活動データ
タイム
05:40
距離
11.2km
のぼり
1202m
くだり
1210m
活動詳細
すべて見るまずは武尊山の山名の謎を調べてみよう(* ̄ー ̄) 武尊山の祭神は日本武尊だが、遥か古の時代は穂高見命であった(*´ー`*) 武尊とは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のことで大和の英雄の名を冠する珍しい山名だ(*´-`)だがしかし、ホタカ山が武尊山になったのは江戸時代のことでそれ以前は穂高山(保鷹山)だったそうな(*´ー`*) この山にも日本武尊伝説が残る(*´-`)一つに、この山を根城としていたアヅミ族を平定した際に首領夫人が逃走の果て亡くなりその霊魂が宿った石が現花咲集落にある花咲石だという(* ̄ー ̄)他に、武尊沢下流の裏見の滝では日本武尊が産気づき看護空しく亡くなった妻を思い身を清めていたら滝が大きく鳴動し妻の怨みかと手厚く弔ったという言い伝えがある(*´-`) さて、先述したアヅミ族がホタカを穂高たらしめたのだろう(* ̄ー ̄)アヅミ族は遥か古に海を渡り大陸と日本を往来した一族で、日本に水耕稲作や大陸からの移住者を運んだ海運一族だ(*´ー`*)あらゆる土地に移住者の居留地を作り稲作を広めたという(*´-`)アヅミ族の主祭神は海の神ワタツミ、そしてその子、ホタカノミコトを祖神とする(* ̄ー ̄)このホタカノミコト、実は北アルプス穂高岳に祀られる神様だ( *゚A゚)長野県安曇野市もまたアヅミ族ゆかりの地であり、広く移住者を広めたアヅミ族が上州ホタカ山に居留地を構えてホタカ山にホタカノミコトを祀るようになったのではないかとボクは推測する(*´ー`*) さて、日本武尊は実在しなかったのが定説であるが当時の朝廷は大和の権力を誇示したかったのだろう、日本武尊伝説は各地の山に残り、代表的なのが筑波山、両神山、奥多摩御岳山、秩父三峰山、雁坂峠、そして終焉の山、伊吹山だろうか(* ̄ー ̄)日本人は山に信仰を求めるものだが、かつての修験者が不動明王にも似た日本武尊を敬い上州ホタカ山に武尊の名を冠したのではないかという説である(*´ー`*) 今では山麓に30もの武尊神社があるとされる(*´-`)Google Mapで簡単に検索するだけでも20弱の武尊神社が武尊山の東西南北にあり地図を眺めていると剣ヶ峰、天狗尾根、不動ヶ岳、賽の河原など、山岳信仰を思わせる地名が残る(* ̄ー ̄)だがそれも江戸時代からのことでそれ以前はホタカノミコトを祀る穂高山であった(*´-`) ちなみに、穂高の意味は高い峰だ(* ̄ー ̄)峰は稲穂の先と同意だそうだが、広大で高い峰の連なる独立峰のホタカ山に稲作を広めたアヅミ族が稲作で育つ穂に見立てたのではないだろうか、北アルプスの穂高岳といい、そう考えるとロマンがある(*´ω`*) 改めて、武尊山山行に戻る(*´ー`*)今回の山行ほど、初めての山としての登山口を悩んだことはないだろう( ´-ω-)先述した通り武尊山麓には東西南北に武尊神社が点在する( *゚A゚)登り口も多く、特に武尊神社登山口、花咲集落の登山口は由緒正しき修験のルートだろう(*´ω`*)最初の登山は山岳信仰を元に辿りたい(*´-`)花咲集落からか武尊沢武尊神社からか、大きく悩んだが当日の天気予報が今回の登山口を決めさせた(* ̄ー ̄) この日は連日発生した台風の影響で強風、大雨の予報だ(*´-`)雨はよい、だが強風となると上がりきった先の稜線上は危ない( ´-ω-)最も安全、樹林帯の中を進むとされる武尊神社登山口を選ぶ(ノ゚Д゚)ノ スタートは宝台樹キャンプ場先にある武尊神社登山口から(* ̄∇ ̄)ノ武尊沢沿いに林道をまず50分ほど進むと10台ほど停められる駐車場に行き着く(*´-`)最初は雨具を着込んでここまで歩いたが、暑い( ̄▽ ̄;)どうせこの先は樹林帯だと雨具を脱ぎ雨に打たれることを選んだ(´ω`*) ここからさらに林道は悪路になりゴロゴロとした岩に足をとられながら沖武尊、剣ヶ峰との分岐に着けば左手に進むε=(ノ・∀・)ツやっと山登りができると安堵の気持ちが長い林道歩きだったことを物語る( ´-ω-) 武尊沢から離れ山肌を九十九折に、巻くように高度を上げていけば手小屋沢避難小屋と書かれた分岐点となる(* ̄ー ̄)雨は容赦なく降り続け、ここまで進む間に雨足はさらに強くなりもはや樹林帯の中だろうが関係なかった( ̄▽ ̄;)一旦避難小屋のほうに下り避難小屋で雨具を着込み直した( ´-ω-) 雨風は一向に収まる気配はない(*´-`)登山道は降り続ける雨で軽く沢状態だ(*・д・)そんな中先行していたパーティーとスレ違う( ゚д゚)ハッ!山頂まで行かれたのか訪ねるとこの先のクサリ場の先まで行って引き返したとのことだ(*´-`)この強風、登りきった先の稜線歩きで強風に煽られることを危惧しての撤退らしい(* ̄ー ̄)お互いに気をつけてと別れボクは先に進むことにしたε=(ノ゚Д゚)ノ クサリ場、ロープ張りは五ケ所ほどあったか(*´-`)なかなかの直角な岩場だが、晴れていたら難しくないだろう(* ̄ー ̄)だが今日はどしゃ降りの雨、岩が滑りやすくなっており慎重に丁寧に岩を一つ一つ掴み登っていくε=(ノ゚Д゚)ノ最後のクサリ場を登りきれば植生が変わりシャクナゲを交えた背の低い樹林帯の中の稜線に躍り出る( *゚A゚) 登りきったという安堵とここから強風に煽られるかもしれない緊張感が押し寄せるがここまできたらあとは緩い稜線歩きのはずだ(*゚Д゚)背の丈ほどのハイマツ、シャクナゲと足元のハンゴウソウに目をやりながら進めば、武尊山、沖武尊、登頂ですヽ( ・∀・)ノ強風、大雨の中の2000メートルの世界は当然のことながら展望は真っ白( ̄▽ ̄;)本来なら剣ヶ峰、前武尊などへの大展望だろうが、ま、こんな日に登ったのだから仕方ない(´_`。)゙ 本来なら剣ヶ峰まで辿る周回コースが本ルートの醍醐味だろうがこの天候、先の見えない稜線歩きは安全ではない( ´-ω-)来た道を戻ることを選択、吹き付ける雨風から逃げるように山頂をあとにしたε=(ノ゚Д゚)ノ 戻る途中、老夫婦組、ソロのご老人、トレラン風のソロとスレ違う( ゚д゚)ハッ!気をつけてと言葉を掛け合いながら辿った道を戻るε=(ノ・∀・)ツ滑る岩場クサリ場を丁寧に下り、ぬかるむ足元の泥は気にせず、ただ慎重に下った(*´-`)今回の山行に不完全燃焼な気持ちを感じながらの下山となった( ´-ω-) 駐車場近くの裏見の滝を眺めたら車に戻り濡れたものを着替え帰路につく(*´-`)途中、道の駅みなかみ水紀行館辺りまで戻れば雨雲から抜けたのか青空だ( *゚A゚)さらに車を走らせれば、関東平野は雲一つない晴天、赤城山麓を巻くようにGoogle Mapは車を導く(* ̄ー ̄)展望のよい山麓からは南に秩父の峰々が良く見えた(*´ー`*) さて、今回は展望のなにも得られない天候下、武尊山を辿った(*´-`)次は快晴の日に登りたい(*´ー`*)その時は花咲集落から上がろうか、川場から上がろうか、田中久弥が辿った軌跡も良いだろう(*´ω`*)次の武尊山山行もまたルート選びに悩みそうである((ノ∀`)・゚・。 余談として、武尊山には二つの日本武尊銅像がある(* ̄ー ̄)沖武尊のちょっと先の銅像は明治時代、前武尊の銅像は幕末に作られたそうだが、その当時に作られたとなると、ヘリもリフトも車もない時代、人力で運んだことになる(゚Д゚)!!運んだのは当時の普寛講の方々だったらしく、鍛造は栃木県佐野市らしい(* ̄ー ̄)当時の人々の信仰心の厚さに脱帽である( ´-ω-) さて、次回の武尊山山行の際は武尊山を開いたとされる普寛行者のことをお送りしたいと思います(* ̄∇ ̄)ノ
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