倉岳山・高畑山・九鬼山(山梨,神奈川)
2026.07.18 (土)日帰り
三連休の初日。
天候が不安定との予報だったので、あまり真面目に計画を立てていなかった。
道志山塊と秋山山稜をつなぐピークが未踏峰で残っていたので、そちらへ向かうことにした。
最寄りのバス停「無生野」は、上野原市秋山地区(旧秋山村)の西端に位置しており、すぐ隣は都留市。そんな場所である。
交通手段は上野原駅から「無生野」行きのバスに乗ることになる。1日一往復(行楽シーズンの土休日は二往復)というバスで運賃は1030円。上野原市のデマンドタクシーの方が、はるかに便数も多く、500円で市街地に出られることを考えると、地域住民からしたら存在意義のよく分からない路線なのかもしれない。
多くのハイカーを乗せた鶴峠行きのバスを見送り、無生野行きのバスにのる。8時47分、定刻通りに発車。乗客は自分を入れて2名だ。
上野原駅を出るとほどなく、県道35号線をたどる。当初から離合困難な区間が続き、路線バスが走るにはなかなかドキドキする。途中でいったん旧藤野町エリアに入ると、神奈中の奥牧野バス停が見えた。
旧秋山村エリアに入ると、道が急に良くなった。中央リニア新幹線の建設に伴い、道の整備が進んだという。それでもバスはたまに道をそれ、狭い旧道に入っては待つ人もいないバス停をかすめるように走る。
終点の無生野まで乗り通したのは、けっきょく自分のみだった。転回する場所もないので、バスは走り去っていった。意外に民家はあるが、果てまで来た感はある。
バスの後を追うように登山口へ向かう。しばらく歩くと、バスの転回スペースを発見。そばには赤鞍ヶ岳登山道の文字が。だったらここまでのせてくれればいいのに、と思う。
しばらく歩くと雛鶴神社が見えてきた。朱塗りの橋が印象的な小綺麗な神社だ。ちょっと寄っていこう。
説明看板を読むと、雛鶴姫という単語が見え、思わず興味津々。
雛鶴姫は、南北朝時代、後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王の側室で、「南の方」とも呼ばれていた。
親王が京都や各地で幕府方と戦っていたころからそばに仕え、やがて親王の子を身ごもることになった。
鎌倉倒幕の立役者だった護良親王であったが、足利尊氏の台頭により鎌倉で幽閉され、ついに殺害されてしまった。
雛鶴姫は、親王の首級を密かに受け取り、従者たちとともにこれを抱いて京へ戻ろうと決意し、鎌倉から山中へと落ち延びていきます。
一行は津久井や青山方面を経て、相模と甲斐の境の険しい峠にたどり着きます。 姫が首級を抱いて涙ながらに越えたとされるこの峠が、後に「雛鶴峠」と呼ばれるようになったと伝えられている。
峠を越えて甲斐国側の山村・無生野に入ったとき、姫はすでに身ごもっており、飢えと寒さと疲労で衰弱していた。
頼る家もなく、宿を乞うてもなかなか受け入れてもらえず、「なんと無情な野よ」と嘆いたことから「無生野」という地名になったという。
が、さすがにこれは失礼で創作のたぐいだろう。親父ギャグは好物なので書いてしまったが…。
雛鶴姫は何とか出産こそしたものの、母子ともに弱り切っており、長く生きることはできなかった。 村人たちは、その身の上を深く憐れみ、雛鶴姫と皇子、そして護良親王の霊を手厚く葬り、やがて神として祀るようになったという。
こうして、無生野には雛鶴姫の塚や、従臣にちなむ「供の松」などが伝えられ、現在の雛鶴神社の信仰につながっている。
かくいう私も、雛鶴姫という名の女性が残した挿話には強い印象が残ったのでした。
…県道35号線の旧道に入り登山口へ。これまた狭い道であったが、道端に「路線バス通行注意 富士急バス」の看板が、かつてはこの道を走ってたのか。乗客も恐怖を覚えそう。
ハイキングコースのスタートは雛鶴隧道というトンネルのそばから始まっている。トンネルは現在、通行禁止で入ることはできない。非常に雰囲気が過剰であることから、心霊スポットとしても一部界隈では有名で、足利氏の咎を恐れた無生野の人たちが雛鶴姫を助けず、非業の最期を遂げて以来、この付近では女性の泣き声が聞こえるようになったというアナザーストーリーもあったりする。「なんと無情な野よ」はコチラから来ているのかも…。
山行の途中、都留市側の方に建物が見えた気がした。リニア中央新幹線の朝日車両基地だろうか?
…京を目指し、無生野に倒れた雛鶴姫の名を冠した峠の地下を品川〜新大阪を67分で結ぶリニア中央新幹線が走り抜ける。リニアで国土が縮む一方で、この山深い自然に囲まれた無生野の地はいつまで残るのだろうか。そんな事を考えた一日でした。
本日の日帰り温泉は、「天然温泉 仙川湯けむりの里」でした。