生名島 岩城橋 岩城島

2022.04.19(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 30
休憩時間
51
距離
14.0 km
のぼり / くだり
612 / 613 m
5 31

活動詳細

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第72 会因島・ふるさとの歴史を学ぶ会定例会。第1部18名。第2部19名参加。11時30分土生公民館集合。11時50分土生港発。 第72回資料https://2623crystal.blogspot.com/2021/06/72.html 第71回一ノ城跡https://yamap.com/activities/16163496

瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 土生公民館から歩きます。
土生公民館から歩きます。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) フェリー代、片道70円。11時50分土生港発。
フェリー代、片道70円。11時50分土生港発。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 生名島、立石山。
生名島、立石山。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 麓にある巨石信仰のシンボル。元は海の中?
麓にある巨石信仰のシンボル。元は海の中?
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 立石港桟橋待合所で昼食。ナティーク城山が見えます。
立石港桟橋待合所で昼食。ナティーク城山が見えます。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 昼食後歩行開始。南へ。
昼食後歩行開始。南へ。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) その先、右折。
その先、右折。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 県道173号線。
県道173号線。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 岩城テックのクレーンが見えています。
岩城テックのクレーンが見えています。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) ウグイスも鳴き喜ぶや橋の上
ウグイスも鳴き喜ぶや橋の上
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 左の島は赤穂根島。
左の島は赤穂根島。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 新しき塗料に光る岩城橋
新しき塗料に光る岩城橋
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 左:生名島、中:佐島、右:赤穂根島。
島々の緑映して春の海
左:生名島、中:佐島、右:赤穂根島。 島々の緑映して春の海
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 積善山。
積善の桜去りしも橋に映え
積善山。 積善の桜去りしも橋に映え
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 生口橋、因島方面。
海越えてかなたにかすむ因島
生口橋、因島方面。 海越えてかなたにかすむ因島
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 積善山と岩城テック。
積善山と岩城テック。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 岩城島。
岩城島。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 佐島。右、手前は赤穂根島か。
佐島。右、手前は赤穂根島か。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 生名島の右に佐島が見えています。
生名島の右に佐島が見えています。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 島々を繋ぐ橋脚人結ぶ
島々を繋ぐ橋脚人結ぶ
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 右奥が奥山。
右奥が奥山。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 後ろ 左:竜王山、中:青影山、右:風呂山。
後ろ 左:竜王山、中:青影山、右:風呂山。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 後ろ:奥山。
後ろ:奥山。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 新しき橋の向こうに春の空
新しき橋の向こうに春の空
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 赤穂根島。
赤穂根島。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 左から、山伏山、竜王山、青影山、風呂山。
青影も奥山のぞむ春霞
左から、山伏山、竜王山、青影山、風呂山。 青影も奥山のぞむ春霞
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 後ろ:奥山。
後ろ:奥山。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 後ろ:弓削島。
後ろ:弓削島。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 大日閣。中に大日如来と不動明王が祀られています。
大日閣。中に大日如来と不動明王が祀られています。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) 立石山。
立石山。
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) ふるさとの史跡をたずねて(241)より。

因島船渠碑(尾道市因島土生町平木区)

 因島警察署(現在は尾道警察署因島分庁舎)の南西は因島病院の駐車場でかつて日立会館のあったところだ。

 その日立会館の海側に無造作に自転車を駐めて映画を見に行った。たいていが定期考査の最終日の午後だった。「猿の惑星」「007は二度死ぬ」「天地創造」「華麗なる賭け」「ドクトル・ジバゴ」、そして幾つかのマカロニ・ウエスタンなどなど。半年か一年遅れのものだったが今から思えば悪くない選択だった。と言っても自分で選んで見たのではない。メダカが群れるように、合流してついて行っただけである。というような50年以上も昔のことを思い出しながら歩いていると、宮島さんの前に巨大な石碑があった。


 戀(恋)田清三郎、弓場定松、橘富太郎の三氏が明治29年に因島船渠を作ったと書いてある。この石碑の文字は大正5年9月に書かれている。

 一方、昭和43年に発行された『因島市史』では確定できるような記録がないと書いてある。大正5年なら関係者の記憶や、多くの記録もあったことだろうから間違ってなかろうと思う。

 ところで、この巨大な石碑は50年ほど前もここにあったのだろうか。まったく記憶にないということは、まったくこういうものに興味がなかったということでもあるが。

https://2623crystal.blogspot.com/2021/10/241-250.html
ふるさとの史跡をたずねて(241)より。 因島船渠碑(尾道市因島土生町平木区)  因島警察署(現在は尾道警察署因島分庁舎)の南西は因島病院の駐車場でかつて日立会館のあったところだ。  その日立会館の海側に無造作に自転車を駐めて映画を見に行った。たいていが定期考査の最終日の午後だった。「猿の惑星」「007は二度死ぬ」「天地創造」「華麗なる賭け」「ドクトル・ジバゴ」、そして幾つかのマカロニ・ウエスタンなどなど。半年か一年遅れのものだったが今から思えば悪くない選択だった。と言っても自分で選んで見たのではない。メダカが群れるように、合流してついて行っただけである。というような50年以上も昔のことを思い出しながら歩いていると、宮島さんの前に巨大な石碑があった。  戀(恋)田清三郎、弓場定松、橘富太郎の三氏が明治29年に因島船渠を作ったと書いてある。この石碑の文字は大正5年9月に書かれている。  一方、昭和43年に発行された『因島市史』では確定できるような記録がないと書いてある。大正5年なら関係者の記憶や、多くの記録もあったことだろうから間違ってなかろうと思う。  ところで、この巨大な石碑は50年ほど前もここにあったのだろうか。まったく記憶にないということは、まったくこういうものに興味がなかったということでもあるが。 https://2623crystal.blogspot.com/2021/10/241-250.html
瀬戸内しまなみ海道(南エリア) うどん屋「夕凪亭」。本ページ夕凪亭別館とは関係ありません。
うどん屋「夕凪亭」。本ページ夕凪亭別館とは関係ありません。

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