉が茂ると森のようにこんもりと見えるらしい。
西福寺前の道からまっすぐ進むと「地蔵森」と呼ばれる場所へ。おおきな椋木の根元に六地蔵石幢(胴部が欠損)が安置されている。葉が茂ると森のようにこんもりと見えるらしい。
寒田川を渡って敷戸の台地へ。
寒田川を渡って敷戸の台地へ。
こちらにも六地蔵の石幢。 「奉順礼四国西国霊場」 「元文三戊牛天卯月吉日」
こちらにも六地蔵の石幢。 「奉順礼四国西国霊場」 「元文三戊牛天卯月吉日」
敷戸自治区公民館前の道を左折し登ると臨済宗妙心寺派の「安楽山清泰禅寺」
敷戸自治区公民館前の道を左折し登ると臨済宗妙心寺派の「安楽山清泰禅寺」
こちらのお寺、石仏が立ち並び、岩壁に掘られた仏龕にもきれいに石仏が納められたりしてかなり手入れがしっかりしている。
こちらのお寺、石仏が立ち並び、岩壁に掘られた仏龕にもきれいに石仏が納められたりしてかなり手入れがしっかりしている。
更に坂道を登っていくと【敷戸神社】 応神天皇を祀る。 由来書きによると往古は坂津免大明神と呼ばれ西寒多大神とは兄弟だとされている。この神が乗る鹿が当地で足を痛め、戸板を敷いて村人が神楽を奏したので「敷戸」の地名になったとか。 江戸時代までは下の清泰寺が社僧として神社を管理していた。
更に坂道を登っていくと【敷戸神社】 応神天皇を祀る。 由来書きによると往古は坂津免大明神と呼ばれ西寒多大神とは兄弟だとされている。この神が乗る鹿が当地で足を痛め、戸板を敷いて村人が神楽を奏したので「敷戸」の地名になったとか。 江戸時代までは下の清泰寺が社僧として神社を管理していた。
この辺りに「敷戸石仏」があるはずなので探してみる。石仏の案内板を見つけ進んでみる。
この辺りに「敷戸石仏」があるはずなので探してみる。石仏の案内板を見つけ進んでみる。
え・・・?この梯子の下? なんか下に車が停まってるの見えますが。
え・・・?この梯子の下? なんか下に車が停まってるの見えますが。
この梯子を下りてきました。
この梯子を下りてきました。
梯子を下りた先には岩壁に刻まれた五輪塔群。
梯子を下りた先には岩壁に刻まれた五輪塔群。
五輪塔群の奥には阿弥陀三尊だとされる磨崖仏。かなり風化が進み、輪郭がかろうじてわかる程度しか残っていない。 ここをはじめ、敷戸神社から清泰寺辺りまで、かつては信仰の場として栄えたんでしょうね。最盛期はどんな姿だったんだろう。
五輪塔群の奥には阿弥陀三尊だとされる磨崖仏。かなり風化が進み、輪郭がかろうじてわかる程度しか残っていない。 ここをはじめ、敷戸神社から清泰寺辺りまで、かつては信仰の場として栄えたんでしょうね。最盛期はどんな姿だったんだろう。
国道10号に下る前にある秋葉社。 天保十三年に火伏を願って祀られたそうで、平成十年に国道10号拡幅でこの場所に遷された。
国道10号に下る前にある秋葉社。 天保十三年に火伏を願って祀られたそうで、平成十年に国道10号拡幅でこの場所に遷された。
国道10号に出て大分大学前駅まで。 体力的には中判田まで歩けなくもなかったが、ぽつぽつ雨も降ってきたことだしここでやめておく。 後はJRで中判田駅に戻る。
国道10号に出て大分大学前駅まで。 体力的には中判田まで歩けなくもなかったが、ぽつぽつ雨も降ってきたことだしここでやめておく。 後はJRで中判田駅に戻る。
中判田駅初めて来た。 駅横の駐車場は12時間400円。
判田川沿いに「小嶽城跡」の石碑あり。 ここから小嶽城跡までは直線距離でも3.5kmくらいあります。
判田川を渡って、国道10号を走る時にいつも気になっていた小山上の神社へ。 こちらは【大原神社】。 誉田別命(応神天皇)と、高龗神、闇龗神を祀る。 大原神社で祭神が誉田別命とくると、日田の大原八幡宮が思い浮かぶが、関係あるのかな?
大原神社が鎮座する小山の尾根の先には戦没者墓地。
高江川沿いに下りてくると釈迦堂がある。 天保年間の水害・冷害などによる死者の冥福と住民の安寧を願い四国徳島の凝灰岩で釈迦如来像を刻んだとか。 でも石造が結んでいる定印が上品中生に見えるが・・・?
