浜名湖周辺:舞阪→気賀

2021.06.26(土) 日帰り

※ 今回はルートはほぼ誰の興味も引かないこと間違いなし❢ 個人的な備忘録と思って頂ければ💦 じゃあなんで公開するのかというと、こういうご時世だし、それぞれ皆さんの自宅や故郷の周辺でこういう休日の過ごし方もアリじゃない?というご提案です(今はさすがに暑すぎですが…)。 埼玉大学教育学部の「今昔マップon the web」というサイトにハマってます:https://ktgis.net/kjmapw/ 浜松・豊橋の明治~現在までの地理院地図を左右に並べて比較できるようになっているのです。これまでに歩いた秋葉道や半僧坊道・東海道なども、今は真っ直ぐな道でも昔はぐにゃぐにゃだったり鍵の手だったり一目瞭然。で、これを見ているうちに「自分が住む舞阪から気賀まで、できるだけ昔からある道を通って歩いてみたい」というワケの分からん欲求がムクムクと頭をもたげてきたのですねー。6月最後の週末は相変わらずの梅雨でほぼ晴れ間は望めなさそう…ということで、今週も山はスッパリ諦め、いつもよりさらに趣向を変えてもう街道ですらない道を歩いてみることにしました。 [ルート選択] 現時点で舞阪から気賀に向かうなら、車だと県道49号・細江舞阪線、自転車だと浜名湖周遊自転車道を使うのがフツーかと思います。が、明治時代にはこの道は2つとも存在せず、当時は湖の底だったりします。なのでルールとして下記の2つを満足するルートを考えてみました。 1. 明治時代にもあり、今もあるルートをできるだけ通る。 2. 車通りの多い道は歩きたくないので避ける。 結果として三方原台地の西の端を登ったり下ったりしながら浜松西ICの下をくぐり、桜台団地を突っ切って最後は姫街道に合流…というルート取りになりました。 [で、実際の道のり] 昔は道があったものの今は地理院地図を見る限り線が切れている…という場所は言うに及ばず、地図に実線が引かれていてもジャングル状態だったりして、あれには面食らいました💨 とにかく三方原台地のヘリは必ずと言っていいほど雑木林で、道がちゃんとあると楽しいのですが、ないと突破は困難…ということが分かりました。台地上の道は、当時から民家もないような場所だったので道は真っ直ぐで、なので今も道幅が拡張され自動車道としてフツーに活用されているところが多かったです。それなりに車も多かったし風情という点ではかなり残念でしたけど。じゃあ1日中面白くなかったかと言うと全然そんなことはなく、いくつか常夜燈や道標を見つけることができて、今回はガイドブックがなくて事前情報なしだったので、見つけた時の喜びはいつも以上に大きかったです。 [気温] Garminの温度センサによると、スタート時の気温は25℃、最高気温は29℃、曇りだったこともあってあまり寒暖の差はなく、山だろうが谷だろうが気温はずっと26~29℃でした。知久屋にいた時だけ22℃が記録されています(笑)。 [本日のハイキングまとめ] 大部分は真っ直ぐな舗装路を歩いていたような気もしますが(笑)、ところどころには雰囲気のいい道もあったりして、こういう計画でも立てないと一生歩くどころか車でも通らなかったであろう道を存分に楽しむことができてよかったです。思いのほかいくつも常夜燈があったし。それにしてもヘタな山登りよりもズボンが泥だらけになり、最後天浜線・JRに乗るのもはばかられる感じでした。結局ずっと立詰めだったし疲れました💨 [今回の写真コメントのご説明] 写真内で( )+数字の表記となっているものは、下記「遠州の街道を歩こう」サイト内「姫街道案内資料 見付から御油へ」に準拠しています。 [ご参考] 遠州の街道を歩こう:http://www2.wbs.ne.jp/~ota/ 自転車で三岳山に向かった時のレポ:https://yamap.com/activities/6977311 秋葉街道を気賀から西鹿島へ:https://yamap.com/activities/11568223 半僧坊道で方広寺、その後富幕山→尉ヶ峰→西気賀駅:https://yamap.com/activities/11696379 東海道を舞坂宿から浜松宿まで:https://yamap.com/activities/11810093 [described on Aug.29,2021]

東海道・舞坂の松並木の少し東側、今は十字路ですが、明治時代は東西、そして北への三叉路となっていました。本日はここをスタート地点にします。

東海道・舞坂の松並木の少し東側、今は十字路ですが、明治時代は東西、そして北への三叉路となっていました。本日はここをスタート地点にします。

東海道・舞坂の松並木の少し東側、今は十字路ですが、明治時代は東西、そして北への三叉路となっていました。本日はここをスタート地点にします。

前回は東海道を西から東に歩いたので、今回は北へ。

前回は東海道を西から東に歩いたので、今回は北へ。

前回は東海道を西から東に歩いたので、今回は北へ。

前に舞阪から浜松まで東海道を歩いた時にも立ち寄った春日大社にてお参り。狛犬ならぬ狛シカがいる神社ね。

前に舞阪から浜松まで東海道を歩いた時にも立ち寄った春日大社にてお参り。狛犬ならぬ狛シカがいる神社ね。

前に舞阪から浜松まで東海道を歩いた時にも立ち寄った春日大社にてお参り。狛犬ならぬ狛シカがいる神社ね。

左=西方向に舞阪駅。「今昔マップ」のいちばん古い地図は明治23年度版で、この頃にはすでに東海道線が通っていましたが、駅名は舞「坂」駅だったらしい。地下道で線路をくぐります。

左=西方向に舞阪駅。「今昔マップ」のいちばん古い地図は明治23年度版で、この頃にはすでに東海道線が通っていましたが、駅名は舞「坂」駅だったらしい。地下道で線路をくぐります。

左=西方向に舞阪駅。「今昔マップ」のいちばん古い地図は明治23年度版で、この頃にはすでに東海道線が通っていましたが、駅名は舞「坂」駅だったらしい。地下道で線路をくぐります。

明治23年にもあった宇布見橋を渡ります。湖岸が埋め立てられていなかったので当時はもっと長い橋でした。右手の奥に湖西連峰が見えています。→訂正、明治時代には「音作(おとさく)橋」という名前だったみたいです。

明治23年にもあった宇布見橋を渡ります。湖岸が埋め立てられていなかったので当時はもっと長い橋でした。右手の奥に湖西連峰が見えています。→訂正、明治時代には「音作(おとさく)橋」という名前だったみたいです。

明治23年にもあった宇布見橋を渡ります。湖岸が埋め立てられていなかったので当時はもっと長い橋でした。右手の奥に湖西連峰が見えています。→訂正、明治時代には「音作(おとさく)橋」という名前だったみたいです。

橋を渡った先が雄踏町宇布見。

橋を渡った先が雄踏町宇布見。

橋を渡った先が雄踏町宇布見。

本日1つ目の常夜燈。ちゃんと「秋葉山」と書いてあります。もともとは1845年の建立ですがちょうど100年後の東南海地震で倒壊、再建されたので上だけキレイ…ということのようです。

本日1つ目の常夜燈。ちゃんと「秋葉山」と書いてあります。もともとは1845年の建立ですがちょうど100年後の東南海地震で倒壊、再建されたので上だけキレイ…ということのようです。

本日1つ目の常夜燈。ちゃんと「秋葉山」と書いてあります。もともとは1845年の建立ですがちょうど100年後の東南海地震で倒壊、再建されたので上だけキレイ…ということのようです。

オシャレな醤油屋さんを発見。近所にリカープラザ・ヤマキというところがあって、ここもヤマキだから同じ経営者なのかな?とにかくそこでここの醤油を買うことができるそうです。

オシャレな醤油屋さんを発見。近所にリカープラザ・ヤマキというところがあって、ここもヤマキだから同じ経営者なのかな?とにかくそこでここの醤油を買うことができるそうです。

オシャレな醤油屋さんを発見。近所にリカープラザ・ヤマキというところがあって、ここもヤマキだから同じ経営者なのかな?とにかくそこでここの醤油を買うことができるそうです。

白山神社。左に見える秋葉山常夜燈は寛政10年(1798年)の建立、もともとは雄踏街道沿いにあったものが移されたそうです。

白山神社。左に見える秋葉山常夜燈は寛政10年(1798年)の建立、もともとは雄踏街道沿いにあったものが移されたそうです。

白山神社。左に見える秋葉山常夜燈は寛政10年(1798年)の建立、もともとは雄踏街道沿いにあったものが移されたそうです。

白山神社にはもうひとつ常夜燈がありました。すぐ南がかつての雄踏街道なので、これもそこから移されて来たんですかね?

