hancho_tks
ユーザーID: 1166447
- 大阪, 奈良, 三重で活動
- 1967年生まれ
- 大阪にお住い
- 男性
- + 2枚7206
【金剛バス関連の情報 2023.11.30.付】 【2023.12.06.追記あり】 本日、2023年11月30日(木)更新の千早赤阪村のウエブサイトに、金剛自動車株式会社(金剛バス)廃業日の翌日12月21日(木)からの、新たな交通サービスの情報が公開されています。 ウエブサイトによれば、金剛登山口へ向かう千早線は、「近鉄 富田林駅⇔千早赤阪村立中学校前」間を、南海バスと千早赤阪村が50人乗り程度の大型バスで運行し、「千早赤阪村立中学校前⇔金剛登山口」間を、千早赤阪村が20人乗り程度の小型バスで運行するとあります。途中で乗り換えは生じますが、富田林駅から金剛登山口までの足は、なんとか確保されるようです。ただし、ロープウェイ前までは行きません。ダイヤと運賃は、12月6日(水)に公開予定とあります。 また、千早線の水越峠(R309旧道)へ向かう路線に関しては、「当面の間、代替交通は確保いたしません。」とあります。「当面の間」という表現に、将来に向けての僅かばかりの希望を持ちたいです。なお、水越峠への路線は、現状で土日祝のみの運行ですので、12月17日(日)が最終運行日となります。 画像は、リンク先の千早赤阪村ウェブサイトのものです。 https://www.vill.chihayaakasaka.osaka.jp/topics/8577.html このモーメントは、一定期間経過後に削除しますのでご了承ください。 (2023.12.06.追記) ダイヤと運賃が発表されました。当面は金剛自動車(金剛バス)時代の運賃が引き継がれるようです。 このモーメントの末尾に、富田林駅前発・金剛登山口発の各出発時刻表と、途中のバス停の到着時分がわかるダイヤ表を追加しました。いずれも千早赤阪村のウエブサイトで公開されているものです。上下便とも途中の千早赤阪村立中学校前で乗り継ぎが必要です。また、土日祝・平日とも同じダイヤです。 一方、水越峠までのバス路線は無くなりますが、途中の東水分(ひがしすいぶん)バス停まで通じていた別のバス路線は、便数は少ないものの継続します。終点の東水分バス停から徒歩約4kmほどで、旧水越峠バス停にアプローチできます。 ↓参考(東水分バス停→旧水越峠バス停 3.9km) https://www.google.com/maps/dir/34.4545774,135.6454734/34.4429321,135.6786658/@34.4514921,135.6582756,1808m/data=!3m1!1e3!4m2!4m1!3e2?entry=ttu
- 1173
現在、大阪府が「千早赤阪村に関するアンケート」及び「金剛山までのアクセスについてのアンケート」の2種類のアンケート調査を実施しています。金剛山ロープウェイに関する事項も含まれています。回答期限は、令和5年6月25日(日曜日)までです。WEB上で回答できますので、金剛山LOVEな皆様方におかれましては、少しでも興味がおありでしたら是非とも回答をお願いいたします。 祈 金剛山ロープウェイ運行再開 https://www.pref.osaka.lg.jp/midori/midori/chihaya_survey.html 写真はイメージです。 アンケート期間は終了しました。ありがとうございました。2023.06.26.追記
- + 3枚8184
