不入山・久井谷山(徳島)
2026.05.18 (月)日帰り
山へ入る朝というものは、時に妙な勢いで決まる。
「今日は軽く歩く程度にしておこう」と思っていた。ところが気がつけば、奥槍戸から槍戸アルプスの稜線へ入り、不入山を越え、権田山まで歩いていたのだから、人間の決意ほど当てにならぬものはない。
登山道にはツキノワグマの看板が立っていた。「ボクの生息地です」と妙に親しげに書かれているが、こちらとしては「できれば会いたくない」としか言いようがない。しかし、その看板の向こうに広がっていた山々を見れば、なるほど熊でも住み着きたくなる訳である。
稜線へ出ると、一気に空が広がった。新緑は風に揺れ、遠くには次郎笈と剣山がくっきり浮かんでいる。空気が澄み切っていたのだろう。四国の山は深く静かだが、時折こうして、とんでもなく大きな景色を不意に見せてくる。
もっとも、この縦走は景色だけで楽をさせてくれる山ではない。登っては下り、その先にまた次のピークが現れる。見えている山へ着けば終わりだろうと思うたび、更に向こうの尾根が続いている。山というものは、時々こちらの都合をまるで聞かぬ。
それでも、不入山から権田山へ続く稜線は素晴らしかった。乾いた草原、白く朽ちた木、深い緑の谷、その向こうへ幾重にも重なる山並み。歩きながら、自分がどこまで来たのか少し分からなくなるほどだった。
そして権田山へ着いた頃には、感動より先に「やっと着いた」という安堵が口をついた。絶景というものは、案外こういう疲労の先にあるからこそ、余計に美しく見えるのかもしれない。
帰りの稜線では、景色を眺める足取りも少し静かになっていた。西へ傾いた陽が山肌を柔らかく照らし、長かった一日も静かに終わろうとしている。草原を渡る風だけが相変わらず気持ちよく、この山の時間を名残惜しそうに引き延ばしていた。