7️⃣百番台に[七]のつく山へのぼるため滋賀の「七七頭ヶ岳」へ。 しかし、ひとつの山に登るためだけに片道150キロを走るのももったいないので、周辺で適当な軽く歩ける山を探してみると… あった👀 昭和世代の方ならほぼご存知であろう、 「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」のCM。 最近はあまり聞かないキャッチフレーズと同名の山を発見。これに登ってみよう。 🔖……株式会社山本山 創業元禄3年、海苔とお茶を製造している食品メーカーで『日本最古の煎茶商』。 玉露を発明したのもこの会社。🍵 しかし、今回の[山本山]とは一切関係ない。 ・今回のピーク: 山本山・西野山・湖北丸山・賤ヶ岳 ※くわしいメモを写真に追記
今日はこの山本山からはじまり、三つの山と三つの峠をこえて、賤ヶ岳へいたる。
西野山陵の南端、朝日を浴びる朝日神社からスタート。 山本山は、琵琶湖のどこから見てもすぐにわかることから「見当山」ともいわれ、琵琶湖を見渡す重要な位置にあることから、平安時代から戦国時代にかけて城が築かれた。
🔖----------山本山城(源平期) 平安時代後期、 源頼義の三男・新羅三郎義光の系譜をひく源 (山本) 義定、義経が築城したと伝わる。山本義経は源平争乱の時、平家打倒の旗を上げましたが、治承4年(1180) 12月 16日に平知盛らに攻められ落城。
山本義経はその後同じ源氏の木曽義仲とともに京都へ攻め上り平氏を西国に落とし、その功により伊勢の伊賀国司に任ぜられる。寿永3年(1184) 1月、 木曽義仲は源頼朝に攻められ粟津で討ち死にし山本家は没落した。 …まさに、栄枯盛衰。
🔖----------山本山城(戦国時代) 戦国時代には浅井氏の家臣阿閉淡路守が守備。 浅井氏本拠小谷城を守る重要な場所にあるが、木下秀吉の調略によって阿閉淡路守は開城。この裏切りによって小谷城包囲は完成し、浅井氏滅亡の契機となる。 写真は、登りながら振り返っての景色。 左の、木枝に遮られて見えるいるのが小谷城。
山本山城 縄張図。 現在残る遺構は戦国期のもの。 登山道は3~2~主郭→4~9へと抜ける。
山本山城① 3郭。ここが大手口だった。
山本山城② 二郭
奥琵琶湖から比良山地、高島方面がよく見える。
湖面に浮かぶ竹生島。良い。
山本山城③ 主郭。 四角く保存状態のよい土塁に囲まれた削平地。 ここが山本山の山頂。 ほんとうなら山本山の海苔でも食べたいところだが、準備を忘れた💧
山本山城④ 堀切A
城からは、奥琵琶湖が美しく見える。
山本山城⑤ さらにいくつかの曲輪と堀切をとおり、
山本山城⑥ 主要部端の、土塁で守られた9郭の虎口。ここまでが山本山城主郭部。 城鑑賞はここまで。
で、ここからは古墳エリア。
🔖----------古保利古墳群 琵琶湖の北端、塩津湾に面する細長い丘陵上に分布する一大古墳群。 時期は古墳時代初頭 (3世紀代)から終末期(7世紀代飛鳥時代)であり、分布図のように一部を除いて丘陵稜線上に約3㎞にわたって築造されている。 総数は130基以上。群集墳や後・終末期古墳を除き、主な古墳が自然地形にしたがって列状に並ぶ「古墳博物館」。 前方後円墳・前方後方墳・双方中方墳・帆立貝式・円墳・方墳といった古墳時代に造られた基本的な形の古墳がすべてそろっており、 首長墓と考えられる前方後円墳・前方後方墳も現状で各8基、計16基も含まれている。
右の丘陵は、ほぼ古墳。全国的にもこれほど質量ともに充実した場所は激レア。 古墳好きにはたまらない道だろう。
ときどき山城地形も。
