安蔵山(近江百山)
横山岳・墓谷山
(滋賀)
2024.06.09(日)
日帰り
怪しい天候は続いていたものの、未だ時間がある。近江百山の安蔵山(あんぞうやま)だが、14時出発で早くて17時半下山か。尾根の取り付きが苦労しそうだが、それ以外は一直線、無理なら戻るだけ、行ってみる事にした。
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大黒山登山の後、
https://yamap.com/activities/32408869
つるやパン木之本本店に立ち寄り、戻って余呉町田戸の護岸工事現場に駐車。おそらく渓流釣りの車が二台止まっていた。高時川が2年前の8月に氾濫して、未だ上流部の工事が終わっていないのは、それだけ被害が大きかったという事だろう。
当時、天候の良い山を探してマキノ高原から赤坂山を登るため余呉を通過したころ、被災から数日後で泥の被った道や家財道具を搬出している方がいた。福井の大雨災害の際、この辺りも被災したのかと気の毒に思った事を思い出す。岐阜では隣県とは言え、滋賀の情報がなかなか入って来ないのだ。
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さて、高時川に架かる一般車両通行止めの橋を渡りスタート。奥川並川沿いの林道に入ると未舗装路が続く。落石も所々にあるが撤去されるなどの管理がされている。
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奥川並は昭和44年(1969)に廃村となったが、関ヶ原の合戦の際、石田三成の重臣島左近が落ちのびたという伝承がある⚔️だがここが関ケ原後に彦根藩領になったため、奥川並から美濃の川上に抜け 静岡の天竜にたどり着き、今も子孫がいるという。
伝承に興味があるのと、今日はいずれ奥川並から神又嶺(中尾峠)を狙う前哨戦の意味合いもある。しかし、いつ熊🐻と出会ってもおかしくない山奥の中の山奥である。熊鈴🛎️と蚊取り線香🌀を用意した。
🥾🥾🥾
林道を20分ほど歩くと土嚢を階段状に積んだ登山口があった。その後尾根に取り付くまでは赤テープを頼りに、急斜面をトラバースしたり枝や根っこに掴まって這い上がりながら進む。途中、鉄パイプが均等間隔に2本ずつ刺さっていた(かつての階段か)ので辿り尾根に着いた。
尾根に出ると緩やかな登り。初めのうちは雑木林だが、直にブナやミズナラとなり立派なのもたくさんあった。新緑が美しく、曇りなのが残念であった。標高500mから700mの間は結構急登だった。
15時半頃までに登頂したいと休憩も取らず突き進む。標高700mぐらいからは傾斜も弱まったが、薮っぽい踏み跡の薄い所がある。それが終わると
今度はユズリハが密生して足下が分かりにくい所もあった。
最後、なだらかな丘のようなブナ林を登ると山頂であった。「安蔵山」と書かれた山名表示が幾つも見受けられた。ここから尾根伝いに左千方、神又嶺に行かれる方もいるようで、踏み跡が続いていた。
山頂には、己高山より観音菩薩を譲り受けて観音堂に安置されていたが、太平洋戦争時に下ろされ、洞寿院に移されているようです。三角点付近、杉が2本植えられている所のようです。
復路は、来た道をピストンして下る。最後の急斜面には手間取ったが、無事林道に降下。17時半には駐車場所に戻る事が出来た😮💨
近江百山 42/101