旧東海道:品川宿から神奈川宿まで

2021.03.14(日) 日帰り

新しいシューズの試し履きで品川宿へ。 1月に戸塚宿まで歩いた時のスタート地点の神奈川駅を目標に歩く。 途中長い国道区間は非常に退屈だが、品川宿、多摩川から川崎宿、生麦の旧道は、当時の雰囲気が楽しめ、新たな発見でした。 午前中で23キロ。当時の旅人は、初日日本橋から戸塚宿まで約40キロ歩いたとのこと。とても敵いません。

品川宿江戸側の入口、北品川駅からスタート。

品川宿江戸側の入口、北品川駅からスタート。

品川宿江戸側の入口、北品川駅からスタート。

いつも京急が品川駅からゆっくり通過する踏切。ここから旧街道に入ります。

いつも京急が品川駅からゆっくり通過する踏切。ここから旧街道に入ります。

いつも京急が品川駅からゆっくり通過する踏切。ここから旧街道に入ります。

ここを曲がると、お台場に行けたようです。

ここを曲がると、お台場に行けたようです。

ここを曲がると、お台場に行けたようです。

品川橋。この目黒川を境に北品川宿と南品川宿に分かれていた。さすが東海道最大の宿場。

品川橋。この目黒川を境に北品川宿と南品川宿に分かれていた。さすが東海道最大の宿場。

品川橋。この目黒川を境に北品川宿と南品川宿に分かれていた。さすが東海道最大の宿場。

品川寺と書いて、「ほんせんじ」と読みます。

品川寺と書いて、「ほんせんじ」と読みます。

品川寺と書いて、「ほんせんじ」と読みます。

品川宿の外れ、立会川を過ぎたところに、鈴ヶ森刑場跡地があります。
ここに罪人達の晒し首が置かれ、江戸に入る者に対するに恐怖心を与えるに充分だったと思います。

品川宿の外れ、立会川を過ぎたところに、鈴ヶ森刑場跡地があります。 ここに罪人達の晒し首が置かれ、江戸に入る者に対するに恐怖心を与えるに充分だったと思います。

品川宿の外れ、立会川を過ぎたところに、鈴ヶ森刑場跡地があります。 ここに罪人達の晒し首が置かれ、江戸に入る者に対するに恐怖心を与えるに充分だったと思います。

八百屋お七もここで火炙りにされたそうです。

八百屋お七もここで火炙りにされたそうです。

八百屋お七もここで火炙りにされたそうです。

こちらは磔台の跡。

こちらは磔台の跡。

こちらは磔台の跡。

ここまで旧東海道が当時の道幅で残ってます。ここから第一国道に合流します。

ここまで旧東海道が当時の道幅で残ってます。ここから第一国道に合流します。

ここまで旧東海道が当時の道幅で残ってます。ここから第一国道に合流します。

現代のみち。この先特に何もなくなる。

現代のみち。この先特に何もなくなる。

現代のみち。この先特に何もなくなる。

やっと蒲田の踏切跡。だだっ広い味気ない国道が多摩川まで続きます。

やっと蒲田の踏切跡。だだっ広い味気ない国道が多摩川まで続きます。

やっと蒲田の踏切跡。だだっ広い味気ない国道が多摩川まで続きます。

多摩川到着。土手沿いの神社に六郷の渡し跡発見。

多摩川到着。土手沿いの神社に六郷の渡し跡発見。

多摩川到着。土手沿いの神社に六郷の渡し跡発見。

多摩川大橋の上。
雨上がりの快晴、鉄橋の間から富士山が綺麗です。

多摩川大橋の上。 雨上がりの快晴、鉄橋の間から富士山が綺麗です。

多摩川大橋の上。 雨上がりの快晴、鉄橋の間から富士山が綺麗です。

富士山の左は大山かな?

富士山の左は大山かな?

富士山の左は大山かな?

