祭畤山 触らぬ神に
栗駒山(須川岳)・秣岳・虚空蔵山
(宮城, 秋田, 岩手)
2024年02月12日(月)
日帰り
岩手県一関市の祭畤山(まつるべやま)。
栗駒山の外輪山で「神霊を鎮める祭りの庭」(芳門申麓『岩手の地名百科』、1997)とされる里山です。
山も怖かったけど別の意味でも怖いなと思ったので、杞憂とは思いつつ書き留めておきます。
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【2月12日】
まつるべスノーランドのゲレンデトップから入山。
1000mに満たない里山だが、核心部が二箇所ある。
まずは650m付近の渡渉。上流のスノーブリッジは貧弱極まりなく、結局倒木を頼って渡ることに。
そして900-950mの急登。傾斜はえぐいわ踏み抜きまくるわで凶悪そのもの。
随所でルーファイの判断が試されて面白かった。
登り詰めれば、見渡す限りの無垢な雪原。なるほど、この頂きはあまりにも神座にふさわしい!
隊長がショベルで祭壇を切り出し、熱々のチキンラーメンをお供えした。
雪山のチキラーには神とて抗えまい。
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ここ祭畤山には、坂上田村麻呂が討伐した蝦夷の首が祀られているという伝承が残されています(小野寺啓『伝説の骨寺』;両磐地区広域市町村圏協議会ウェブサイト参照)。
無雪期の山頂では、約8000年前の祭壇とされる石組みの「縄文遺跡」を鑑賞できるのだそう。案内看板曰く「アジアの歴史を根底から書き変えるべきことを求める超国宝級の遺産」(!)。
しかしこれは市井の好事家が書いたもので、出典も何も示されていません。科学的には眉唾であることを念頭に楽しむ分にはいいでしょう。
一方で、それが独り歩きすることの危うさもあります。例えば「アテルイの首塚」のケースです(馬部隆弘『由緒・偽文書と地域社会 北河内を中心に』、2019)。
ここ一関市に隣接する奥州市には、かつて阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)が率いる蝦夷の一族が暮らしていました。朝廷の侵略に対して長年抵抗を続けていましたが、9世紀には一族ごと投降に追い込まれ、坂上田村麻呂の懇願むなしく斬首されたと伝えられています。
具体的な処刑地を断定できる史料はなく、大阪府東部の「どこか」以上のことは分かっていません。ところが、大阪府枚方市には「伝 阿弖流為 母禮之塚」という石碑が存在し、アテルイの首塚として崇められています。
事の発端は1979年、「アテルイが夢枕に立った」というある一市民の主張から始まりました。彼女がアテルイとモレの処刑地であるとして勝手に祀り始めた公園の一角は、徐々に厳かな雰囲気を醸しはじめ、河北新報が報道したことでさらに知名度を上げていきます。
最終的には自治体も便乗し石碑を建立、何の裏付けもないまま「史実」として学校教育や郷土史に採用される事態となりました(後に撤回)。
その背景にあったのは「事実か否かということよりも、町おこしに使えるか否か」という損得勘定です(馬部隆弘『椿井文書ー日本最大級の偽文書』、2020)。
「偽史」はそれを欲する人、利用する人がいることで「正史」に成り変わってしまうでしょう。
東北には数多の歴史ロマンが眠っているだけに、枚方市の事例は他山の石としたいものです。