02:46
7.2 km
261 m
神崎梅園+山ノ神山~天津神社~宇賀神社 花鳥磐座巡り ♪鵜鷺(ウサギ)追いし神山(かみやま)
岡山市 東区 (岡山)
2026年02月21日(土) 日帰り
【白梅ほぼ満開の神崎梅園】 活動前に神崎梅園(神崎緑地公園)を訪問しました。 2月22日(日)には「太伯梅まつり」が開始予定となっていましたので、混雑を避けるためにその前日を選びましたが、駐車場は9時頃には上は満車、下は数台空きがあり、10時頃にはどちらも満車でした。特に午後は駐車場に入る渋滞が起こることがあります。 地元町内会が昭和40年代(1965年以降)から梅林を管理しており、現在は紅梅・白梅・しだれ梅約150本が植えられています。 この日は寒紅梅<写真04>が傷み始めですが遠目にはまだきれいな状態、池畔の白梅や紅梅<写真05~07>及び広場周辺の梅<写真09,10>がほぼ満開、神前(かむさき)神社の南の梅が咲き始めから8分咲きくらいで全体では6分咲きくらい、枝垂れ梅並木<写真15,16>は2本程がほぼ満開でその他は2,3本咲き始めでした。 平年より少し早めくらいで、今年はタイミング的には過去最高だったと思います。 3月1日まで第26回太伯梅まつりが開催され、売店は10~15時頃です。日当たりを考えると9時半以降がいいとは思いますが、駐車場を含め混雑しそうです。 【山ノ神山と天津神社の光臨石】 神崎梅園を出た後、山ノ神山に向かいました。山全体がほんぶしんという宗教団体の施設となっていますが、特に信者ではなくても施設内の散策は許可されています。 今回はほんぶしん神山・清浄苑駐車場に自動車を停めました。利用時間は9~17時のはずですが、現在は10時頃からかもしれません。 2025年11月30日には9時10分を過ぎても開いていませんでしたが、今回、10時15分頃には開いており、3台程停まっていました。 駐車場から山ノ神山頂上に向かう舗装道路には、途中に門があります。そこから先(北)は甘露台の場といい、宗教団体ほんぶしんの御神域につき撮影禁止で三角点も磐座(いわくら)も立ち入り禁止の囲いの中です。 おそらく、神聖な場所にカメラを向けないでほしいとのことで、宗教施設以外も撮影禁止でしょう。 山ノ神山頂上周辺を一周し、東へ向かう細道を歩いていると、突然、天津(あまつ)神社<写真20~24>が出てきました。 ここに参拝するのは初めてです。この東は清浄苑といい、やはりほんぶしんの敷地ですが、間にある天津神社はほんぶしんとは無関係でしょう。 ただし、ここにも光臨石という磐座(いわくら)<写真23>があり、昔から神聖な場所だったようです。次のような伝説が残されています。 児島湾に浮かぶ高島を出発した神武天皇率いる軍団は、山ノ神山南東に位置する鵠浦(くぐいうら)で船ぞろえをし、天皇は航海安全のために北斗星(北斗七星、あるいは北極星)を礼拝されました。 すると北方の山頂が輝いて北斗星が横4m、高さ2mの大石に降臨されました。後に神功皇后(じんぐうこうごう)が参拝された際に光臨石と名付けられました。 この光臨石がおそらく<写真23>の磐座(いわくら)でしょう。これを祀ったのが妙現社であり、明治8年(1875年)に天津神社と改称しました。 天津神社の境内には、石を寄せ集めて祀ったものがこの光臨石を含め7か所あるそうです。これが北斗七星の伝説にちなんでいるといわれています。山ノ神山での新たな発見でした。 さらに東に進むとほんぶしんの敷地内の清浄苑という所に入りました。ここは撮影禁止ではありませんが、宗教施設の撮影は控えました。 周辺には噴水<写真27>や池、藤棚などがありきれいに整備されています。ここから別の舗装道路で戻りましたが、メジロやシジュウカラなどの鳴き声が聞こえ、気持ちのいい場所でした。 最後に展望台<写真28~30>に立ち寄りました。瀬戸内海に浮かぶ島々がよく見えますが、この日はかすんでいたのが残念でした。 後は帰るだけと思っていましたが、梅の花<写真31>が咲いていました。南側の斜面を見下ろすと梅林になっており、白梅がよく咲いていました。近くには桜もあり、四季折々花が観賞できそうです。 【♪鵜鷺(ウサギ)追いし神山(かみやま)】 ほんぶしんの駐車場から外に出る直前、北側にある深口上池(ふかぐちかみいけ)で冬羽のコサギ<写真32>を発見。 どじょうすくいのように脚を小刻みに動かして餌を探して食べている様子をしばらく観察し歩き始めると、こちらに驚いたのか、カワウ<写真33>が池の北西端から飛んできました。 着水直後、コサギが後を追うように側へ。そのままカワウのほうへとスタスタ。 両者ともちらちらと相手を見ながら、時に気持ちよさそうに身震いし見つめ合っていることも😊 そのうち、カワウが再び飛び立ち<写真38>、またしてもコサギは後を追いましたが、すぐに池に戻ってきました。 背後には神山こと山ノ神山。思わず♪鵜鷺(ウサギ)追いし神山(かみやま)と、唱歌「ふるさと」を口ずさんでしまいました😁 仲がいいのかと思いきや、実は、サギの仲間はカワウが浅瀬に追い立てた小魚のおこぼれ狙いで集まってくることがあるそうです。 