金剛山 「モミジ谷ルート(モミジ谷道)」の過去の変遷について、昔の登山地図を見ながら自分勝手に語ってみたいと思います。 1990年 山と高原地図 1994年 山と高原地図 2000年 山と高原地図 2005年 山と高原地図 2007年 山と高原地図 2009年 山と高原地図 2015年 山と高原地図(ダウンロード版) 2022年 山と高原地図(ダウンロード版) の8つの「金剛・葛城」地図から「モミジ谷ルート」の要部を拡大しました。 まずは、じっくりと地図の変遷をご覧いただきまして・・・。 金剛山のモミジ谷ルートは、その上流部で文字どおり、モミジの葉っぱのように多数のルートに分岐します。 現在、一般的に知られている範囲で、少なくとも第四堰堤よりも上流側で分岐する主なルートとしては、 【第五堰堤右(モミジ谷本流)】 ①モミジ谷本流(沢)ルート/第六堰堤右右 ②モミジ谷本流(尾根)ルート/第六堰堤右左 ③モミジ谷旧本流(餌場)ルート/第六堰堤左右 ④モミジ谷旧本流(灯籠)ルート/第六堰堤左左 ⑤モミジ谷第六堰堤左尾根ルート/第六堰堤を越えてすぐ左 【第五堰堤左(旧モミジ谷)】 ⑥旧モミジ谷(沢)ルート/第五堰堤左右右 →灯籠 ⑦旧モミジ谷(尾根)ルート/第五堰堤左右左 →灯籠 ⑧旧モミジ谷(鳥居)ルート サネ尾合流/第五堰堤左左 →鳥居 ⑨第五堰堤左サネ尾直登ルート/第五堰堤を越えてすぐ左 【第四堰堤すぐ右】 ⑩第四堰堤右狼尾根合流ルート/第四堰堤を越えてすぐ右 一般の人?が通常の装備?でアタックできるのは、ざっと上記したぐらいではないかと思います。ただし、さらに細かな派生ルートやさらに難易度が高いルートまで含めるならば、他にもあるかもしれません。 ルートの名称は、既に多くの方々が使っておられる呼び名を踏襲しておりますが、一部個人的に名付けたものを含みます。できる限り誤解が生じない名前にしたつもりですが、他に正式な名前があることが判明した場合は修正いたします。 さて、過去の地図を見てみるとどうなのか・・・。 情報を書き足すことがありますので、興味がある方はちょくちょく覗いてみてください。
- 386
【過去の地図からモーメント】 金剛山登山地図の新旧比較です。 比較するのは、昭文社の山と高原地図 1990年版 2015年版(ダウンロード版) 2022年版(ダウンロード版) の3つです。千早登山口付近を拡大しました。 【長文です。興味のある方のみどうぞ。】 各年の写真中では、 ①妙見尾根・ババ谷エリア ②念仏坂・地蔵尾根(細尾)エリア ③寺谷源流エリア の3つのエリアを色分けして設定しています。 赤の実線は登山道(一般路)、赤の破線は登山道(難路)、黒の破線は小道を示しています。 まずは、じっくり見ていただきまして・・・。 1.当時の環境 まず、全般的なお話として、2022年版で登山道てして記載されている多数のルートのうち、千早本道や黒栂谷道、念仏坂、ダイトレといったメインルート以外のほとんどのルートが、1990年版では「難路」として記載されています。スマホのみならず携帯電話自体が普及していなかった当時(ショルダーホンと呼ばれる肩掛け式の携帯電話がかろうじて実用化されていました)、現在のようなGPS機能は、個人レベルでは使う手段がありませんでした。このような環境下で、当時は、メインルート以外の難路で登っている人はそれなりの経験を積んだ方々だと、一般的には認識されていたように記憶しております。 2.赤枠①の妙見尾根・ババ谷エリアについて 赤枠で囲んだ①のエリアについて、1990年の地図では文殊尾のルートの麓側の取り付きが、2ルートに分かれています。 一つは百ヶ辻のバス停付近に直接繋がる尾根ルート。これは現在「文殊西尾根ルート」と通称されているルートですが、2015年の地図では薄く黒い破線で示す「小道」に格下げ、2022年の地図では削除されています。1990年の地図上では、このルートに「(文殊)中尾」の表示がありますが、逆に、1990年の地図では、2022年現在「文殊中尾根(穴熊)」と通称されているルートは記載されていません。 もう一つは文殊尾の中腹から念仏坂へ向かって急勾配で降りるルート。1990年の地図上では「(文殊)東尾」の表示があり、これは、若干の位置ずれはあるものの、2022年現在「文殊東尾根」と通称されているルート(通称:ハードコース)にほぼ一致します。