熊野越。 湖側の集落の子供たちは、ここを通り山を越えて、小学校に通っていたらしい🎒
こんな感じ。 左の片山から、右の熊野へ。 忘れ物をすると、つらい。
進みつづけると、 「西野水道▼この下」の表示。 このしたを西野水道がとおっている。
※転載 🔖----------西野水道(にしのずいどう) 西野の西山という山の麓に、琵琶湖へ向かって貫かれている高さ約2m、幅約1.5m、長さ約250mの排水用の手堀りの岩穴。今から170年前、たびたび洪水に見舞われていた西野地区を洪水から守るために、充満寺の第11世・恵荘上人の発起により行われた土木事業。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけてノミだけで掘り抜かれた。
🚶てくてく
西野峠。
開始後二時間。来し方を振り返る。 あの先端がスタート地点。かなり進んぞ。
ふたつめのピーク、西野山 山頂。
小さな山頂プレート。
引き続き、古墳のよこを歩き続ける。 見えるものすべてが古墳と言っても、過言ではない。 これほど古墳が連なる道は、はじめて。
葉の落ちた見やすい道だが、もうすく葉が茂り、こんな景色もしばらくお預けになる。
三つ目のピーク 湖北丸山。
湖北丸山の山頂プレート。
眼前に賤ヶ岳。山頂の木がない部分が、ゴールの賤ヶ岳砦。
🚶てくてく。 うーん、きれいな湖面♪
名前は表示されていないが、丸山と賤ヶ岳のあいだの峠。 仮に「山梨子越え」とでもしておこう。
賤ヶ岳リフトが見えてきた。
が、残念ながら3/28時点ではまだ休止中。
ここからも、奥琵琶湖がきれいに望める。 しかし、こうしてみると、琵琶湖の最奥と、
日本海・敦賀市につながる疋田をへだてるのは峠ひとつ。なんか繋げられそうな気がする。
じっさい、敦賀と琵琶湖経由で京都まで繋ぐ計画は、平清盛の息子重盛のものを皮切りに何度も立てられた。もし実現・完成していたら、今とはまったく違う交通網が出来ていただろう。 ここにパナマ式運河が作られている図を想像すると、ロマン♪
賤ヶ岳砦へ。
来し方を振り返る。歩いてきた尾根が、きれいに連なって見える。
視線をずらすと、うつくしい琵琶のうみ。
奥に伊吹山。 浅井氏の小谷城と、それに相対する織田勢の虎御前山。小谷城攻防戦の全貌を一望。
賤ヶ岳砦 山頂の全景。 360度展望。解放感、満点♪
南側には、無名戦士の像と、来し方の西野丘陵。広大に広がる琵琶湖と湖東平野。
北西の山並み。あの向こうは日本海。
北側には神秘の湖、余呉湖。 この後登る七々頭ケ岳も見えているのかな?
こちらは南西。 うーん、うつくしい。
冬の鮮やかな青とは違う。 ぼんやり霞んだ春ならではの、やさしい青。
「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」 まさに、その情景。
たっぷり琵琶湖ブルーを堪能して、下山。 くだりはリフトを使いたかったが、シーズンオフのため休止中。 しようがないので、登山道を歩いておりる。
↙️🚶てくてく。
リフト上駅から15分で、リフト下駅到着。
下りながら呼んだ井香タクシーがすでに到着している。あれで登山口へ戻り、メインイベントの七々頭ケ岳へ向かおう🚗
城鑑賞に古墳あるき、余呉湖一周行のときはできなかった琵琶湖をみながらの尾根歩きもできて、見どころ多い道でした。 …しかし、湖のフチそのものの、面白い地形。どうやって出来たのかな?
この活動日記で通ったコース
山本山-熊野越-西野峠-西野山-湖北丸山-賤ヶ岳 縦走コース
- 04:35
- 9.1 km
- 755 m
- コース定数 18