山内竜太
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- 大阪, その他で活動
- 1982年生まれ
- 大阪にお住い
- 男性
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思い出の山③ 【大学3年の登山研修】 2004年6月9日-6月15日、8月23日-30日 文登研(国立登山研修所)での大学生研修に参加した時の様子です。この研修は本当に濃密な時間でした。 全国から大学生が集まって、班ごとに剱岳周辺で研修を行います。講師はトップクラスの山岳ガイドや山岳警備隊の方々。技術の取得だけでなく、同じチームとして各大学の風習や価値観をいっぱい学びました。 一番印象に残っているのは“本音の付き合い”を大切にしたチームワークづくり。まだ付き合いの浅い仲間たちと互いの意見を言い合える環境は、危険を伴う研修で信頼関係を築き、安全登山やリスクの軽減につながる事を学びました。 研修での学びは部活に持ち帰り、仲間や後輩たちと新しい価値観の創造へと発展していきました。そして何より、今の自分の仕事につながる大きな機会になったことは間違いありません。
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思い出の山② 【大学2年のソロ山行】 2003年8月25日-9月9日 夏合宿の後、あちこち寄り道しながら一人で上高地から欅平まで縦走しました。とにかくザックが重かったです;全ての食料を最初から担いで歩きました。基本は生米です。アルファ米やフリーズドライ食は高かったので、野菜の他に乾物や缶詰も持参しました。後半は食料も尽き、道ゆく人に山小屋の弁当を恵んでもらいながら歩きました。 宇奈月温泉に降りるまで現金を引き出せません。お金が尽きて、最後は阿曽原温泉でビールを飲むか欅平でお風呂に入るかの選択肢になりました。笑 この山行で一番思い出に残ったのは、薬師沢小屋の小屋番だった坂本心平さんに出会った事。増水で橋が流されて、薬師沢小屋で足止めを食らった時でした。 水が引くまで小屋で休ませてもらい、温かいお茶を頂いて雨が止むのを待ちました。結局その日は橋が掛けられず、薬師沢小屋での停滞を強いられました。テント場のない薬師沢で、僕は小屋の宿泊代を持ち合わせていませんでした。 学生に宿泊代は可哀想にと、心平さんの配慮で特別に軒先で張らせてもらえることになりました。でもせっかくの機会なので小屋飯にあやかりたいと思い交渉。後日振込で泊まらせて頂くことになりました。 夕食は…それはもう豪華でした(´∀`) 近くで採れたツガ松茸の炊込みご飯、ビーフシチュー、コロッケや山野草などの天ぷら、お浸しや数々のおかず…もう最高のご馳走でした。 この日の宿泊者は自分を入れて5人ほど。食べ切れないからと、年配のご夫婦が自分達のおかずを分てくれました。もうお腹いっぱい過ぎて幸せでした(*´-`) 夜も老けて(まだ20時前ですが)、ランプの灯で歯磨きしていると、小屋番の心平さんが食堂に手招きしてくれます。「良かったら一緒に飲みませんか?」 これには心を打たれてしまいました(*´ω`*) 結局、夜遅くまで小屋の皆さんとご一緒させて頂きました。本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。その後も心平さん家に遊びに行ったりと、今もお付き合いをさせてもらってます。 山での出会いは素晴らしいですね! いつも新鮮な気持ちになります。 馴染みのお客さんたちと山に行っても、毎回新しい出会いがあります。みんな開放的な気分で山を楽しんでいるように思います。いろんな方とお知り合いになれたら幸いです。僕も心平さんのように分け隔てなく触れ合えたらいいなぁと思いつつ、山に登らせてもらってます。
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思い出の山① 【大学2年の夏合宿】 2003年8月10日-8月18日 自分にとってのテント山行を振り返ってみたら、やっぱり学生の頃の夏合宿が印象的でした。あの頃は山小屋に泊まる選択肢は全くなくて、今みたいに装備が軽いわけじゃないから体力勝負的な面がありましたね。 2年生の夏合宿は立山室堂から入山し、雷鳥沢、五色ヶ原、スゴ乗越、太郎平、雲ノ平、双六、槍平、そして高山駅でステビバするっていう行程でした。 ※ステビバ(ステーションビバーク)、要は駅でゴロ寝。 奈良から18切符で富山に向かいました。けっこう雨の多い山行でしたね。でも心底楽しかったです。自分が2年なんで、後輩もできたし、リーダーは3年がやってくれるし。中間管理職みたいなポジションでした。笑 この時期の部員は、先輩も後輩も思った事は口に出せる間柄でした。風通しがいいって言うか、互いを尊重し合いながらも本音で語り合える仲間でしたね。 槍に登る途中、先輩達が「これが最後のピークやなぁ」って言ってたのが心に残りました。自分たちもいずれ引退して、卒業後は社会人になっていく様子がなんとなく想像できました。 あれから15年余り。 自分は今も変わらず山に登ってます。 本当にありがたい事だと思います。
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