ミサゴの餌を横取りするカワウですが、サギたちに利用されることもあったとは。 「ほれな、そら、ミサゴの餌でもとらな、やってられへんわ。」 でもウーちゃん、ミサちゃんは損しかしてへんけど😅 【宇喜多(浮田)縁の史跡&パワースポット宇賀神社巡り】 深口上池(ふかぐちかみいけ)から水門湾に面した宇賀神社<写真47~53>方面に向かって舗装道路を北上しました。 生目(いきめ)八幡宮<写真61~63>は前回参拝したのでいったんスルーし、予定外でしたが少し北にあるてすりつきの階段状の土道を上ってみました。 北西に延びる地形図の破線の道をたどるつもりでしたが、すぐに南北に延びるきれいな細道が現れました。 前方は明らかにヤブで、無理をすれば歩けなくはありませんが、運動靴なので今回はやめました。 とりあえず北上してみると祠と浄生墓<写真40,41>で行き止まりでした。南下する道は生目(いきめ)八幡宮<写真61~63>の参道かもしれないと思い、引き返して再び舗装道路へ。 後日、ネットで調べても祠などの詳細はわかりませんでした。このエリアにはあまり知られていない神聖スポットがいくつかあるようです。 草が刈られた安田池<写真43>の北畔を西に進むと、何やら祀られているのが見えました。近寄ってよく見ると浮田祖先碑<写真44>でした。 戦国時代に興味のある方は“浮田(うきた)”が備前国の戦国大名“宇喜多”に関係していることにすぐに気づかれると思います。 浮田は本来、地形に由来する姓です。現岡山市東区上道(じょうとう)地区にあたる浮田村は、岡山開府の祖と言われる宇喜多直家・秀家親子ゆかりの地であり、五大老の一人にまで上りつめた秀家生誕の地といわれる亀山城は、郷土の歴史遺産にもなっています。 ちなみに、先述の神崎緑地公園から見られた乙子(おとご)城跡のある城山<写真01>は、宇喜多直家が元服し、備前国(岡山)を築く始まりとなった地です。 宇喜多家の嫡流(本家)は佳字(かじ)をあて“宇喜多”、そして分家は本来の“浮田”を名乗りました。浮田姓は現在、兵庫県から岡山県にかけての瀬戸内海沿岸部でたくさん見られます。 ちなみに、富山県の浮田氏は宇喜多秀家の子孫にあたり、徳川家に刃向かって関ケ原の戦いで西軍についた宇喜多家を憚って浮田を称したといわれています。 これまでこのエリアで見た史跡の大半は“宇喜多”という名を冠したものでしたが、今回の“浮田”縁の史跡は、改めて宇喜多と浮田の違いについて考察するきっかけとなりました。 浮田祖先碑<写真44>から再び舗装道路で宇賀神社<写真47~53>へ。この周辺はかつて弁財天村と呼ばれていました。何やら、パワースポットの予感😊 ご祭神と思われる人頭蛇身の宇賀神は、福の神で弁財天と同一視されることも多いようです。ここでは食と稲の神としてお祀りされています。 社殿の裏(北)にある磐座(いわくら)らしき石群の東端<写真50>までは行ったことがあります。 ここからいったん境内社<写真49>の上まで引き返すと、北に岩が続いているようでした。これには前回は気づきませんでした。 宇賀神社の周辺は少しこんもりしており、てっぺんだけが石だらけ<写真50,52,53>です。元々こうだったのかはわかりませんが、磐座(いわくら)の可能性は十分にあります。 ここから斜面を適当に下りました。木が生えていますがかき分けることもなく、普通に舗装道路に出られました。 ただし、下り始めるとフィッ、フィッだのグワー、グワッ、グワッだの大きな鳴き声が。音や気配で気づいたコガモ<写真54>やマガモ<写真56>が驚いて飛び立ったようです😅 下りると目の前には水門湾、カモたちはどんどん離れていきますが、途中でなんとか止まってくれました。動画を撮り始めると、あれっ、寝てる😅安心してくれたということで😊 舗装道路を引き返し、途中で例のてすりつきの階段状の土道に入り、今度は南下。生目(いきめ)八幡宮<写真61~63>の参道かと思いきや、人丸大明神碑<写真59>がありました。 人丸とは柿本人麻呂のことで、火止まる(ひとまる)、人生まる(ひとうまる)の語呂から防火や安産の神とする人丸信仰が各地にあります。 きれいなのはここまでで、ヤブになんとなく踏み跡があるようにも見えましたが、運動靴なので今回は引き返しました。 舗装道路に戻り、最後に生目(いきめ)様参道の道標から全長138mという石段と土道を上りました。 途中で参道からわずかに北側に逸れてみると岩群<写真60>があり、さらに北側に細道が続いているように見えなくもありませんでした。人丸大明神碑<写真59>に行けるのでしょうか。 生目八幡宮のトタン壁の拝殿<写真61>はきれいに見えました。改修されたのかと思い、喜んで中をのぞくと、やはり崩壊中<写真62>😅 本殿<写真63>は無事で、背後にやはり岩がゴロゴロしていました。磐座(いわくら)の可能性があるそうです。 こうして今回は梅の花の観賞に始まりパワースポット巡りで終わりました。磐座(いわくら)らしきものがあっちこっちにありましたが、この地域には昔から巨石信仰があったのかもしれません。 一度歩いたエリアでしたが、思わぬちょっとした発見があり、今回も楽しかったです。
