有馬温泉~裏六甲縦走
六甲山・長峰山・摩耶山
(兵庫, 大阪)
2023.11.27(月)
日帰り
有馬温泉から、落葉山、灰形山、湯槽谷山を結ぶ尾根道は、裏六甲縦走路とも、有馬三山とも呼ばれている
今日はその裏六甲を有馬三山から石楠花山まで歩いた
本日も美しい紅葉を随所で見れたが、天候が悪かったのが残念だった😔 数日前の🌅ピーカン予想は何処に行ったのか😤
有馬温泉:
日本書紀から紐解けるほど古い歴史を持つ有馬温泉には、歴史上の有名人物が数多く訪れている
その中でも一際知名度の高い人物は「太閤」こと豊臣秀吉である
最初に彼が有馬温泉に浴したのは、別所氏当主長治が自害し、三木城が開城した天正8(1581)年 の2月。秀吉は有馬温泉で、城攻めによる疲労のため深く眠りこけたという
その後信長が本能寺の変で斃れ、明智光秀や柴田勝家、徳川家康ら敵対勢力と争いを繰り広げている最中であっても、秀吉はしばしば有馬を訪れていた
天正17(1590)年9月に行われた「有馬大茶会」は、同年2月に小田原北条氏を下し、7月に伊達政宗ら奥州の諸将への所領与奪を実行。名実ともに天下人として実施した
その後、慶長元(1594)年には大がかりな別荘「湯山御殿」を建てさせるなどしたが、慶長3(1596)年7月に発生した「慶長伏見地震」によって全壊
有馬の湯屋や民家も大きな痛手を負い、温度が急激に上昇したため温泉を利用することができなくなってしまった
この事態を重く見た秀吉は直ちに復旧を行うと同時に、一年間にも及ぶ大規模な改修工事に乗り出した
災害などで泉源が破壊されることを防ぐため、松の丸太を組み合わせ、隙間に粘土を硬く詰め込むなどして厳重に保護。更にはすぐそばを流れていた六甲川の氾濫による被害防止のため、その向きを変えるなどした
これにより有馬の地が水難に苦しめられることはなくなり、泉源はその後350年間改修工事を行う必要がなかった
六甲履歴書:
六甲山縦走(西側)
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