えとう内科横に「本宮山セラピーロード」の案内板がある。これに従って進みましょう。
道端に小さなお堂。弘法大師様が祀られていた。古い集落はこういう石仏がいろんなところに祀られていてほっこりする。
これから向かう本宮山を眺めながらあるく。
道の横に井戸。明治十四年十二月に掘られたもののようで、後の大正十二年にこれを記念して石碑を立てたようです。
建礼門院之塔? 丁度お坊さんがお経をあげていたので確認できなかった。
大きな木が目を引く米良の天満宮。 よく整備されたお社で、地元の方に大切にされてるのが分かります。
あれに見えるは小嶽城。 建物は個人がお住まいになっている民家です。
またまたお堂。 お大師さんが2体祀られてます。
畑や民家が姿を消し山へと向かう。
米良釈迦堂。 案内板によるとこの釈迦堂の前の道は本宮神社への参道であり、また村人の生活の道であった。
釈迦堂前にある道標。 「右一乃みや」「左山みち」か? 本宮神社が寒田の現西寒多神社へ遷宮すると、大野郡土師方面からの参拝者は河原内・立小野・板山をへてこの釈迦堂前に至り、右へ道をとり住床・旦野原・寒田へ参っていたそうだ。
米良釈迦堂から坂道を登っていくと、展望台の看板。立ち寄ってみましょう。
作業道を進んだ先には高江の団地を見下ろす展望台。
林道本宮山線を野鳥の声を聴きながら歩く。ほどなく「御旅所登り口」の標識。 ここから登った方が本宮山は近いが、安田駐車場の方から登ってみたいのでこのまま林道を進む。
安田駐車場に来た。セラピーロードとして整備されているので駐車場とトイレあり。
上の駐車場にベンチがあったのでここで昼食。
歩きやすいセラピーロードを登って本宮神社へ。
本宮神社の雰囲気は好きです。
本宮神社前の磐座「石峰殿」。 確実になにものかがおわします。
一応本宮山山頂も立ち寄る。
眺め良いね。
西寒多神社に下る前に武内社へご挨拶。
猫平展望台。ここの眺めも素晴らしい。 杉の植林が伐採されて一気に見晴らしがよくなった。
御旅所に建つ「八紘一宇」の石碑。
西寒多分れと呼ばれる分岐。 右に進むと登ってきた林道の「御旅所登り口」に出る。 今日は左の西寒多神社側へ。
山道をちゃっちゃか下ってため池へ。
西寒多神社に下りてきた。 参拝客が途切れずやってくる。
寒田川沿いを歩く。
旧道らしき道を歩くと民家横に石仏が祀られている。 左の石殿は大日如来とお大師さん。右の小祠は地蔵菩薩。
佐藤速人翁頌徳碑。 今の西寒多神社の藤棚のあたりには、かつて酒造場があったそうで、その酒蔵(佐藤酒造)の主だった人物のようです。 大正元年に酒造場を移転し土地を神社に寄進したようで、後にも狛犬などの寄進が記録されている。
西寒多神社の御神幸所。 なのだが、なにやら「寒田住民の会」と神社の神職は揉めているようで、宮司の解任を求める幟や横断幕がこの場所のほか道中のところどころに掲げられていた。 長らく協力してきた神社と住民が対立するのは忍びないので何とか和解できないものか。
真宗大谷派の西福寺。 立派なお寺です。
西福寺前の道からまっすぐ進むと「地蔵森」と呼ばれる場所へ。おおきな椋木の根元に六地蔵石幢(胴部が欠損)が安置されている。葉が茂ると森のようにこんもりと見えるらしい。
寒田川を渡って敷戸の台地へ。
こちらにも六地蔵の石幢。 「奉順礼四国西国霊場」 「元文三戊牛天卯月吉日」
敷戸自治区公民館前の道を左折し登ると臨済宗妙心寺派の「安楽山清泰禅寺」
こちらのお寺、石仏が立ち並び、岩壁に掘られた仏龕にもきれいに石仏が納められたりしてかなり手入れがしっかりしている。
更に坂道を登っていくと【敷戸神社】 応神天皇を祀る。 由来書きによると往古は坂津免大明神と呼ばれ西寒多大神とは兄弟だとされている。この神が乗る鹿が当地で足を痛め、戸板を敷いて村人が神楽を奏したので「敷戸」の地名になったとか。 江戸時代までは下の清泰寺が社僧として神社を管理していた。
この辺りに「敷戸石仏」があるはずなので探してみる。石仏の案内板を見つけ進んでみる。
え・・・?この梯子の下? なんか下に車が停まってるの見えますが。
この梯子を下りてきました。
梯子を下りた先には岩壁に刻まれた五輪塔群。
五輪塔群の奥には阿弥陀三尊だとされる磨崖仏。かなり風化が進み、輪郭がかろうじてわかる程度しか残っていない。 ここをはじめ、敷戸神社から清泰寺辺りまで、かつては信仰の場として栄えたんでしょうね。最盛期はどんな姿だったんだろう。
国道10号に下る前にある秋葉社。 天保十三年に火伏を願って祀られたそうで、平成十年に国道10号拡幅でこの場所に遷された。
国道10号に出て大分大学前駅まで。 体力的には中判田まで歩けなくもなかったが、ぽつぽつ雨も降ってきたことだしここでやめておく。 後はJRで中判田駅に戻る。