白山神社にはもうひとつ常夜燈がありました。すぐ南がかつての雄踏街道なので、これもそこから移されて来たんですかね?

白山神社にはもうひとつ常夜燈がありました。すぐ南がかつての雄踏街道なので、これもそこから移されて来たんですかね?

オシャレな建物その2、清熊洋品店。ネットを見ると「ファッション(紳士服・婦人服)」と書いてありますが、はて、そんなモノが売ってましたっけ?

オシャレな建物その2、清熊洋品店。ネットを見ると「ファッション(紳士服・婦人服)」と書いてありますが、はて、そんなモノが売ってましたっけ?

オシャレな建物その2、清熊洋品店。ネットを見ると「ファッション(紳士服・婦人服)」と書いてありますが、はて、そんなモノが売ってましたっけ?

昔ながらの道がちゃんと遊歩道として残っていました。こういう道があると何だかウレシイですね~😍

昔ながらの道がちゃんと遊歩道として残っていました。こういう道があると何だかウレシイですね~😍

昔ながらの道がちゃんと遊歩道として残っていました。こういう道があると何だかウレシイですね~😍

その先の道も残っていましたが、残念ながらこちらは車が何台も通り、でも歩道はなく、ちょっとツライ区間。

その先の道も残っていましたが、残念ながらこちらは車が何台も通り、でも歩道はなく、ちょっとツライ区間。

その先の道も残っていましたが、残念ながらこちらは車が何台も通り、でも歩道はなく、ちょっとツライ区間。

でも左手には、のどかな田園風景が広がっています。

でも左手には、のどかな田園風景が広がっています。

でも左手には、のどかな田園風景が広がっています。

かつての道がこのあたりにあったらしく、現在の地理院地図にも実線が描いてあったので突入してみたのですが、

かつての道がこのあたりにあったらしく、現在の地理院地図にも実線が描いてあったので突入してみたのですが、

かつての道がこのあたりにあったらしく、現在の地理院地図にも実線が描いてあったので突入してみたのですが、

いやー、ヒドイ目に遭いました(笑)。

いやー、ヒドイ目に遭いました(笑)。

いやー、ヒドイ目に遭いました(笑)。

深南部でも経験したことのないレベルのヤブ漕ぎです❢ 低地の植物の旺盛さは、やっぱハンパなかったです。

深南部でも経験したことのないレベルのヤブ漕ぎです❢ 低地の植物の旺盛さは、やっぱハンパなかったです。

深南部でも経験したことのないレベルのヤブ漕ぎです❢ 低地の植物の旺盛さは、やっぱハンパなかったです。

台地の縁(へり)に乗りました、標高は32m。サイアクのエリアは距離にしたら10mほどだと思うんですけどね、もう半日分くらいの体力を使った感じ…😅

台地の縁(へり)に乗りました、標高は32m。サイアクのエリアは距離にしたら10mほどだと思うんですけどね、もう半日分くらいの体力を使った感じ…😅

台地の縁(へり)に乗りました、標高は32m。サイアクのエリアは距離にしたら10mほどだと思うんですけどね、もう半日分くらいの体力を使った感じ…😅

しばらく歩いたところに牧場がありました。

しばらく歩いたところに牧場がありました。

しばらく歩いたところに牧場がありました。

牧場主さんが作ったのかな?こんなツリーハウスが。これスゴイですね❢

牧場主さんが作ったのかな?こんなツリーハウスが。これスゴイですね❢

牧場主さんが作ったのかな?こんなツリーハウスが。これスゴイですね❢

この道も明治からある道。ただ、真っ直ぐ進むと県道65号・浜松環状線に合流してしまい、それじゃあ面白くないので、

この道も明治からある道。ただ、真っ直ぐ進むと県道65号・浜松環状線に合流してしまい、それじゃあ面白くないので、

この道も明治からある道。ただ、真っ直ぐ進むと県道65号・浜松環状線に合流してしまい、それじゃあ面白くないので、

現在の地理院地図にも載っているこの道を進んでみ…ようと思ったんですが、これ人のうちの軒先じゃないの?😅

現在の地理院地図にも載っているこの道を進んでみ…ようと思ったんですが、これ人のうちの軒先じゃないの?😅

現在の地理院地図にも載っているこの道を進んでみ…ようと思ったんですが、これ人のうちの軒先じゃないの?😅

実は左手で数人の方が何か農作物の収穫作業をしていました。メッチャ気まずくて絶対左を向けない(笑)。何をしてるのかと思ってるだろうな~💦

実は左手で数人の方が何か農作物の収穫作業をしていました。メッチャ気まずくて絶対左を向けない(笑)。何をしてるのかと思ってるだろうな~💦

実は左手で数人の方が何か農作物の収穫作業をしていました。メッチャ気まずくて絶対左を向けない(笑)。何をしてるのかと思ってるだろうな~💦

しかもさっきの写真の突き当りが三方原台地の端っこで、今度は下るんですが、ここもまた道なき道😭 でもさっきの農作業の方々がいるところに戻る勇気もなく(笑)。

しかもさっきの写真の突き当りが三方原台地の端っこで、今度は下るんですが、ここもまた道なき道😭 でもさっきの農作業の方々がいるところに戻る勇気もなく(笑)。

しかもさっきの写真の突き当りが三方原台地の端っこで、今度は下るんですが、ここもまた道なき道😭 でもさっきの農作業の方々がいるところに戻る勇気もなく(笑)。

這々の体で台地を下りきり、舗装路に出てきました💨 でもまぁさっきの牧場のところに登った時のヤブ漕ぎよりはだいぶマシだったんですけど。

這々の体で台地を下りきり、舗装路に出てきました💨 でもまぁさっきの牧場のところに登った時のヤブ漕ぎよりはだいぶマシだったんですけど。

這々の体で台地を下りきり、舗装路に出てきました💨 でもまぁさっきの牧場のところに登った時のヤブ漕ぎよりはだいぶマシだったんですけど。

地理院地図ではその先にも実線が続いていましたが、見たところメチャ密集した竹ヤブで絶対突破はムリ❢ 諦めて少し南西方向に進み、歩けそうな林道を見つけたのでここを歩くことにします。明治時代にはなかった道ですが、もうそんなこと言っている余裕なし😅 これこれ❢こういう道を期待していたのよ~😍

地理院地図ではその先にも実線が続いていましたが、見たところメチャ密集した竹ヤブで絶対突破はムリ❢ 諦めて少し南西方向に進み、歩けそうな林道を見つけたのでここを歩くことにします。明治時代にはなかった道ですが、もうそんなこと言っている余裕なし😅 これこれ❢こういう道を期待していたのよ~😍

地理院地図ではその先にも実線が続いていましたが、見たところメチャ密集した竹ヤブで絶対突破はムリ❢ 諦めて少し南西方向に進み、歩けそうな林道を見つけたのでここを歩くことにします。明治時代にはなかった道ですが、もうそんなこと言っている余裕なし😅 これこれ❢こういう道を期待していたのよ~😍

