活動データ
タイム
05:24
距離
9.7km
のぼり
722m
くだり
720m
活動詳細
すべて見るこんにちは 波田須です😀 雨☔予報だったのに、朝起きたら、地面は濡れ、雲はあるけど、天候は回復の兆し。 出遅れたけど、近場でどこかに行きたいなと山⛰を検索。 伊勢方面なら、天気の回復が早いかもと思い、久しぶりに朝熊ヶ岳に向かいました🚙 今日の朝熊ヶ岳⛰は、快晴、風は微風で程よい感じ、気持ちよく山登りができました。😀 5月末ころになったら、朝熊ヶ岳もヤマビルさんがたくさんでてくるので、今、行けてよかった😀 晴天の下、歴史探訪も楽しんできました。 朝熊ヶ岳って、ほんとに歴史いっぱい。国の史跡である朝熊山経塚群にもよってきました。🧐 さて、今日は、依然から気になっていた山頂の金剛證寺八大龍王社。 お寺なのに神社? ということで、平安時代末期から全国的に流行り出した神仏習合、本地垂迹思想などの痕跡を探しながら朝熊ヶ岳に登ってきました😀 【八大龍王社と金剛證寺】 朝熊ヶ岳の近くにある金剛證寺は伊勢神宮の鬼門の方角を守るお寺として有名ですね。 今は、臨済宗のお寺ですが、もともとは真言密教のお寺でした。お寺は由緒によれば空海により創建とありますが、空海の伝説はあちこちにありますのであまり真に受けることはできません。 しかし、仏像なども平安時代に遡るものがあるため、創建は古いかもですね。😀 朝熊ヶ岳の山頂にある八大龍王社。 八大龍王は、いろいろなとらえ方がありますが、密教の世界では仏の守護神で、寺の鬼門を守るという考えがあります。朝熊ヶ岳の山頂にある八大龍王社は金剛證寺の鬼門の北東方面にあたるため、この金剛證寺を守るために祀られたのでしょうね。😀 詳しくは調べてないけど、金剛證寺がまだ真言密教の寺であるときに、八大龍王社は祀られたのかも。 山頂にいったあとは、朝熊山経塚群に寄りました。 【朝熊山経塚群】 経塚ってわかりますか? 経塚とは仏教の経典や願文を陶器などの筒(陶経筒)に入れて土中に納めた遺跡のことです。具体的には、穴を掘って石を敷き詰めた空間に、副葬品と共にお経をいれた筒を据え置き、その上に大きな石で蓋をしたものが多いです。 人のお墓ではありませんよ。😀 平安時代末期ころ、末法思想により流行った風習です。世の中の乱れから、経典や願文を埋経することで現世の利益を願うことがたくさん行われました。 ちょうど、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の頃の話ですね。 ここ、金剛証寺の裏山、経ヶ峰の東斜面にある朝熊山経塚群でも、たくさんの経塚がみつかっております。国の史跡に指定されていて、一~三号経塚の出土品は国宝に指定されています。 国宝って、国の歴史において1級の資料ですよね😵すごい〜 朝熊山経塚群が国の史跡になるほど、重要なのは、出土した国宝の出土品から当時の神仏の考えを切実に経塚から伺えるからです。 つまり、世の中の不安を背景にした神仏習合や本地垂迹思想です。 明治期に、暴風雨により承安三年(1173)銘の陶製経筒が出土(一号経塚)し、経塚の存在 が知られるようになりました。その後、昭和34年の伊勢湾台風の倒木整理の際に、平治元年(1159)名の経筒を含む2基の経塚遺物が発見され、その重要性が注目されたんです。🧐 朝熊山経塚群は、約40基の経塚が確認されており、保元より文治の平安末期の約30年間に集中的に造られたものがほとんどのようです。 国宝になった陶製経筒には承安三年八月十一日の日付と 伊勢大神宮権禰宜荒木田時盛の奉納者名があります。 これはどういうことかというと、 伊勢神宮の荒木田神主などの神に仕える神祇官の層にもこういった仏教に現世利益を願いお経などを埋納する風習があったということです。 当時の伊勢神宮のトップが仏にですよ😵 このことはとても世の中が不安な様子を切実に反映しており、神仏習合や本地垂迹思想を考えてる上でとても興味深いですね。🧐 あっ、朝熊山経塚群の石塔は、発掘後、経塚の場所がわかるようにと、寄進者によって石塔が置かれたもので、本来の経塚そのものには関係しません。 古い形態の石塔なのに、なんか形が変で、個性的で違和感を感じていました。やっぱ、家に帰って調べてみたらそういうことでした。 ともあれ、歴史散策をいっぱい楽しみ、朝熊山(スカイライン展望台)へ。 やはり、今日、景色、さいこーでした😀
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