歴史と尾根を繋ぐ、高平山・鳴虫山・神ノ主山-2025-03-01(12)
鳴虫山・火戸尻山
(栃木)
2025年03月01日(土)
日帰り
先週、火戸尻山〜鳴虫山の稜線上で高平山を眺めると、高平山の尾根がこの稜線上に続いていることに気付いた。
高平山は5年前の小雨まじりの日に登ったきりで、地図には登山道の表記もない超マイナーで地味な山である。
しかし、その途中には古いお地蔵様もおられ、歴史のある山といった印象もある。
大谷川河川敷の駐車場に車を停め、車道をアップダウンしながら歩いて、高平山へ取り付く。
急斜面を登り、高平山の途中にあるお地蔵様と5年ぶりに対面する。
すると、何かがおかしいことに気付く。
5年前のレポを読むと、お地蔵様は古峰神社の方へ向いていたとの記述がある。
しかし、現在は鶏鳴山の方を向いている様な気がする。
樹林帯で眺望もなく確かなことは言えないが、5年前もしくは今日のどちらかが見当違いをしているのであろう。
また、お地蔵様の前には石碑があり、これも5年前には見た記憶がない。
石碑には「南方カッパ峯鎮座」「移転奉安 平時大正七年」の文字が彫られている。
何のことだろう…と思案しながら急斜面を登り続けると、やがて高平山の山頂へ到着する。
高平山の山頂からは冒頭の稜線を歩いて、鳴虫山を目指す。
幾度かのアップダウンを越えると、854Pに到着する。
すると、ここにもお地蔵様がおり、そのお地蔵様の祠の横にある「北東ノ方へ」の文字が目に入る。
「北東ノ方へ」とは何か意味深…宝物でも埋まっているのかと夢想する。
考察した結果、最初に対面したお地蔵様は、ももとは南方のカッパ峯にあり、後の時代に北東ノ方へ移設されたのではないか。
つまり、カッパ峯とはこの854Pのことを指しているのであろう。
そうだ!ここは古来「カッパ峯」と呼ばれていた山なのだ。
ここの祠には「宝暦七年」の文字があり、約270年前には2体のお地蔵様がここにあったものと推測される。
移設の理由は不明だが、先の高平山のお地蔵様の石碑にある「移転奉安 平時大正七年」の文字から、今から107年前の大正七年に一体が高平山へ移設されたと思われる。
よって、少なくとも今から107年前は、このピークをカッパ峯と呼んでいたのであろう。
日光の峯修行は、古来より日光山内を起点として鳴虫山も修行の場になっていたことを考えれば、この山域にも歴史的足跡があっても当然のことである。
歴史の一端に触れながら先を進むと、ここからが本日の山行の核心部であった。
稜線上に幾度と現れる大きな露岩。
トラバースするか、断崖を下るか、急峻な尾根上ではどちらを選択してもリスクがある。
ルートロストあり、急斜面の登り下りありで、慎重に進む瞬間が多くなり、火戸尻山〜鳴虫山の稜線に達した時には、予定時間を大幅に超過。
しかし、その稜線から振り返ると、苦労して歩いて来た高平山の尾根が見える。
先週よりは霞みがちで視界深度も良くはないが、ここを歩いて来た者にしか見えない景色がそこには広がっていました。
ここから鳴虫山まで、疲弊した足を奮い立たせて何とか登頂。
帰路は一般道を使って神ノ主山まで行き、そこからバリルートで駐車場まで戻る。
帰路のバリルートは思っていたよりも平和な道で、昨年訪れたスロベニアのとある丘と何処か似ている。
みんなの軌跡にも載っていないルートであったが、スマホではなく方位磁石に切り替え、思っていたところにズバリ着地。
ハイテクよりもローテクの方が、いざという時には役立つことを実感。
着地後は日光連山を眺めながら、JR日光線、東武線を横断して駐車場まで戻る。
なかなか大変な山行で、しかも地味尾根続きでしたが、今回の充実感は今までの山行の中でも上位に入ることでしょう。
尾根繋がりで新たな山行が生まれる連鎖反応、これだから山は止められない。
一方では、埋もれていく歴史にも触れられ、この貴重な体験は何物にも代えられません。
今回は(も)、なかなか歩かれない尾根ということで、写真枚数も大変多くなっております。
興味のある方は、写真を見るだけでも挑戦してみてください。
〈追記〉
本ルートは危険を伴うため、初心の方は立ち入らない様にお願いします。