出てきた舗装路は、ちゃんと昔からあるルート。小豆餅方面へ向かう街道だったようですが、今は途中が浜松基地になっちゃってます。

出てきた舗装路は、ちゃんと昔からあるルート。小豆餅方面へ向かう街道だったようですが、今は途中が浜松基地になっちゃってます。

出てきた舗装路は、ちゃんと昔からあるルート。小豆餅方面へ向かう街道だったようですが、今は途中が浜松基地になっちゃってます。

浜名湖畔に下っていく道の分岐点に本日4つ目の常夜燈。「昭和十四年五月」と刻まれていました。ここは大平という集落で、「當(当)所安全」という書き方からも集落の防火を願って建てられたものと思われ。

浜名湖畔に下っていく道の分岐点に本日4つ目の常夜燈。「昭和十四年五月」と刻まれていました。ここは大平という集落で、「當(当)所安全」という書き方からも集落の防火を願って建てられたものと思われ。

浜名湖畔に下っていく道の分岐点に本日4つ目の常夜燈。「昭和十四年五月」と刻まれていました。ここは大平という集落で、「當(当)所安全」という書き方からも集落の防火を願って建てられたものと思われ。

先ほどの常夜燈から10分後、5つ目の常夜燈を発見❢ ここは赤松集落、小豆餅方面と伊左地方面の分岐点となります。これも建立年として「昭和」と書いていますが、その下の文字は読めませんでした💨

先ほどの常夜燈から10分後、5つ目の常夜燈を発見❢ ここは赤松集落、小豆餅方面と伊左地方面の分岐点となります。これも建立年として「昭和」と書いていますが、その下の文字は読めませんでした💨

先ほどの常夜燈から10分後、5つ目の常夜燈を発見❢ ここは赤松集落、小豆餅方面と伊左地方面の分岐点となります。これも建立年として「昭和」と書いていますが、その下の文字は読めませんでした💨

常夜燈の手前を左折、伊左地方面に向かいます。

常夜燈の手前を左折、伊左地方面に向かいます。

常夜燈の手前を左折、伊左地方面に向かいます。

内山鉄工所、だそうです。鍬(くわ)の修理をしてくれる店、というのを生まれて初めて見ました。

内山鉄工所、だそうです。鍬(くわ)の修理をしてくれる店、というのを生まれて初めて見ました。

内山鉄工所、だそうです。鍬(くわ)の修理をしてくれる店、というのを生まれて初めて見ました。

今度は内山鉄工所の手前を右折、三方原台地からまた下ります。

今度は内山鉄工所の手前を右折、三方原台地からまた下ります。

今度は内山鉄工所の手前を右折、三方原台地からまた下ります。

下った先のここは伊左地川が流れていて、三方原台地が刻まれて谷になっています。浜松西ICからイオン志都呂に向かう途中、県道65号がいったんメチャ下ってすぐにまた登る場所(「長峰」交差点)あるじゃないですか。あの場所です(誰も分からんてかw)。

下った先のここは伊左地川が流れていて、三方原台地が刻まれて谷になっています。浜松西ICからイオン志都呂に向かう途中、県道65号がいったんメチャ下ってすぐにまた登る場所(「長峰」交差点)あるじゃないですか。あの場所です(誰も分からんてかw)。

下った先のここは伊左地川が流れていて、三方原台地が刻まれて谷になっています。浜松西ICからイオン志都呂に向かう途中、県道65号がいったんメチャ下ってすぐにまた登る場所(「長峰」交差点)あるじゃないですか。あの場所です(誰も分からんてかw)。

小腹がすいたので伊左地川のほとりに腰掛け、おやつと一本満足バーをいただきます。

小腹がすいたので伊左地川のほとりに腰掛け、おやつと一本満足バーをいただきます。

小腹がすいたので伊左地川のほとりに腰掛け、おやつと一本満足バーをいただきます。

伊左地川を渡りそのまま北方向へ進むと、谷の北の端に突き当たります。ここが伊左地の町(集落というには大規模)。突き当たりを右=東方向へ曲がると、ここも明治の頃からあるステキな雰囲気の道。

伊左地川を渡りそのまま北方向へ進むと、谷の北の端に突き当たります。ここが伊左地の町(集落というには大規模)。突き当たりを右=東方向へ曲がると、ここも明治の頃からあるステキな雰囲気の道。

伊左地川を渡りそのまま北方向へ進むと、谷の北の端に突き当たります。ここが伊左地の町(集落というには大規模)。突き当たりを右=東方向へ曲がると、ここも明治の頃からあるステキな雰囲気の道。

いい感じなのでもう1枚。

いい感じなのでもう1枚。

いい感じなのでもう1枚。

川の上流へ向かう道と三方原台地へ登る道の分岐点に、本日6つ目の常夜燈。昭和46年建立のかなり新しいもの。

川の上流へ向かう道と三方原台地へ登る道の分岐点に、本日6つ目の常夜燈。昭和46年建立のかなり新しいもの。

川の上流へ向かう道と三方原台地へ登る道の分岐点に、本日6つ目の常夜燈。昭和46年建立のかなり新しいもの。

コンクリの簡易舗装を歩いて竹ヤブの間を抜けると、

コンクリの簡易舗装を歩いて竹ヤブの間を抜けると、

コンクリの簡易舗装を歩いて竹ヤブの間を抜けると、

3回目の三方原台地。登ってしまえば台地なので平らです。

3回目の三方原台地。登ってしまえば台地なので平らです。

3回目の三方原台地。登ってしまえば台地なので平らです。

このあたりのビニールハウスは電照菊です。割と空っぽのハウスが多かったな…。

このあたりのビニールハウスは電照菊です。割と空っぽのハウスが多かったな…。

このあたりのビニールハウスは電照菊です。割と空っぽのハウスが多かったな…。

明治時代にはなく、どうやら大正あたりにできたっぽい舘山寺街道…は今の県道48号・舘山寺鹿谷線。そのまま突っ切ります。が、

明治時代にはなく、どうやら大正あたりにできたっぽい舘山寺街道…は今の県道48号・舘山寺鹿谷線。そのまま突っ切ります。が、

明治時代にはなく、どうやら大正あたりにできたっぽい舘山寺街道…は今の県道48号・舘山寺鹿谷線。そのまま突っ切ります。が、

程なく県道65号・浜松環状線に合流。こちらは私が浜松に来てから開通した新しい道路。ここは歩道のさらに左に別の車道が通っていて、こちらを歩けば意外と静か。

程なく県道65号・浜松環状線に合流。こちらは私が浜松に来てから開通した新しい道路。ここは歩道のさらに左に別の車道が通っていて、こちらを歩けば意外と静か。

程なく県道65号・浜松環状線に合流。こちらは私が浜松に来てから開通した新しい道路。ここは歩道のさらに左に別の車道が通っていて、こちらを歩けば意外と静か。

結局100mほど歩いたところでこの「左の別の車道」は勝手に左折、65号線から離れます。私も一緒に左折。

結局100mほど歩いたところでこの「左の別の車道」は勝手に左折、65号線から離れます。私も一緒に左折。

結局100mほど歩いたところでこの「左の別の車道」は勝手に左折、65号線から離れます。私も一緒に左折。

自分の中にある三方原台地ってこんな感じのイメージ。

自分の中にある三方原台地ってこんな感じのイメージ。

自分の中にある三方原台地ってこんな感じのイメージ。

65号線を離れてから昔のルートを歩けなくてヨレヨレしていましたが、ここでいったん復帰。

65号線を離れてから昔のルートを歩けなくてヨレヨレしていましたが、ここでいったん復帰。

65号線を離れてから昔のルートを歩けなくてヨレヨレしていましたが、ここでいったん復帰。

東名高速・浜松西ICが現れました。ここをくぐるのを結構楽しみにしていたんですけど、歩いたルートからはICに関する設備とか全く見えず、別に高架道を3回くぐったというだけで特に面白いものではありませんでした💨

