03:38
8.9 km
236 m
玉野市 胸上八幡宮~山田港~飯盛山 史跡・絶景・水鳥
玉野市 (岡山, 香川)
2025年12月22日(月) 日帰り
【神功皇后縁の玉野市胸上へ】 岡山県玉野市に胸上(むねあげ)という場所があります。 その昔、神功皇后(じんぐうこうごう)がこの地で「胸が晴れるよい眺め」と、その絶景を褒めたたえたことからついた地名だといわれています。 出発点は胸上地区にある胸上八幡宮鳥居<写真01>右のスペースです。 3年ちかく前は近所の方も駐車しておられたので、邪魔にならないのは2台程でしょうか。 向かいのスペースは近所の方が常時利用されているようでしたが、今回は車はありませんでした。 <2023年1月22日の活動記録 https://yamap.com/activities/22102701> 胸上八幡宮<写真01~13>は1470年頃に宇佐八幡宮から勧請したと伝えられています。 鎮座地は展望が良く、岡山県の埋蔵文化財地図にはありませんが、中世の城跡とも考えられる聖地です。 石段を上り切った神社の境内にある遥拝所からは、小豆島(しょうどしま)<写真10>、豊島(てしま)<写真11>、井島<写真12>など瀬戸内海に浮かぶ島々の眺望を堪能することができました。 また、遥拝所近くにある戦前に建て替えられた白い鉄筋コンクリート造の拝殿<写真04>が印象的でした。 本殿<写真06>には、地名の由来ともなった神功皇后、その夫の仲哀天皇、その子の応神天皇などが祀られています。 【塩田で栄えた山田港湾岸は水鳥の憩いの場】 胸上(むねあげ)八幡宮<写真01~13>を出た後は、東児(とうじ)が丘マリンヒルズゴルフクラブの南側のサザンカロード<写真17~19>を歩きました。 ピンクのサザンカ&キゴシハナアブ♂<写真17>撮影地点から白坂池<写真20>の南東端まで道の左、右、左右と断続的に続きます。 ピンクは3~4分咲きくらい、白は満開に近く、傷んだ花も見られました。薄ピンクは満開に近く、ちょうどよかったです。 山田港の港湾沿い一帯は江戸時代幕末の頃から塩業が栄えました。 岩塩のような地下資源のない日本では塩は海水から作るしかありません。 海水に溶け込んでいる塩分は3%程で、97%は水です。 日本の塩づくりでは、海水をある程度濃くし釜で煮る方法が平安時代から始まりました。 そして、今からおよそ200年前の文政12年(1829年)、現倉敷市児島で野﨑武左衛門(のざきぶざえもん)が入浜式塩田を築造して以来、昭和19年(1944年)から流下式塩田に、さらに昭和44年(1969年)からイオン交換膜製塩法に転換し、生産性の向上に努めました。 そして、その事業を引き継ぐ現在のナイカイ塩業の製塩プラントは、イオン膜透析槽により瀬戸内海のきれいな海水を濃縮し、その後、真空式蒸発缶で煮詰めて塩の結晶を取り出す二段階式で塩を製造しています。 塩田製塩からイオン交換膜製塩に至る今日まで、継続して製塩業に携わる日本唯一の企業です。 このナイカイ塩業の西に隣接する東野﨑浜塩田北浜跡の大きい池のほうにユリカモメ<写真25>やオオバン<写真26>などたくさんの水鳥がいました。 3年ちかく前は小さいほうの池に約40羽のオオバンがいただけでした。実は、今回の最大の目的は、大好きなオオバンを観察することでした。 <2023年2月5日の活動記録 https://yamap.com/activities/22319810> 今回はオオバン以外も多かったので楽しかったです。 周囲に金網フェンスが設けられていることもあり、我々が近づくと多少は警戒するものの、飛び去ることもなく、ゆっくりと泳いで池の中央へと移動。 ズームするとカワウ<写真27,28>がくつろぐ様子もよく見え、こちらも癒されました😊 東野﨑浜塩田北浜跡ほどではありませんが、周囲の汐入(しおいり)川や山田港にも異なる種の水鳥が見られました。 チドリの仲間はほとんど見たことがないので、突っ立っているだけのコチドリ<写真41>でもテンション爆上がり😍 バードウォッチングだけではありません。 