後三年の駅
金峰山・男亀森・女亀森・真人山
(秋田)
2025年03月31日(月)
日帰り
というタイトルを見て笑うのはよっぽど東北か武士の歴史に詳しい方だけだと思います。
ということで今回のテーマは、平安時代に起こった後三年合戦(後三年の役)。東北と武士の歴史を考える上で重要な戦いだったんですがどの程度の知名度なんでしょう?
時は11世紀の中頃、鎌倉幕府が開かれる100年ほど前の岩手県(陸奥国)で、安倍氏という豪族が朝廷に対して反乱を起こします(前九年合戦)。
朝廷は反乱を抑えるために源頼義・源義家(親子です)を派遣しました。
源親子は東国の武士団を引き連れ、出羽国(秋田県ですよ)の豪族だった清原氏の協力をあおぎ、反乱を鎮圧させました。(ちなみに鎮圧まで12年程かかってます。前九年ってのは盛岡にある地名です。)
前九年合戦によって阿部氏は滅亡、東北で一番強大な豪族は清原氏になりました。
でも今度は清原氏の跡継ぎ争いが発生してしまい、今度は出羽国が内乱状態になってしまいます。
ここで出てきたのがさっきの源義家(通称・八幡太郎義家)。
義家は朝廷の許可を得ずに勝手に東国の武士を率いて出羽国の内乱に介入していきます。東北各地で四年間にもわたる大きな戦いとなり後三年合戦と呼ばれるようになりました。(後三年も秋田にある地名なんです、ややこしい!!)
この戦いに勝った方の清原氏が、氏を藤原と改めました。これが平泉で栄えた奥州藤原氏となりました(めでたしめでたし)。
といかなかったのが、八幡太郎義家くん。
勝手に戦争を起こしたということで朝廷から物凄く叱られ、褒美を貰えませんでした。
義家に従って従軍した東国の武士は朝廷から褒美をもらえると思っていたのでみんながっかりです。
そんな武士たちに、義家は自腹を切って褒賞を与えました。武士たちはそれに厚く感謝し、源氏に対する忠誠を誓うようになりました。
後三年合戦から百年ほど経ったあと、義家の玄孫にあたる源頼朝が鎌倉に幕府を開きました。
なんで頼朝が京から離れた鎌倉、東国を拠点にしたかというと、義朝のバックに義家時代からの強力な源氏応援団がいたからなんです。
ということで、前九年・後三年合戦ともに源氏の台頭に大きく影響を与えた戦いなんですね。そして東北各地で長年にわたって繰り広げられた戦いですから、東北の歴史を語るうえで欠かせないんですよ。
今回はそんな後三年の役に、じゃなかった後三年の駅に行ってきます!!