東名高速・浜松西ICが現れました。ここをくぐるのを結構楽しみにしていたんですけど、歩いたルートからはICに関する設備とか全く見えず、別に高架道を3回くぐったというだけで特に面白いものではありませんでした💨

東名高速・浜松西ICが現れました。ここをくぐるのを結構楽しみにしていたんですけど、歩いたルートからはICに関する設備とか全く見えず、別に高架道を3回くぐったというだけで特に面白いものではありませんでした💨

西ICを抜けると、また昔の道を歩けるのですが、すぐにまた歩けなくなります。と言うのも、

西ICを抜けると、また昔の道を歩けるのですが、すぐにまた歩けなくなります。と言うのも、

西ICを抜けると、また昔の道を歩けるのですが、すぐにまた歩けなくなります。と言うのも、

どーん❢ と桜台団地というのができていて、明治の頃とはすっかり状況が変わっています。なだらかだったはずの斜面は切り崩されて崖になってしまっているし…。

どーん❢ と桜台団地というのができていて、明治の頃とはすっかり状況が変わっています。なだらかだったはずの斜面は切り崩されて崖になってしまっているし…。

どーん❢ と桜台団地というのができていて、明治の頃とはすっかり状況が変わっています。なだらかだったはずの斜面は切り崩されて崖になってしまっているし…。

地理院地図の通りだとすごく遠回りなのですが、幸いここに階段があったおかげで多少はショートカットできました。

地理院地図の通りだとすごく遠回りなのですが、幸いここに階段があったおかげで多少はショートカットできました。

地理院地図の通りだとすごく遠回りなのですが、幸いここに階段があったおかげで多少はショートカットできました。

桜台に入ってからは、まったく昔の道をトレースすることはできません。でも桜台って初めて来たわ。こんなところに遠鉄ストアがあるのねー。

桜台に入ってからは、まったく昔の道をトレースすることはできません。でも桜台って初めて来たわ。こんなところに遠鉄ストアがあるのねー。

桜台に入ってからは、まったく昔の道をトレースすることはできません。でも桜台って初めて来たわ。こんなところに遠鉄ストアがあるのねー。

おっ、知久屋がある❢ 昼食はここにしましょう。

おっ、知久屋がある❢ 昼食はここにしましょう。

おっ、知久屋がある❢ 昼食はここにしましょう。

店先になぜかヤギが😅

店先になぜかヤギが😅

店先になぜかヤギが😅

知久屋はお弁当屋さんなので、食事と言ってもこんな感じになります。うーん、いつものコンビニ弁当とあんまり変わらんな(笑)。オムライスは529円でした。

知久屋はお弁当屋さんなので、食事と言ってもこんな感じになります。うーん、いつものコンビニ弁当とあんまり変わらんな(笑)。オムライスは529円でした。

知久屋はお弁当屋さんなので、食事と言ってもこんな感じになります。うーん、いつものコンビニ弁当とあんまり変わらんな(笑)。オムライスは529円でした。

西区大山町にはなぜか白山神社が2つあります。ここは知久屋のほぼ北にある方の白山神社、ここにはすごくリッパな龍燈(右)がありました❢ 中は空っぽだったんですけど。

西区大山町にはなぜか白山神社が2つあります。ここは知久屋のほぼ北にある方の白山神社、ここにはすごくリッパな龍燈(右)がありました❢ 中は空っぽだったんですけど。

西区大山町にはなぜか白山神社が2つあります。ここは知久屋のほぼ北にある方の白山神社、ここにはすごくリッパな龍燈(右)がありました❢ 中は空っぽだったんですけど。

白山神社のもう少し東の道は明治の頃からある道。真ん中奥に見えている階段を登ると、

白山神社のもう少し東の道は明治の頃からある道。真ん中奥に見えている階段を登ると、

白山神社のもう少し東の道は明治の頃からある道。真ん中奥に見えている階段を登ると、

ここも舗装路ながらいい感じの道💓

ここも舗装路ながらいい感じの道💓

ここも舗装路ながらいい感じの道💓

また台地の上に登りました。4回めですねー。

また台地の上に登りました。4回めですねー。

また台地の上に登りました。4回めですねー。

畑の向こうに、半月前に登った尉ヶ峰(433m)が見えます。

畑の向こうに、半月前に登った尉ヶ峰(433m)が見えます。

畑の向こうに、半月前に登った尉ヶ峰(433m)が見えます。

広いですがほとんど車も通らない道をのんびり歩いていると、

広いですがほとんど車も通らない道をのんびり歩いていると、

広いですがほとんど車も通らない道をのんびり歩いていると、

県道305号・金指停車場和地線と合流するところに道標を兼ねてステキなお地蔵様が祀られていました。頭に何か載っているから馬頭観音なのかな?「右 都田 秋葉山」と書かれていますが、左が読めない…。

県道305号・金指停車場和地線と合流するところに道標を兼ねてステキなお地蔵様が祀られていました。頭に何か載っているから馬頭観音なのかな?「右 都田 秋葉山」と書かれていますが、左が読めない…。

県道305号・金指停車場和地線と合流するところに道標を兼ねてステキなお地蔵様が祀られていました。頭に何か載っているから馬頭観音なのかな?「右 都田 秋葉山」と書かれていますが、左が読めない…。

今回進む先は都田ではないので、すぐに県道方面とは別れ、北東方向へ進みます。

今回進む先は都田ではないので、すぐに県道方面とは別れ、北東方向へ進みます。

今回進む先は都田ではないので、すぐに県道方面とは別れ、北東方向へ進みます。

4つ目にして最後の谷を下りますが、ここはそれほど標高を下げることはなく。

4つ目にして最後の谷を下りますが、ここはそれほど標高を下げることはなく。

4つ目にして最後の谷を下りますが、ここはそれほど標高を下げることはなく。

谷の途中に天池自然公園というところがありました。人もひとりしかいらっしゃらなくて、とても静かでいい公園です。曇りなのも助かりました。晴れた夏だと相当蒸し暑そうなので…💦

谷の途中に天池自然公園というところがありました。人もひとりしかいらっしゃらなくて、とても静かでいい公園です。曇りなのも助かりました。晴れた夏だと相当蒸し暑そうなので…💦

谷の途中に天池自然公園というところがありました。人もひとりしかいらっしゃらなくて、とても静かでいい公園です。曇りなのも助かりました。晴れた夏だと相当蒸し暑そうなので…💦

半夏生(ハンゲショウ)という草だそうですね。初めは誰かがペンキをかけたのかと思いました。

半夏生(ハンゲショウ)という草だそうですね。初めは誰かがペンキをかけたのかと思いました。

半夏生(ハンゲショウ)という草だそうですね。初めは誰かがペンキをかけたのかと思いました。

ステキな湿原です。が、一部木道の遊歩道が通行止めになっていました。

ステキな湿原です。が、一部木道の遊歩道が通行止めになっていました。

ステキな湿原です。が、一部木道の遊歩道が通行止めになっていました。

天池自然公園からほんの少しだけ登り返し、しばらく歩くと旧姫街道に合流します。現在姫街道と呼ばれている県道261号・磐田細江線よりは少し南側。で、左側に見えているのが、

天池自然公園からほんの少しだけ登り返し、しばらく歩くと旧姫街道に合流します。現在姫街道と呼ばれている県道261号・磐田細江線よりは少し南側。で、左側に見えているのが、

天池自然公園からほんの少しだけ登り返し、しばらく歩くと旧姫街道に合流します。現在姫街道と呼ばれている県道261号・磐田細江線よりは少し南側。で、左側に見えているのが、