橋を渡ると神奈川県に入ります。

橋を渡ると神奈川県に入ります。

橋を渡ると神奈川県に入ります。

川崎側にも六郷の渡し跡の案内。

川崎側にも六郷の渡し跡の案内。

川崎側にも六郷の渡し跡の案内。

川崎駅近くに、こんな雰囲気のある道があるのは知りませんでした。

川崎駅近くに、こんな雰囲気のある道があるのは知りませんでした。

川崎駅近くに、こんな雰囲気のある道があるのは知りませんでした。

ここも旧東海道。砂子は川崎宿の中心地だったのね。

ここも旧東海道。砂子は川崎宿の中心地だったのね。

ここも旧東海道。砂子は川崎宿の中心地だったのね。

横浜市最初の一里塚。

横浜市最初の一里塚。

横浜市最初の一里塚。

鶴見川を渡ります。

鶴見川を渡ります。

鶴見川を渡ります。

一度来てみたかったところ。大正のころの建物だそうです。

一度来てみたかったところ。大正のころの建物だそうです。

一度来てみたかったところ。大正のころの建物だそうです。

鶴見線国道駅。戦前からほとんと変わっていません。

鶴見線国道駅。戦前からほとんと変わっていません。

鶴見線国道駅。戦前からほとんと変わっていません。

東海道側から。アメリカ軍機の機銃跡があると聞いていたが、よく分かりません。国道側かもしれません。

東海道側から。アメリカ軍機の機銃跡があると聞いていたが、よく分かりません。国道側かもしれません。

東海道側から。アメリカ軍機の機銃跡があると聞いていたが、よく分かりません。国道側かもしれません。

生麦事件の碑。事件現場は過ぎてしまった…。イギリス人が薩摩藩の大名行列に対して下馬せず、さらに警告後も下馬しなかったため、無礼打ちにした事件。薩英戦争まで発展したが、大名行列の作法を知らなかったイギリス人にも非があると思うけど。

生麦事件の碑。事件現場は過ぎてしまった…。イギリス人が薩摩藩の大名行列に対して下馬せず、さらに警告後も下馬しなかったため、無礼打ちにした事件。薩英戦争まで発展したが、大名行列の作法を知らなかったイギリス人にも非があると思うけど。

生麦事件の碑。事件現場は過ぎてしまった…。イギリス人が薩摩藩の大名行列に対して下馬せず、さらに警告後も下馬しなかったため、無礼打ちにした事件。薩英戦争まで発展したが、大名行列の作法を知らなかったイギリス人にも非があると思うけど。

神奈川宿の中心、今回の目的地神奈川駅到着。

神奈川宿の中心、今回の目的地神奈川駅到着。

神奈川宿の中心、今回の目的地神奈川駅到着。

品川宿江戸側の入口、北品川駅からスタート。

いつも京急が品川駅からゆっくり通過する踏切。ここから旧街道に入ります。

ここを曲がると、お台場に行けたようです。

品川橋。この目黒川を境に北品川宿と南品川宿に分かれていた。さすが東海道最大の宿場。

品川寺と書いて、「ほんせんじ」と読みます。

品川宿の外れ、立会川を過ぎたところに、鈴ヶ森刑場跡地があります。 ここに罪人達の晒し首が置かれ、江戸に入る者に対するに恐怖心を与えるに充分だったと思います。

八百屋お七もここで火炙りにされたそうです。

こちらは磔台の跡。

ここまで旧東海道が当時の道幅で残ってます。ここから第一国道に合流します。

現代のみち。この先特に何もなくなる。

やっと蒲田の踏切跡。だだっ広い味気ない国道が多摩川まで続きます。

多摩川到着。土手沿いの神社に六郷の渡し跡発見。

多摩川大橋の上。 雨上がりの快晴、鉄橋の間から富士山が綺麗です。

富士山の左は大山かな?

橋を渡ると神奈川県に入ります。

川崎側にも六郷の渡し跡の案内。

川崎駅近くに、こんな雰囲気のある道があるのは知りませんでした。

ここも旧東海道。砂子は川崎宿の中心地だったのね。

横浜市最初の一里塚。

鶴見川を渡ります。

一度来てみたかったところ。大正のころの建物だそうです。

鶴見線国道駅。戦前からほとんと変わっていません。

東海道側から。アメリカ軍機の機銃跡があると聞いていたが、よく分かりません。国道側かもしれません。

生麦事件の碑。事件現場は過ぎてしまった…。イギリス人が薩摩藩の大名行列に対して下馬せず、さらに警告後も下馬しなかったため、無礼打ちにした事件。薩英戦争まで発展したが、大名行列の作法を知らなかったイギリス人にも非があると思うけど。

神奈川宿の中心、今回の目的地神奈川駅到着。