活動データ
タイム
07:35
距離
20.6km
のぼり
944m
くだり
903m
活動詳細
すべて見る足利尊氏に従い、途中は足利直義に味方したものの順調に出世する畠山国清。細川清氏と共に仁木義長を失脚させるも、足利義詮と対立。関東へ勝手に帰ったら京都が失陥し面目を失う。足利基氏にも嫌われ、修善寺城に立て籠もり謀叛を起す。二十万とも言われる鎌倉公方足利基氏の軍勢を相手に翌年降伏。その後放浪し、大和で窮死したとか。 そんな事とは関係無く、修善寺駅近くの柏窪(柏久保)城からスタート。狩野介(工藤)茂光が築城したと言われるお城です。工藤茂光は、伊東祐親の縁者でもある頼朝の家臣。柏窪城は足利茶々丸を滅ぼした伊勢新九郎が城主狩野道一を攻略し、韮山の支城として利用し様です。主郭とおぼしき曲輪から、斜めの虎口まで大見川方向に土塁が伸びている様子など、遺構が良く残ってました。 次いで修善寺城へ。小田原征伐時に織田信雄が在城、昭和にロープウェイが建設されたり、テレビアンテナが立ったりと遺構は不明瞭。 鎌倉末期と、戦国期の縄張りを比較すると技術の進歩を感じます。 後は修善寺観光のはずが、八十八ヶ所巡りに奥の院とひたすらに歩く。どうしてこうなった。 修善寺には、蒲殿(範頼)や鎌倉殿(2代将軍頼家)、安達盛長(鎌倉殿の十三人の1人)の墓所や、謎の義経像など今年の大河関連も。
メンバー
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