六地蔵(61)です。ここの西の竹ヤブが刑場で、その霊を慰めるため、1711年に建立されたものだそうです。

六地蔵(61)です。ここの西の竹ヤブが刑場で、その霊を慰めるため、1711年に建立されたものだそうです。

六地蔵(61)です。ここの西の竹ヤブが刑場で、その霊を慰めるため、1711年に建立されたものだそうです。

姫街道に入った途端、このような標識が。さっきのステキな観音様にもぜひ案内板を設置してほしいです。

姫街道に入った途端、このような標識が。さっきのステキな観音様にもぜひ案内板を設置してほしいです。

姫街道に入った途端、このような標識が。さっきのステキな観音様にもぜひ案内板を設置してほしいです。

大山町白山神社の龍燈を含めると本日8つ目の常夜燈、老ヶ谷の常夜燈(64)だそうです。

大山町白山神社の龍燈を含めると本日8つ目の常夜燈、老ヶ谷の常夜燈(64)だそうです。

大山町白山神社の龍燈を含めると本日8つ目の常夜燈、老ヶ谷の常夜燈(64)だそうです。

ご説明。1811年建立だそうで。ここに書いてある「清水(橋)~五日市~金指~都田~宮口」のルートを6月初旬に歩きました。

ご説明。1811年建立だそうで。ここに書いてある「清水(橋)~五日市~金指~都田~宮口」のルートを6月初旬に歩きました。

ご説明。1811年建立だそうで。ここに書いてある「清水(橋)~五日市~金指~都田~宮口」のルートを6月初旬に歩きました。

明治23年(1890年)の地図にはすでに今の姫街道がかなり太い道幅で描かれていますので、この道が歩かれなくなってからすでに100年以上の時が流れているのですね…。

明治23年(1890年)の地図にはすでに今の姫街道がかなり太い道幅で描かれていますので、この道が歩かれなくなってからすでに100年以上の時が流れているのですね…。

明治23年(1890年)の地図にはすでに今の姫街道がかなり太い道幅で描かれていますので、この道が歩かれなくなってからすでに100年以上の時が流れているのですね…。

千日堂(65)。気賀近藤家の二代目・三代目の位牌が納められているそうです。

千日堂(65)。気賀近藤家の二代目・三代目の位牌が納められているそうです。

千日堂(65)。気賀近藤家の二代目・三代目の位牌が納められているそうです。

姫街道の一里塚跡(66)がありました。舞坂と同じく江戸から68里らしい。ここに「服部小平太が1587年に斬られた」話が書いてありますが、Wikipediaによると「桶狭間で今川義元に一番槍をつける戦功をあげた服部小平太は1595年に切腹」と書いてあり、どうやら別人というのが真相らしいです。

姫街道の一里塚跡(66)がありました。舞坂と同じく江戸から68里らしい。ここに「服部小平太が1587年に斬られた」話が書いてありますが、Wikipediaによると「桶狭間で今川義元に一番槍をつける戦功をあげた服部小平太は1595年に切腹」と書いてあり、どうやら別人というのが真相らしいです。

姫街道の一里塚跡(66)がありました。舞坂と同じく江戸から68里らしい。ここに「服部小平太が1587年に斬られた」話が書いてありますが、Wikipediaによると「桶狭間で今川義元に一番槍をつける戦功をあげた服部小平太は1595年に切腹」と書いてあり、どうやら別人というのが真相らしいです。

細江町では3~4月に姫様道中という大名行列を模したイベントがあります。それにしてもちょっと絵が薄汚れていてホラー風味。

細江町では3~4月に姫様道中という大名行列を模したイベントがあります。それにしてもちょっと絵が薄汚れていてホラー風味。

細江町では3~4月に姫様道中という大名行列を模したイベントがあります。それにしてもちょっと絵が薄汚れていてホラー風味。

それでその脇が姫街道という…💦 まだ午後3時なのに何だか肝試しみたいなノリになってきました…。

それでその脇が姫街道という…💦 まだ午後3時なのに何だか肝試しみたいなノリになってきました…。

それでその脇が姫街道という…💦 まだ午後3時なのに何だか肝試しみたいなノリになってきました…。

遂にはこんなトレイルになってしまい…。イヤイヤ、昔を偲ぶにはいい道だと思うんですけど、「チカン出没注意」という看板があったりするし、雰囲気いいのやら悪いのやら…💦 長坂(67)と呼ばれる坂だそうです。

遂にはこんなトレイルになってしまい…。イヤイヤ、昔を偲ぶにはいい道だと思うんですけど、「チカン出没注意」という看板があったりするし、雰囲気いいのやら悪いのやら…💦 長坂(67)と呼ばれる坂だそうです。

遂にはこんなトレイルになってしまい…。イヤイヤ、昔を偲ぶにはいい道だと思うんですけど、「チカン出没注意」という看板があったりするし、雰囲気いいのやら悪いのやら…💦 長坂(67)と呼ばれる坂だそうです。

先ほど案内板に書いてあった「服部小平太最期の地」です。もし勘違いで今川方の誰かに斬られたとしたらお気の毒としか言いようがないですね。

先ほど案内板に書いてあった「服部小平太最期の地」です。もし勘違いで今川方の誰かに斬られたとしたらお気の毒としか言いようがないですね。

先ほど案内板に書いてあった「服部小平太最期の地」です。もし勘違いで今川方の誰かに斬られたとしたらお気の毒としか言いようがないですね。

長坂を下り切りました。これは新谷の常夜燈。龍燈・常夜燈合わせると本日9つ目ですが、ここも中に常夜燈はありませんでした。

長坂を下り切りました。これは新谷の常夜燈。龍燈・常夜燈合わせると本日9つ目ですが、ここも中に常夜燈はありませんでした。

長坂を下り切りました。これは新谷の常夜燈。龍燈・常夜燈合わせると本日9つ目ですが、ここも中に常夜燈はありませんでした。

新谷の集落。明治の頃の新しい姫街道はここよりも南で旧道に合流していたので、戦後までこの道が主要道としての姫街道でした。その後、さらに新しい道ができたので、ここも今は静かな道です。

新谷の集落。明治の頃の新しい姫街道はここよりも南で旧道に合流していたので、戦後までこの道が主要道としての姫街道でした。その後、さらに新しい道ができたので、ここも今は静かな道です。

新谷の集落。明治の頃の新しい姫街道はここよりも南で旧道に合流していたので、戦後までこの道が主要道としての姫街道でした。その後、さらに新しい道ができたので、ここも今は静かな道です。

宗安寺跡(68)。服部小平太を祀っていたお寺です。明治の廃仏毀釈で、今は石段のほか、庭の一部と石仏が残るのみ。山門は気賀の町なかにある正明寺に移築されたそうです。

宗安寺跡(68)。服部小平太を祀っていたお寺です。明治の廃仏毀釈で、今は石段のほか、庭の一部と石仏が残るのみ。山門は気賀の町なかにある正明寺に移築されたそうです。

宗安寺跡(68)。服部小平太を祀っていたお寺です。明治の廃仏毀釈で、今は石段のほか、庭の一部と石仏が残るのみ。山門は気賀の町なかにある正明寺に移築されたそうです。

