熊野古道 奥辺路(高野山→熊野本宮大社)
熊野古道 小辺路
(奈良, 和歌山)
2026年04月25日(土)〜26日(日)
2日間
熊野古道 奥辺路を1泊2日で踏破した。
奥辺路は、高野山から護摩壇山、龍神温泉、果無越えを経て、本宮大社へ至る世界遺産未登録の幻の古道。
https://dragongodvillagejapan.com/okuhechi
小辺路を踏破した際にその存在を知った。
https://yamap.com/activities/30771327
情報が限定的で、先行者の活動日記が参考になった。
宿と食事処は殆ど無いため、3日分の食料とテントを担いで歩いた。水は自販機で少し省けた。
2026年初のテント泊、久々で不要な物も持参してしまった。腰荷重できるザックとはいえ、やはり重い。
奥辺路は全般的に、舗装路は足が痛くなるし、山道は踏み跡が少ない柔らかな道で獣道も多く迷いやすい。
1日目:曇のち晴、前日は雨
橋本駅に前泊。5:42 橋本→ 6:30 高野山を電車、6:35 高野山駅前→ 6:45 大門をバスで移動した。
大門の前で地元の方に声を掛けられ、頑張ってと励まされた。有り難く幸先がいい。
暫く高野龍神スカイライン(国道371号)と他の道を交ぜて歩き、龍神集落まで南下する。
最初に苦労したのは、新子から箕峠へ抜ける道。
舗装路は自然に還りそうな程に植物が生える。
倒木だらけで進み難いのは、物好きなハイカーしか通らないからだろう。山道も不明瞭の斜面をピンクテープを手掛かりに登った。
続く林道のような道では一箇所完全に崩落していて、その緩んだ斜面を上にトラバースして慎重に横切る。
通過後、スカイラインに合流。白口峰には入口にザックをデポしたが、白口峰を越えて進むのが奥辺路の正規ルートらしい(地図にルート無し)。
ここから護摩壇山まで退屈なスカイラインが続き、後ろからバイカーにひっきりなしに追い抜かれる。
何故こんな所を歩いているのか、自問自答する。
道の駅ごまさんスカイタワーに到着。昼食も兼ねた休憩を取る。閉店中のレストランはスペースが開放され休憩できる。
エネルギー補充し、護摩壇山と龍神岳に登った。石で整備されて歩き易い。
護摩壇山は平維盛の伝説が残る山で、龍神集落に落ち延び平家の運命を占うため護摩焚きしたと云う。
維盛は平家物語を通じて個人的にも好感を持つ。当時から愛されていた人物なのだろう。
五百原を通過し、野営候補地の護摩壇山森林公園辺りに15時前に到着。まだ幕営には早すぎたので、もう少し先に進むことにした。
空海の衣掛岩がある整備された林道と立石の道標がある迷いやすい山道を抜け、殿垣内集落へ。
再びスカイラインに合流し、南下すると龍神温泉に到着した。
あわよくば、龍神温泉付きで泊まれるかと飛び込みで尋ねるものの、どこも満室で泊まれず。
世知辛い世の中だとひとしきり悪態をついた後、適当な場所を見つけて野営した。
2日目:晴のち曇/雨。
3:30 過ぎ未明に出発。星空を見上げながら、車道の真ん中を堂々歩いた。
はじめの三ツ又集落への山道では、暗い中で何度も迷っては引き返した。獣道が多くて正規ルートは踏み跡が少なく柔らかい。雨なら地獄だろう。
日の出を迎えて三ツ又集落に到着。ここから今回最大の災難が始まる。
次の丹生集落へ抜ける山道が工事で完全に塞がれていた。実際は迂回路が設けられていたが、入口にその案内は無かった(先で案内が見つかる)!
知らずに、杉の倒木を踏み越えて途中から稜線からトラバースするため、ルートを外れて急斜面を登る。
しかし突破口は見つからず、完全に詰んだと思ったら、稜線の向こうに工事車両用道を見つけた。どこかの集落には出るだろうと下る。
結果、三ツ又集落から少し南下した舗装路に出る。
結局、集落からそのまま三ノ又谷の舗装路を南下して丹生ノ川に出るのが正しくて、この迂回路には奥辺路テープが貼られていた。
※これで物凄い体力と数時間ロスをした。これが無ければ新宮後泊も不要で、16:10 本宮大社発のバスに乗り東京の自宅に当日中に帰れた。
丹生ノ川集落の果無越え入口に到着。直前の丹生ヤマセミの郷の自販機で水を確保できた。
果無越えに入る頃には消耗もあり、和田森への登りはキツかった。杉林を抜けるとピンクの三葉躑躅が映えるブナ林に景色が変わる。
稜線に上がれば南北に絶景を得るが、14時半から雨予報で最高峰の冷水山に着いた12時頃にはガスで展望が無くなる。
身体を濡らしたくないから、雨が本降りになったらすぐ幕営しようと適地を探しながら歩くが、結局本降らないまま、果ての果無山に到着。
この稜線歩きを楽しんで端まで歩いてしまった。ここまで来たら、最後まで進もうと決意する。
最後に合流する、果無峠からの小辺路と三軒茶屋跡からの中辺路は随分長く感じ、気力で何とかゴールの本宮大社に到着できた。
すぐに電話で新宮の宿を確保した(雨の中での野営を覚悟していたので有り難かった)。
今回の奥辺路を最後に、熊野古道を踏破した。
今回他の登山者に会わなかった奥辺路は、一部の熊野古道好きにしか知られていないと思われる。
奥辺路は、高野山から花園、龍神と丹生ノ川などの集落間を繋ぐ遺された山の生活道に、修験場の果無越えを加えて最近ルートとして整備した道で
他の熊野古道のようにしっかりとした歴史は無いのではなかろうか。
紀伊路や大辺路と同様、かつての生活道はスカイラインに置き変えられてしまい、集落間の山道は忘れられ今では殆ど人も通らない。
一方で、あまり整備されていない山道は歩き応えがあり、踏み固められた登山道には無い魅力があるのも確かだ。
地域活性・観光資源化という名目はさておき、歴史ある古道を残そうという心意気には感心していて、今後も自分自身が歩くことで応援したい。