観測を続ける理由
記録を続ける その行為には 想像していた以上の価値がある もう何年も 自分の動きを撮影し続けてきた けれど 理想と現実の誤差は 簡単には埋まらない 映像に映る自分は いつも新しい課題を提示してくれる 改善点 修正点 再現性の低い動き 分析対象として見れば 不完全な要素はいくらでも見つかる 以前は誰かにカメラを預け 撮影してもらっていた けれど 自分のために 他人のプレーリズムを乱すことは 望ましくないと判断した だから今はミニ三脚を使用している 合理的な選択だったと思う もっとも その代償として 三脚ごと置き去りにした回数は 数えないことにしている 撮影にも慣れ 狙ったアングルで 思い描いた映像を残せるようになった それでも 映像を確認するたびに 新しい課題は見つかる だから撮影をやめない カメラは 評価を誤魔化さない存在だから 褒めることもなければ 慰めることもない ただ事実だけを映し出す それは専属コーチに 最も近い存在なのかもしれない 以前の僕は 一年に一台くらいのペースで カメラを壊していた 決して丁寧な扱いだったとは言えない それでも今の相棒は 長い時間を共にしてくれている 僕が少しだけ成長したのか それとも この相棒が頑丈だったのか おそらく その両方なのだろう トレイルランニングでも 記録を残している 大会の映像を見返すたび その日の景色も 空気も 感情も蘇ってくる 記録とは 時間を保存する技術でもある 走りながら撮影した映像には 撮影した本人でさえ 目を奪われる瞬間がある 躍動 風景 呼吸 そのすべてが 一つの映像として残っていく そう考えると カメラは 単なる記録装置ではない 自分という存在を 静かに観測し続ける存在 そして どれだけ感情が揺れても どれだけ失敗しても 事実だけを記録し続ける その姿は どこかポッドに似ている 必要以上に語らず 肯定も否定もせず ただ隣で観測を続け 必要な情報だけを示してくれる だから今日も 僕はカメラを持つ 記録は終わらない より良い自分へ近づくために 観測を続けることは きっと 意味のある行為なのだから