ただし、2015年の地図では、「文殊東尾根(ハードコース)」は、「小道」に格下げされていました。ここには写真を上げていませんが、手元の2009年の地図でも、「文殊東尾根(ハードコース)」は登山道としては表示されていません。 赤枠の①のエリアに関し、文殊尾以外に気になる点は、妙見尾根です。1990年の地図上では、妙見尾根が「小道」として黒い破線で描かれているのに対し、後年の地図では妙見尾根の記載は削除されています。逆に、ババ谷系統のルートは1990年、2015年の地図には記載されていませんが、2022年の地図には、長年にわたってマイナールートであったババ谷が突如として現れました。 3.青枠②の念仏坂・地蔵尾根(細尾)エリアについて 青枠で囲んだ②のエリアについて、1990年の地図では、地蔵尾根(細尾)が、「小道」として黒い破線で描かれているのに対し、後年の地図では地蔵尾根(細尾)のルートは削除されています。 また、青枠②の上寄りの部分、細尾谷ルート(シルバーコース)、馬の背ルートに関して、1990年→2015年→2022年の順に比較すると、 細尾谷ルート(シルバーコース):難路→一般路→難路 馬の背ルート:難路→削除→一般路 と、それぞれその扱いが混迷している点がうかがえます。 あと、余談ですが、2022年の地図では、金剛山ロープウェイが運休中であることが、地図上にも明確に示されるようになりました。そのうち、廃止の文字に変わるのでしょうか(かなし)。 4.緑枠③の寺谷源流エリアについて 上述のように、細尾谷ルート(シルバーコース)、馬の背ルートの扱いが混迷しているのに加え、寺谷ルートの扱いも、過去に混迷しています。 寺谷ルートに関して、1990年→2015年→2022年の順に比較すると、 寺谷ルート:難路→削除→一般路 と変遷しています。また、寺谷ルートの源流部分は、現在では、途中の水飲場付近から文殊さまに向かって急坂の直登ルートになっていますが、1990年当時は、水飲場付近を直進してさらに谷を詰めて、寺谷の源流部で金剛山遊歩道に合流するルートが、地図上ではメインルートになっています。この源流ルートは現在も通行可能ですが、利用する人が少なくやや荒れた状態となっています(テープの目印あり)。 ちなみに、台風災害で寺谷ルートが通行止めになっていたのは、2018年9月〜2020年6月までですので、上記のルート変遷には影響していません。 あと、細かい話ですが、細尾谷ルート(シルバーコース)の金剛山遊歩道への取り付き部分が、西へ東へと地図改訂の毎に変化している点も見て取れます。・・・マニア的には、何が原因なのか気になったりもします。 今回のモーメントは以上です。また、気が向けば別のエリアのルートの変遷についても述べてみたいと思います。こんなの読む人いるのかな・・・(滝汗)。 モーメントのコメント欄はオープンですが、いただいたコメントは、ある程度の期間経過後に削除しますのでお許しください。
- 266
【過去の地図からモーメント】 先頃、自宅の押し入れの奥から「2009年版 山と高原地図 金剛・葛城」が発掘されました。 その2009年版の地図から、金剛山の要部を写真でアップします。また、写真2枚目は、私が普段使っている「同2015年ダウンロード版(そろそろ更新するべきかw)」の同じエリアです。 2つの写真を見比べると、2009年版には示されていた「石ブテ尾根ルート」の破線が、2015年ダウンロード版では消滅してますね。あと、よく見ると、「文殊中尾根ルート」の尾根筋への接続部が2009年から2015年にかけて変化してますね。ほかにも根気よく探すと、いろいろ変化している箇所がありそうです。 青ケース時代(20世紀時代)の旧版 山と高原地図も、押し入れの何処かにあるはずなので、発掘作業を続けます。
- 1