これが現在の姫街道、県道261号線です。いつも参考にしている「遠州の街道を歩こう」サイトに書いてある姫街道ルートに従い、東方向へ突っ切ります。

これが現在の姫街道、県道261号線です。いつも参考にしている「遠州の街道を歩こう」サイトに書いてある姫街道ルートに従い、東方向へ突っ切ります。

これが現在の姫街道、県道261号線です。いつも参考にしている「遠州の街道を歩こう」サイトに書いてある姫街道ルートに従い、東方向へ突っ切ります。

金山神社。今川方の城で、1568年に徳川家康によって落城したという刑部城跡(69)でもあります。

金山神社。今川方の城で、1568年に徳川家康によって落城したという刑部城跡(69)でもあります。

金山神社。今川方の城で、1568年に徳川家康によって落城したという刑部城跡(69)でもあります。

神社からは東側の田園風景を見下すことができました。

神社からは東側の田園風景を見下すことができました。

神社からは東側の田園風景を見下すことができました。

都田川まで来ました。こちらは西の下流方向。奥に赤い澪つくし橋が見えますね。

都田川まで来ました。こちらは西の下流方向。奥に赤い澪つくし橋が見えますね。

都田川まで来ました。こちらは西の下流方向。奥に赤い澪つくし橋が見えますね。

落合橋を渡れば、目的地・気賀の町です。

落合橋を渡れば、目的地・気賀の町です。

落合橋を渡れば、目的地・気賀の町です。

落合橋北詰の東側にこれまたステキなお地蔵様(73)。江戸時代中頃のものだそうで「右 はままつへ三里半 左 秋葉山道 宮口へ二里 二俣へ四里」と刻まれています。

落合橋北詰の東側にこれまたステキなお地蔵様(73)。江戸時代中頃のものだそうで「右 はままつへ三里半 左 秋葉山道 宮口へ二里 二俣へ四里」と刻まれています。

落合橋北詰の東側にこれまたステキなお地蔵様(73)。江戸時代中頃のものだそうで「右 はままつへ三里半 左 秋葉山道 宮口へ二里 二俣へ四里」と刻まれています。

右手方向は川の合流点。左が井伊谷川、右が都田川。井伊谷川は半僧坊道を歩いた時、都田川は自転車で三岳山に向かった時に川沿いを通りました。

右手方向は川の合流点。左が井伊谷川、右が都田川。井伊谷川は半僧坊道を歩いた時、都田川は自転車で三岳山に向かった時に川沿いを通りました。

右手方向は川の合流点。左が井伊谷川、右が都田川。井伊谷川は半僧坊道を歩いた時、都田川は自転車で三岳山に向かった時に川沿いを通りました。

天竜浜名湖鉄道の高架橋。レトロ感たっぷりです。

天竜浜名湖鉄道の高架橋。レトロ感たっぷりです。

天竜浜名湖鉄道の高架橋。レトロ感たっぷりです。

秋葉路を気賀から西鹿島まで歩いた時にも寄った気賀関所本番所跡(75)。

秋葉路を気賀から西鹿島まで歩いた時にも寄った気賀関所本番所跡(75)。

秋葉路を気賀から西鹿島まで歩いた時にも寄った気賀関所本番所跡(75)。

暑いなか「かき氷」の幟(のぼり)に吸い寄せられました(笑)。いちごミルク550円。本物のイチゴが散りばめられていて、これは美味でございました。

暑いなか「かき氷」の幟(のぼり)に吸い寄せられました(笑)。いちごミルク550円。本物のイチゴが散りばめられていて、これは美味でございました。

暑いなか「かき氷」の幟(のぼり)に吸い寄せられました(笑)。いちごミルク550円。本物のイチゴが散りばめられていて、これは美味でございました。

場所はここ、珈琲屋おおぎ。昭和レトロな落ち着いたお店でした。

場所はここ、珈琲屋おおぎ。昭和レトロな落ち着いたお店でした。

場所はここ、珈琲屋おおぎ。昭和レトロな落ち着いたお店でした。

細江神社(80)。太平洋岸の新居(関所があるところ)にあった角避比古神社の御神体が明応の大地震(1498年)でここまで流れ着き、それを祀ったのが起こりだそうです。

細江神社(80)。太平洋岸の新居(関所があるところ)にあった角避比古神社の御神体が明応の大地震(1498年)でここまで流れ着き、それを祀ったのが起こりだそうです。

細江神社(80)。太平洋岸の新居(関所があるところ)にあった角避比古神社の御神体が明応の大地震(1498年)でここまで流れ着き、それを祀ったのが起こりだそうです。

細江神社のリッパなクスノキ。樹高15m。主の座を争って大コウモリと大蛇の争いがあり、根元の空洞にはその時に流れた血の跡が残っているのだとか。

細江神社のリッパなクスノキ。樹高15m。主の座を争って大コウモリと大蛇の争いがあり、根元の空洞にはその時に流れた血の跡が残っているのだとか。

細江神社のリッパなクスノキ。樹高15m。主の座を争って大コウモリと大蛇の争いがあり、根元の空洞にはその時に流れた血の跡が残っているのだとか。

浜名湖の地図。湖を縦断して、この距離を流れ付いた御神体って何だかスゴイ。

浜名湖の地図。湖を縦断して、この距離を流れ付いた御神体って何だかスゴイ。

浜名湖の地図。湖を縦断して、この距離を流れ付いた御神体って何だかスゴイ。

20日ぶりの気賀駅です。相変わらず見た目はラーメン屋。

20日ぶりの気賀駅です。相変わらず見た目はラーメン屋。

20日ぶりの気賀駅です。相変わらず見た目はラーメン屋。

で、相変わらず「クリーム大判焼き」の藤田屋は営業しておらず…💦

で、相変わらず「クリーム大判焼き」の藤田屋は営業しておらず…💦

で、相変わらず「クリーム大判焼き」の藤田屋は営業しておらず…💦

16時17分気賀駅発新所原駅行きの天竜浜名湖鉄道に乗って帰ります。あとで気付きましたが、これ半僧坊~富幕山~尉ヶ峰を歩いて西気賀駅から乗った時と同じ時間の列車ですね。

16時17分気賀駅発新所原駅行きの天竜浜名湖鉄道に乗って帰ります。あとで気付きましたが、これ半僧坊~富幕山~尉ヶ峰を歩いて西気賀駅から乗った時と同じ時間の列車ですね。

16時17分気賀駅発新所原駅行きの天竜浜名湖鉄道に乗って帰ります。あとで気付きましたが、これ半僧坊~富幕山~尉ヶ峰を歩いて西気賀駅から乗った時と同じ時間の列車ですね。

意外と列車は混んでいて、密になってまで座りたくないので結局終点まで立つことになりました。最後尾から写真が撮れたので何枚かアップします。間もなく西気賀駅、浜名湖の向こうに見える山は根本山(129m)。

意外と列車は混んでいて、密になってまで座りたくないので結局終点まで立つことになりました。最後尾から写真が撮れたので何枚かアップします。間もなく西気賀駅、浜名湖の向こうに見える山は根本山(129m)。

意外と列車は混んでいて、密になってまで座りたくないので結局終点まで立つことになりました。最後尾から写真が撮れたので何枚かアップします。間もなく西気賀駅、浜名湖の向こうに見える山は根本山(129m)。