山田港からは西北西方面に金甲山(きんこうざん)<写真44>などの玉野アルプスの山々、南方面に瀬戸内海の島々<写真40>などの絶景を望むこともできます。 なぜか年末年始になると海を見たくなります。今年もそろそろ終わりかぁ~😊 【胸上地区特有の史跡を有する飯盛山】 山田港を離れ向かったのは、飯盛山(めしもりやま)です。標高わずか100mの超低山で、胸上浜の西に位置します。 2023年1月22日は頂上にある由加(ゆが)神社<写真49~53>の参道入口がよくわからず、一か八かで東からアプローチしました。 微妙に道のような所が多く、あまり苦労せずに飯盛山にたどり着いたのですが、今回は神社の参道をピストンすることにしました。 六地蔵<写真46>の少し南東から民家の間の幅1mもないコンクリートの細道に入るのですが、スルーして六地蔵<写真46>まで行ってしまい、そこから北東に延びる道に入ってすぐに引き返しました。 いったんは来た道にちゃんと戻ったのですが、連れが違うと言い出し再び六地蔵<写真46>へ。 再度そこから北東に延びる道に入りしばらく進みましたが、いや、方向が明らかに違う。 「六地蔵が目印やったと思う。」と連れは自信満々だったのですが、「もっとこっちやろ。」と今度はこちらが先頭に立ち1本西の道に入るもやはり北上。あれっ😅 前回は参道を下りたので、二人とも入口のことはよく覚えていなかったのです。確か、細いコンクリート道やったな。どこや。 「やっぱ、六地蔵やって。」どんどん引き返す連れ。「やっぱ、こっちやな。」と一度は自分が否定した元来た道へ。 「いや、それ民家に突っ込むやろ。」制止しようとしたのですが、お構いなしで左折、民家の間の幅1mもないコンクリートの細道へ。はい、これでした😅 両サイドに枯草がありますが気にならない道は、途中から土道になりました。全体的に草が生えていますが気になりません。 すぐに滑りやすいザレた土道の上に落ち葉が積もった道になりました。この時期は運動靴だと滑りやすそうです。 途中からは落ち葉はなくなり、一部はコンクリートの階段です。前回はこの階段がほぼ見えなかったのですが、最近歩いた方がおられたのか、ちゃんと見えました。 飯盛山(めしもりやま)頂上には枯草はありますが、気にせず歩けます。由加(ゆが)神社<写真49~53>は以前は拝殿があったようで、基礎は残っています。 本殿にあたる箇所には金属の扉のある祠があり、今回は倉敷市の由加(ゆが)神社のお札<写真50>が丸見えでした😅 しかも、内部にスズメバチの仲間の巣があります。これは帰宅後に写真を確認して気づきました。この時期には空っぽです。 ただし、来年、再びこの中に新たに作る可能性はあります。今後は訪問時期を選んだほうがいいでしょう。 祠の真後ろには岩が複数あり<写真51>、これがメインの磐座(いわくら)でしょう。中央手前は陽石です。 この左も磐座ですが陰陽石<写真52>です。下が女性を表す陰石、斜めに刺さっているのが男性を表す陽石です。似た形の石を探してきて組み合わせたのでしょう。 化粧地蔵<写真34,45,46>の風習からわかるように、この地域は海難などで子供が亡くなることが多く、子供はまさに宝でした。 陰陽石は子宝祈願のためのもので、決していかがわしくはありません。信仰の対象なので、これに上がるのはさすがに控えました。 岡山県の埋蔵文化財地図では、この北西、ゴルフ場のど真ん中が由加山という祭祀遺跡になっており、山頂部に巨岩崇拝の跡があり、アゲハチョウの軒丸瓦が出土しているとあります。 江戸時代より瑜伽(ゆが)神社を祀っており、地形から城跡の可能性もあるとのことです。 この遺跡説明は地図の位置が間違っており(ずれていることはよくあります)、ここのことではないかと思います。 拝殿はなくなり、現在は胸上(むねあげ)八幡宮<写真01~13>ほどきれいにされていませんが、アゲハチョウの軒丸瓦があったとなれば、江戸時代には岡山城城主池田家の庇護を受け大切にされていたと思われます。 3年ちかく前には東尾根で石積みなど昔の参道跡や巨岩崇拝の跡らしきものを見ているので、また機会があればヤブコギ覚悟で周辺を確認してみたいと思います。
