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【備忘録】月山富田城 登城記
独松山・月山(島根)
2026.07.20 (月)日帰り
かつては山名、京極が治めたこの地はやはり尼子の城として一番有名でしょう。 一つの山城だけでなく、周囲の低山が砦になっておりそれを攻め滅ぼした毛利も凄いなと。まぁ一度大内従属期に攻めてみたものの返り討ちに遭って殿を任された毛利元就、隆元親子はそりゃ九死に一生。 第2次になると毛利元就、吉川元春、小早川隆景らが約3万の軍勢で攻め込む。 その時に陣地を構えたのが向かいの勝山城跡であり、尼子軍は経久はもちろん、直前には晴久も亡くなり尼子氏当主は義久。毛利元就の謀略により新宮党の静粛や内部抗争の末、兵糧攻めにより開城。 後に尼子再興軍により再度戦いは起きるもあと一歩の所でこの城は落ちませんでした。 後に吉川広家や堀尾吉晴が城主となり今の石垣は堀尾氏期の物と言われています。 この後に勝山城へ登城するつもりでしたが過酷な暑さにより撤退しました。