寸座駅を過ぎた直後に通るトンネル(名称不明)を抜けたところ。

寸座駅を過ぎた直後に通るトンネル(名称不明)を抜けたところ。

寸座駅を過ぎた直後に通るトンネル(名称不明)を抜けたところ。

「ゆるキャン△」にも出てくる浜名湖佐久米駅。冬にはカモメが飛び交う姿が見られることで有名な駅です。もちろん今は1羽もいません。

「ゆるキャン△」にも出てくる浜名湖佐久米駅。冬にはカモメが飛び交う姿が見られることで有名な駅です。もちろん今は1羽もいません。

「ゆるキャン△」にも出てくる浜名湖佐久米駅。冬にはカモメが飛び交う姿が見られることで有名な駅です。もちろん今は1羽もいません。

奥浜名湖駅を出たところ。右奥に富幕山(564m)の鉄塔が見えます。

奥浜名湖駅を出たところ。右奥に富幕山(564m)の鉄塔が見えます。

奥浜名湖駅を出たところ。右奥に富幕山(564m)の鉄塔が見えます。

間もなく大森駅。田園風景が広がります。この駅で降りてトキワマンサクの花を見に行ったことがありました。

間もなく大森駅。田園風景が広がります。この駅で降りてトキワマンサクの花を見に行ったことがありました。

間もなく大森駅。田園風景が広がります。この駅で降りてトキワマンサクの花を見に行ったことがありました。

大森駅からアスモ前駅まで、気持ちがいいほどどこまでも真っ直ぐな線路。

大森駅からアスモ前駅まで、気持ちがいいほどどこまでも真っ直ぐな線路。

大森駅からアスモ前駅まで、気持ちがいいほどどこまでも真っ直ぐな線路。

ハイ、新所原駅に到着、料金は660円。今回も17時17分浜松行きの電車に乗って帰宅。

ハイ、新所原駅に到着、料金は660円。今回も17時17分浜松行きの電車に乗って帰宅。

ハイ、新所原駅に到着、料金は660円。今回も17時17分浜松行きの電車に乗って帰宅。

東海道・舞坂の松並木の少し東側、今は十字路ですが、明治時代は東西、そして北への三叉路となっていました。本日はここをスタート地点にします。

前回は東海道を西から東に歩いたので、今回は北へ。

前に舞阪から浜松まで東海道を歩いた時にも立ち寄った春日大社にてお参り。狛犬ならぬ狛シカがいる神社ね。

左=西方向に舞阪駅。「今昔マップ」のいちばん古い地図は明治23年度版で、この頃にはすでに東海道線が通っていましたが、駅名は舞「坂」駅だったらしい。地下道で線路をくぐります。

明治23年にもあった宇布見橋を渡ります。湖岸が埋め立てられていなかったので当時はもっと長い橋でした。右手の奥に湖西連峰が見えています。→訂正、明治時代には「音作(おとさく)橋」という名前だったみたいです。

橋を渡った先が雄踏町宇布見。

本日1つ目の常夜燈。ちゃんと「秋葉山」と書いてあります。もともとは1845年の建立ですがちょうど100年後の東南海地震で倒壊、再建されたので上だけキレイ…ということのようです。

オシャレな醤油屋さんを発見。近所にリカープラザ・ヤマキというところがあって、ここもヤマキだから同じ経営者なのかな?とにかくそこでここの醤油を買うことができるそうです。

白山神社。左に見える秋葉山常夜燈は寛政10年(1798年)の建立、もともとは雄踏街道沿いにあったものが移されたそうです。

白山神社にはもうひとつ常夜燈がありました。すぐ南がかつての雄踏街道なので、これもそこから移されて来たんですかね?

オシャレな建物その2、清熊洋品店。ネットを見ると「ファッション(紳士服・婦人服)」と書いてありますが、はて、そんなモノが売ってましたっけ?

昔ながらの道がちゃんと遊歩道として残っていました。こういう道があると何だかウレシイですね~😍

その先の道も残っていましたが、残念ながらこちらは車が何台も通り、でも歩道はなく、ちょっとツライ区間。

でも左手には、のどかな田園風景が広がっています。

かつての道がこのあたりにあったらしく、現在の地理院地図にも実線が描いてあったので突入してみたのですが、

いやー、ヒドイ目に遭いました(笑)。

深南部でも経験したことのないレベルのヤブ漕ぎです❢ 低地の植物の旺盛さは、やっぱハンパなかったです。

台地の縁(へり)に乗りました、標高は32m。サイアクのエリアは距離にしたら10mほどだと思うんですけどね、もう半日分くらいの体力を使った感じ…😅

しばらく歩いたところに牧場がありました。

牧場主さんが作ったのかな?こんなツリーハウスが。これスゴイですね❢

この道も明治からある道。ただ、真っ直ぐ進むと県道65号・浜松環状線に合流してしまい、それじゃあ面白くないので、

現在の地理院地図にも載っているこの道を進んでみ…ようと思ったんですが、これ人のうちの軒先じゃないの?😅

実は左手で数人の方が何か農作物の収穫作業をしていました。メッチャ気まずくて絶対左を向けない(笑)。何をしてるのかと思ってるだろうな~💦

しかもさっきの写真の突き当りが三方原台地の端っこで、今度は下るんですが、ここもまた道なき道😭 でもさっきの農作業の方々がいるところに戻る勇気もなく(笑)。

這々の体で台地を下りきり、舗装路に出てきました💨 でもまぁさっきの牧場のところに登った時のヤブ漕ぎよりはだいぶマシだったんですけど。

地理院地図ではその先にも実線が続いていましたが、見たところメチャ密集した竹ヤブで絶対突破はムリ❢ 諦めて少し南西方向に進み、歩けそうな林道を見つけたのでここを歩くことにします。明治時代にはなかった道ですが、もうそんなこと言っている余裕なし😅 これこれ❢こういう道を期待していたのよ~😍

出てきた舗装路は、ちゃんと昔からあるルート。小豆餅方面へ向かう街道だったようですが、今は途中が浜松基地になっちゃってます。

浜名湖畔に下っていく道の分岐点に本日4つ目の常夜燈。「昭和十四年五月」と刻まれていました。ここは大平という集落で、「當(当)所安全」という書き方からも集落の防火を願って建てられたものと思われ。

先ほどの常夜燈から10分後、5つ目の常夜燈を発見❢ ここは赤松集落、小豆餅方面と伊左地方面の分岐点となります。これも建立年として「昭和」と書いていますが、その下の文字は読めませんでした💨

常夜燈の手前を左折、伊左地方面に向かいます。

内山鉄工所、だそうです。鍬(くわ)の修理をしてくれる店、というのを生まれて初めて見ました。

今度は内山鉄工所の手前を右折、三方原台地からまた下ります。

下った先のここは伊左地川が流れていて、三方原台地が刻まれて谷になっています。浜松西ICからイオン志都呂に向かう途中、県道65号がいったんメチャ下ってすぐにまた登る場所(「長峰」交差点)あるじゃないですか。あの場所です(誰も分からんてかw)。

小腹がすいたので伊左地川のほとりに腰掛け、おやつと一本満足バーをいただきます。

伊左地川を渡りそのまま北方向へ進むと、谷の北の端に突き当たります。ここが伊左地の町(集落というには大規模)。突き当たりを右=東方向へ曲がると、ここも明治の頃からあるステキな雰囲気の道。

いい感じなのでもう1枚。

川の上流へ向かう道と三方原台地へ登る道の分岐点に、本日6つ目の常夜燈。昭和46年建立のかなり新しいもの。

コンクリの簡易舗装を歩いて竹ヤブの間を抜けると、

3回目の三方原台地。登ってしまえば台地なので平らです。

このあたりのビニールハウスは電照菊です。割と空っぽのハウスが多かったな…。

明治時代にはなく、どうやら大正あたりにできたっぽい舘山寺街道…は今の県道48号・舘山寺鹿谷線。そのまま突っ切ります。が、

程なく県道65号・浜松環状線に合流。こちらは私が浜松に来てから開通した新しい道路。ここは歩道のさらに左に別の車道が通っていて、こちらを歩けば意外と静か。

結局100mほど歩いたところでこの「左の別の車道」は勝手に左折、65号線から離れます。私も一緒に左折。

自分の中にある三方原台地ってこんな感じのイメージ。

65号線を離れてから昔のルートを歩けなくてヨレヨレしていましたが、ここでいったん復帰。

東名高速・浜松西ICが現れました。ここをくぐるのを結構楽しみにしていたんですけど、歩いたルートからはICに関する設備とか全く見えず、別に高架道を3回くぐったというだけで特に面白いものではありませんでした💨

西ICを抜けると、また昔の道を歩けるのですが、すぐにまた歩けなくなります。と言うのも、

どーん❢ と桜台団地というのができていて、明治の頃とはすっかり状況が変わっています。なだらかだったはずの斜面は切り崩されて崖になってしまっているし…。

地理院地図の通りだとすごく遠回りなのですが、幸いここに階段があったおかげで多少はショートカットできました。

桜台に入ってからは、まったく昔の道をトレースすることはできません。でも桜台って初めて来たわ。こんなところに遠鉄ストアがあるのねー。

おっ、知久屋がある❢ 昼食はここにしましょう。

店先になぜかヤギが😅

知久屋はお弁当屋さんなので、食事と言ってもこんな感じになります。うーん、いつものコンビニ弁当とあんまり変わらんな(笑)。オムライスは529円でした。

西区大山町にはなぜか白山神社が2つあります。ここは知久屋のほぼ北にある方の白山神社、ここにはすごくリッパな龍燈(右)がありました❢ 中は空っぽだったんですけど。

白山神社のもう少し東の道は明治の頃からある道。真ん中奥に見えている階段を登ると、

ここも舗装路ながらいい感じの道💓

また台地の上に登りました。4回めですねー。

畑の向こうに、半月前に登った尉ヶ峰(433m)が見えます。

広いですがほとんど車も通らない道をのんびり歩いていると、

県道305号・金指停車場和地線と合流するところに道標を兼ねてステキなお地蔵様が祀られていました。頭に何か載っているから馬頭観音なのかな?「右 都田 秋葉山」と書かれていますが、左が読めない…。

今回進む先は都田ではないので、すぐに県道方面とは別れ、北東方向へ進みます。

4つ目にして最後の谷を下りますが、ここはそれほど標高を下げることはなく。

谷の途中に天池自然公園というところがありました。人もひとりしかいらっしゃらなくて、とても静かでいい公園です。曇りなのも助かりました。晴れた夏だと相当蒸し暑そうなので…💦

半夏生(ハンゲショウ)という草だそうですね。初めは誰かがペンキをかけたのかと思いました。

ステキな湿原です。が、一部木道の遊歩道が通行止めになっていました。

天池自然公園からほんの少しだけ登り返し、しばらく歩くと旧姫街道に合流します。現在姫街道と呼ばれている県道261号・磐田細江線よりは少し南側。で、左側に見えているのが、

六地蔵(61)です。ここの西の竹ヤブが刑場で、その霊を慰めるため、1711年に建立されたものだそうです。

姫街道に入った途端、このような標識が。さっきのステキな観音様にもぜひ案内板を設置してほしいです。

大山町白山神社の龍燈を含めると本日8つ目の常夜燈、老ヶ谷の常夜燈(64)だそうです。

ご説明。1811年建立だそうで。ここに書いてある「清水(橋)~五日市~金指~都田~宮口」のルートを6月初旬に歩きました。

明治23年(1890年)の地図にはすでに今の姫街道がかなり太い道幅で描かれていますので、この道が歩かれなくなってからすでに100年以上の時が流れているのですね…。

千日堂(65)。気賀近藤家の二代目・三代目の位牌が納められているそうです。

姫街道の一里塚跡(66)がありました。舞坂と同じく江戸から68里らしい。ここに「服部小平太が1587年に斬られた」話が書いてありますが、Wikipediaによると「桶狭間で今川義元に一番槍をつける戦功をあげた服部小平太は1595年に切腹」と書いてあり、どうやら別人というのが真相らしいです。

細江町では3~4月に姫様道中という大名行列を模したイベントがあります。それにしてもちょっと絵が薄汚れていてホラー風味。

それでその脇が姫街道という…💦 まだ午後3時なのに何だか肝試しみたいなノリになってきました…。

遂にはこんなトレイルになってしまい…。イヤイヤ、昔を偲ぶにはいい道だと思うんですけど、「チカン出没注意」という看板があったりするし、雰囲気いいのやら悪いのやら…💦 長坂(67)と呼ばれる坂だそうです。

先ほど案内板に書いてあった「服部小平太最期の地」です。もし勘違いで今川方の誰かに斬られたとしたらお気の毒としか言いようがないですね。

長坂を下り切りました。これは新谷の常夜燈。龍燈・常夜燈合わせると本日9つ目ですが、ここも中に常夜燈はありませんでした。

新谷の集落。明治の頃の新しい姫街道はここよりも南で旧道に合流していたので、戦後までこの道が主要道としての姫街道でした。その後、さらに新しい道ができたので、ここも今は静かな道です。

宗安寺跡(68)。服部小平太を祀っていたお寺です。明治の廃仏毀釈で、今は石段のほか、庭の一部と石仏が残るのみ。山門は気賀の町なかにある正明寺に移築されたそうです。

これが現在の姫街道、県道261号線です。いつも参考にしている「遠州の街道を歩こう」サイトに書いてある姫街道ルートに従い、東方向へ突っ切ります。

金山神社。今川方の城で、1568年に徳川家康によって落城したという刑部城跡(69)でもあります。

神社からは東側の田園風景を見下すことができました。

都田川まで来ました。こちらは西の下流方向。奥に赤い澪つくし橋が見えますね。

落合橋を渡れば、目的地・気賀の町です。

落合橋北詰の東側にこれまたステキなお地蔵様(73)。江戸時代中頃のものだそうで「右 はままつへ三里半 左 秋葉山道 宮口へ二里 二俣へ四里」と刻まれています。

右手方向は川の合流点。左が井伊谷川、右が都田川。井伊谷川は半僧坊道を歩いた時、都田川は自転車で三岳山に向かった時に川沿いを通りました。

天竜浜名湖鉄道の高架橋。レトロ感たっぷりです。

秋葉路を気賀から西鹿島まで歩いた時にも寄った気賀関所本番所跡(75)。

暑いなか「かき氷」の幟(のぼり)に吸い寄せられました(笑)。いちごミルク550円。本物のイチゴが散りばめられていて、これは美味でございました。

場所はここ、珈琲屋おおぎ。昭和レトロな落ち着いたお店でした。

細江神社(80)。太平洋岸の新居(関所があるところ)にあった角避比古神社の御神体が明応の大地震(1498年)でここまで流れ着き、それを祀ったのが起こりだそうです。

細江神社のリッパなクスノキ。樹高15m。主の座を争って大コウモリと大蛇の争いがあり、根元の空洞にはその時に流れた血の跡が残っているのだとか。

浜名湖の地図。湖を縦断して、この距離を流れ付いた御神体って何だかスゴイ。

20日ぶりの気賀駅です。相変わらず見た目はラーメン屋。

で、相変わらず「クリーム大判焼き」の藤田屋は営業しておらず…💦

16時17分気賀駅発新所原駅行きの天竜浜名湖鉄道に乗って帰ります。あとで気付きましたが、これ半僧坊~富幕山~尉ヶ峰を歩いて西気賀駅から乗った時と同じ時間の列車ですね。

意外と列車は混んでいて、密になってまで座りたくないので結局終点まで立つことになりました。最後尾から写真が撮れたので何枚かアップします。間もなく西気賀駅、浜名湖の向こうに見える山は根本山(129m)。

寸座駅を過ぎた直後に通るトンネル(名称不明)を抜けたところ。

「ゆるキャン△」にも出てくる浜名湖佐久米駅。冬にはカモメが飛び交う姿が見られることで有名な駅です。もちろん今は1羽もいません。

奥浜名湖駅を出たところ。右奥に富幕山(564m)の鉄塔が見えます。

間もなく大森駅。田園風景が広がります。この駅で降りてトキワマンサクの花を見に行ったことがありました。

大森駅からアスモ前駅まで、気持ちがいいほどどこまでも真っ直ぐな線路。

ハイ、新所原駅に到着、料金は660円。今回も17時17分浜松行きの電車に乗って帰宅。